「極端な意見に流される日本人」が増えている本当の理由 「“強い言葉”にすぐ振り回される人」に欠けた視点は?
7/14(火) 東洋経済オンライン
偏差値70以上の進学校で指導し、教え子の5人に1人を東京大学合格へ導いてきた国語科専任教諭、市野瀬早織氏。
東大を目指す学生が自然に身につけている基礎力のひとつが「読み方スキル」だと市野瀬氏は主張する。
文章の要点を素早くつかみ、自分の言葉で説明できる。
相手の意図を正確に理解し、的確に判断できる。
こうした力は、入試にとどまらず、「社会人として仕事を遂行するため」「リーダーとして活躍していくため」にも欠かせない能力である。
この読み方スキルを、誰でも今すぐ使えるように体系化した市野瀬氏の初の著書『東大合格者が身につけた 一生使える「読み方スキル」』は、発売たちまち4刷を突破するなど、話題を呼んでいる。
その市野瀬氏が、「極端な意見に流される日本人」が増えている背景について解説する。
■なぜ人は「わかりやすい意見」に飛びつくのか
ニュースやSNSを見ていて、こんな経験はないでしょうか。
ある政策について、「これは多くの人を救うために必要だ」と説明されると、たしかにそうかもしれないと思う。
ところがその直後に、「いや、これは一部の人だけが得をする仕組みだ」という意見を読むと、今度はそちらも正しいように見えてくる。
会社でも同じです。
「このプロジェクトは絶対に進めるべきだ」と聞けば前向きな気持ちになる。
一方で、「いや、リスクが大きすぎる」と聞けば、不安になる。
子育てや教育でも、「もっと厳しくすべきだ」という意見もあれば、「子どもの自主性を尊重すべきだ」という意見もあります。
どちらも一理あるにもかかわらず、私たちはつい「より強く」「よりわかりやすく」「より断定的に」語られる意見に引っ張られてしまうことがあります。
その結果、「賛成か反対か」「正しいか間違っているか」「味方か敵か」というように、物事を2つに分けて考えてしまいがちですが、現実の問題は、そこまで単純ではありません。
極端な意見に流される人に欠けているのは、「知識量」ではありません。「物事を比べて読み解く力」なのです。
人が極端な意見に流されるとき、多くの場合、「片側の情報だけ」を強く見ています。
たとえば、次のような文章があったとします。
「子どもには、自由に好きなことをさせるべきだ。好きなことに夢中になれる子は、自分で考え、行動できるようになる」
この文章だけを読むと、「なるほど、やはり子どもの自由を尊重することが大切なのだ」と感じるかもしれません。
では、次の文章はどうでしょうか。
「子どもには、一定のルールや課題も必要だ。やりたくないことにも向き合う経験が、将来の粘り強さを育てる」
こちらを読むと、「たしかに、自由にさせるだけではいけない」と思う人もいるでしょう。
どちらも、完全に間違っているわけではありません。
大切なのは、どちらか一方を選ぶことではなく、この2つの意見が何を比べているのかを見抜くことです。
・「自由」と「ルール」
・「自主性」と「粘り強さ」
・「好きなことに熱中する経験」と「苦手なことにも向き合う経験」
このように並べてみると、議論の焦点が見えてきます。
つまり、問題は「自由が正しいか、ルールが正しいか」ではありません。どの場面で自由が必要で、どの場面でルールが必要なのか、この違いを考えられるかどうかなのです。
■対比の両側を見る
私は現代文の授業で、難しい文章を読むときほど、「対比」に注目するよう生徒たちに伝えてきました。
対比とは、2つのものを並べて、その違いや特徴を比べることです。
文章の中では、書き手が何かを強く伝えたいとき、しばしば対比が使われます。
なぜなら、片方だけを説明するより、反対側や別の立場と並べたほうが、書き手の考えがはっきり見えるからです。
たとえば、
・「古い働き方」と「新しい働き方」
・「知識を詰め込む教育」と「自分で考える教育」
・「効率を重視する経営」と「人の感情を大切にする経営」
こうした対比を見つけると、文章の中で何が問題にされているのかが見えやすくなります。
逆に、対比を見つけられないまま読むと、強く書かれている言葉だけが印象に残りやすくなります。
「古い働き方はダメだ」「詰め込み教育は意味がない」「効率重視の経営は冷たい」というように、文章の一部分だけを切り取ってしまうのです。
しかし、書き手が本当に言いたいことは、そこまで単純ではないことが多いものです。
対比の両側を見てはじめて、文章の意図が立体的に見えてきます。
対比を意識できない人ほど、物事を一方向だけから見がちです。
すると、「強い言葉」に振り回されやすくなります。
「この方法こそ正解だ」「今すぐ変えるべきだ」「昔のやり方はすべて古い」「新しいものはすべて危険だ」
こうした表現は、たしかにわかりやすく、印象に残ります。
しかし、わかりやすい言葉ほど、注意が必要です。
なぜなら、そこでは複雑な事情が削ぎ落とされていることがあるからです。
社会の問題も、仕事の問題も、家庭の問題も、多くの場合、単純な善悪では判断できません。
にもかかわらず、片側だけを見て結論を出してしまうと、本来見るべき論点を見落とします。
東大に合格するような生徒たちは、文章を読むとき、ただ言葉を追っているわけではありません。
「この文章では、何と何が比べられているのか」
「書き手は、どちらをどう評価しているのか」
「一方を否定しているのか、それとも両方を踏まえたうえで新しい考えを示しているのか」
こうしたことを、自然に考えながら読んでいました。
これは、受験国語だけに必要な力ではありません。
・会議で複数の案を検討するとき
・ニュースを見て、自分の判断を下すとき
・誰かの意見に賛成するかどうかを考えるとき
・部下や子どもの言葉を受け止めるとき
どの場面でも、「片側だけを見ない」ことが重要です。
対比を読むときに大事なのは、「どちらが正しいか」を急いで決めないことです。
最終的に自分の意見を持つことは大切ですが、その前に、両側の言い分をきちんと並べてみる必要があります。
片側を選んで終わりにするのではなく、両側を見たうえで、よりよい判断を探す。
そうした読み方ができると、物事を極端にとらえにくくなります。
■現代は「強い言葉」が目立ちやすい時代だからこそ
現代は「強い言葉」が目立ちやすい時代です。
「強い言葉」に流されない人は、いつも冷静な人なのではなく、物事を複数の面から読み取る習慣を持っている人なのです。
こうした「読み方の型」を身につけておくと、文章だけでなく、人の言葉や状況の受け取り方も変わってきます。
読む力は、単なる国語力ではなく、日々の判断やコミュニケーションを支える基礎力でもあるのです。

