2024年01月12日

刃物を持った人間と遭遇したとき、生死を分ける「初動」とは?

JR山手線車内刺傷事件の教訓
刃物を持った人間と遭遇したとき、生死を分ける「初動」とは?
松丸俊彦:セキュリティコンサルタント
2024年01月11日  ダイヤモンドオンライン

刃物で強襲されたとき、生死を分けるのは「初動」。
極限の状況で取るべき行動は何か、わからない人の方が多いのではないだろうか。
1月3日に山手線内で発生した殺傷事件は、いつどこで起こるかわからない。自分や大切な人の命を守るためには、事前に知識を持っておくことが肝心だ。
「刃物から身を守る方法」と「犯人から逃げるときの注意点」をこの記事で確認してほしい。(防犯コンサルタント 松丸俊彦)

事件に巻き込まれない ための「準備」
 刃物で強襲された時の対処法や犯人と距離を取る方法はもちろん大事ですが、不審者をいち早く見つけ、 至近距離で事件に巻き込まれないようにすることが前提です。
 そのために重要なのが、周りに注意を配るということです。
当たり前のことですが、スマートフォンを使ったり、イヤホンをして音を遮断していたりする人が多く見受けられます。
これでは、不審者に襲われた時にどうしても初動が遅れてしまいます。 

 実際に、21年10月31日に京王線内で起きた殺傷事件の映像で、乗客が隣の車両から走って逃げてきているにもかかわらず、 ヘッドホンをしていて逃げ遅れている人が映っていました。
イヤホンをするにしても片耳は空けた状態にしたり、スマホをずっと眺めるのではなくて頻繁に顔を起こしたりすることで、初動への反応スピードを上げることができます。  

では、不審な人物はどのように特定すればいいのでしょうか。第六感を使ってください。
皆さんも電車内などで「何かが怪しい」と感じる人と遭遇したことがあると思います。
そうした、言葉には表せない直感が非常に重要です。
思い込みや差別に基づいた判断には気をつけながら、感覚的な気づきを得られるように周りに気を配ってください。
 不審な人物を見つけた場合は、 その人物を意識に留めておいてください。
そして可能であれば 距離を取るようにしてください。

いつも乗るお気に入りの車両を諦めて、少し離れた車両に移るとよいでしょう。
この方法は、突然襲われた時だけではなく、 ストーカーや痴漢といった 継続的な犯罪を防止することにもつながります。
家や職場を出る時に違和感を感じた人物や普段見かけない車がいれば、それらを気に留めておくのです。

 公安時代の私の経験で言うと、こうした習慣を継続することで日常に潜む違和感への感度を徐々に高めることができます。 皆さんの生活にもぜひ取り入れてみてください。
まずは日頃から被害を未然に防ぐための準備が肝心です。

交戦してはいけない 
 普段から気を配っていても、殺傷事件に巻き込まれない可能性はゼロではありません。
では、刃物を振りかざす人間に遭遇したとき、どのような対応を取ればよいのでしょうか。
先ほど言ったように、最も大切なのは初動です。ここで、その後の結果が大きく変わります。

 警察官は至近距離から刃物で急襲されたときの対処法の訓練をします。
そこで徹底的に叩き込まれるのも初動の動きなのです。
 それは、モノで犯人の刃物を叩くことです。
モノというのは、外出先では身につけているバッグや買い物袋などです。
交番では、机の上にメモ板が置いてあることが多いのでそれらが使えます。

 初動で最優先されるのは、相手の第一撃を防ぐことです。
したがって、ここでの叩くという動作は攻撃ではなく防御を目的とします。
その際に、攻撃の軌道から自分の体を外すことが重要です。
とても高度な話になりますが、凶器を叩きながら自分の体を犯人に対して閉じて正面を見せないようにできると攻撃を受ける確率を下げることができます。
 相手の第一撃を交わしてもまた襲ってくる場合、基本的にはこの動きを繰り返すことになります。
よほど武道の修練を積んでいる人でない限り、打突や投げで相手を制止しようとしないほうがいいでしょう。
かえって危険です。
 私は警察官で武道経験があるので、いざとなったらタックルなどで相手を制止することも考えますが、一般の方は控えてください。

アメリカの国務省が出しているテロ対策では「ラン(Run)・ハイド(Hide)・ファイト(Fight)」という原則が掲げられています。
まず、走って逃げる、次に隠れて身の安全を確保する、そして、最終手段として戦うとしているのです。
犯人検挙や正義のためにファイトすることは、絶対にやめてください。
あくまで何もしなければ座して死を待つのみという状況になった場合のためのファイトです。

欧州の国々では、「ファイト」を勘違いする人がいることを懸念して、「ラン・ハイド・テル(Tell)」と通報を呼びかけるだけで、攻撃は推奨していないくらいです。
まずは逃げることを考えてください。

犯人から「伏せろ」と言われたらどうする?
 犯人に遭遇した瞬間に絶対にしてはいけないことが2つあります。
 1つ目は、声をあげることです。悲鳴は押し殺してください。犯人のターゲットになりやすくなるからです。
犯人を刺激することだけは絶対に避けてください。
例えば、こう着状態になったときに説得を試みることも犯人にとって刺激となる恐れがありますので、やめてください。
逆に犯人からの指示には従ってください。
「床に伏せろ」と言われたら伏せてください。指示に反抗して犯人にストレスをかけることは避けましょう。
 監禁状態で犯人と人質との間に信頼関係が発生する現象をストックホルム症候群といいます。
電車内ではあまり起きないと思いますが、監禁状態で人質になってしまったときは、ストックホルム症候群を積極的に起こすようにしましょう。生存確率を上げることができるからです。
しかし、その際も自分から信頼関係を築こうとしてはいけません。犯人を怒らせる可能性があります。
ひたすら犯人の言うことを聞き、話しかけられたときだけ話すようにしてください。

 2つ目は、背中を向けて逃げること。
目の前に刃物を持った人間がいて一目散に逃げ出したくなるのは理解できます。
しかし、それでは犯人の攻撃からも目をそらすことになります。
背後から襲われると初動で最も重要な防御をすることもできません。
凶器による攻撃が届く範囲にいる場合は犯人のほうを見ながら、後ずさりしてください。
常に犯人を視界に留めていてください。
犯人の攻撃範囲から出て、距離を取ることができて、なおかつ犯人が背中を見せたタイミングで逆方向に全速力で走ってください。
 皆さんが刃物を持った人間に遭遇する可能性はかなり低いと思います。
しかし、いざというときに備えておかないと、適切な対応を取ることができず、命を落とすことに繋がりかねません。

犯人に遭遇しないための予防と遭遇した場合の対処法をしっかり押さえて、自分の命を守る行動をとってください。
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2024年03月10日

読書をしたいけどする暇がない…なぜ? “時間泥棒”の正体とは?

読書をしたいけどする暇がない…なぜ? “時間泥棒”の正体とは?
3/9(土)  オトナンサー

読書の時間を増やすには?
 「読書をしたいけど、時間がない」と感じる人は、多いのではないでしょうか。
コラムニストである筆者は、多忙な中でも記事執筆のために年間1000冊の本を読んでいます。
そこで、今回は自著の「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)を基に、読書の時間を増やす方法を解説したいと思います。

スマホの利用時間は1時間超
 結論からいうと、読書の時間は日々のスマホの利用時間を見直すことで簡単に増やすことができます。

 例えば、NHK放送文化研究所が2021年に実施した、スマホの利用時間に関する調査によると、「スマートフォン・携帯電話」の利用時間は、世代全体で1日当たり平均1時間18分だということです。

 20代は男女とも3時間半近く使っています。
30代以上では、年層が上がるほど、利用時間が短くなっていきますが。
男女30代で2時間以上、男女50代でも1時間以上利用しています。
全体の1時間18分のうち、自宅外での利用時間が27分なのに対し、自宅内での利用時間が51分と、自宅内での利用時間の方が長いという結果も明らかになりました。

 特に20代の男女は、いずれも自宅外での利用が1時間13分ですが、自宅内での利用時間は、男性2時間13分、女性2時間15分と、自宅外での利用時間よりも1時間以上多くなっていました。

 これらの結果から、若年層に限らず、さまざまな年代の人が、スマホを主に自宅で利用していることが分かります。
現代において、スマホはコミュニケーションや情報収集を効率化するだけでなく、エンターテインメントを提供してくれる最も身近なツールであり、自宅の中で楽しんだり、くつろいだりするときに欠かせないものになっています。

 そのスマホを1日の中で一定時間触れない時間を決めたり、目の見えない場所に置いたりしておけば、本を読む時間をつくることが可能です。

活字離れなんて言わせない
 ところで、現代は活字離れの傾向が著しいと指摘する識者がいます。
その根拠に、多くの調査結果では「本を読まなくなったこと」「出版不況」を活字離れの理由にしていますが、このような解釈には違和感を覚えます。

 スマホで音楽を聴くときは別として、ゲームや漫画、雑誌などは活字を多く含みます。文字を読まなくなったわけではありません。
つまり、活字離れをしたわけではなく、活字の利用状況が変化していると考えた方が分かりやすいでしょう。

 活字媒体の利用状況は、時代とともに変化しています。
かつては、書籍や新聞が情報収集や娯楽の中心的な役割を果たしていましたが、近年ではインターネットやスマホの普及により、動画や音声などの非活字媒体の利用が拡大しています。
そのため、活字媒体の利用時間が減少しているように見えるかもしれませんが、必ずしも「活字離れ」が進んでいるとは限りません。

 また、活字媒体は、情報を正確かつ客観的に伝えることができ、思考力を養うことができます。
学校や仕事の現場で活字が使われなくなることは考えられません。
活字媒体の利用状況は変化しているものの、活字媒体の価値は変わらず、人々の生活に欠かせないものとして存在し続けています。

 今から30年以上前は、スマホはおろか、ガラケーやパソコンも一般家庭に普及していませんでした。
ただ、そんな時代でも、不自由さを感じませんでした。
私たちは、これらのツールの普及とともに、時間を割り当てるようになりましたが、これからは、スマホの代わりに読書の時間を割り当てればいいのです。活字離れなどは発生していません。

 何度も言いますが、スマホの利用時間を減らすことで、本を読む時間に充てることができます。
活字媒体は非活字媒体よりも情報の正確さや思考力の向上に優れており、時代に関係なく価値があります。
ぜひスマホを置いて、本を手に取りましょう。

コラムニスト、著述家 尾藤克之
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2024年04月21日

【思考力チェック!】天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。A「私は天使ではない」、B「私は悪魔ではない」、C「私は人間ではない」。それぞれの正体は?

【思考力チェック!】
天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。
A「私は天使ではない」、B「私は悪魔ではない」、C「私は人間ではない」。それぞれの正体は?
野村裕之(のむら・ひろゆき)
都内上場企業のWebマーケター
2024年04月20日 ダイヤモンドオンライン

「天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。A、B、Cの発言から、それぞれの正体がわかるか?」
これは知識や計算はいっさい不要で、「考える力」のみが問われる「論理的思考問題」のひとつ。
論理的思考問題はGoogle、Apple、Microsoftといった超一流企業の採用試験でも出題され、「スティーブ・ジョブズ超えの天才」と言われたあのピーター・ティールも自社の採用試験に取り入れた。
これまでの正解が通用しない時代に必要な「思考力」を鍛える「最高の知的トレーニング」でもある。

そんな論理的思考問題の傑作を世界中から収集し、解説した書籍が『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』だ。
「論理的思考」「批判思考」「水平思考」「俯瞰思考」「多面的思考」が身につく67の問題を紹介。
「頭のいい人の思考回路」がわかり、読むだけで、一生モノの武器となる「地頭力」が鍛えられると話題。
この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「論理的な思考ができる人」だけが解ける問題を紹介する。(構成/石井一穂)

■矛盾のない真実を導けるか?
 論理的に考える感覚をつかむために、まずは論理的思考問題で最もオーソドックスな問題を考えてみましょう。
 次のページで、正解と考え方をお伝えします。

*************************************
<正解>
 A:人間 B:悪魔 C:天使

 いつも本当のことを言う「天使」と、いつも嘘をつく「悪魔」。
 彼らが登場するこの形式は「天使と悪魔のクイズ」とも呼ばれ、さまざまな類問が存在します。

 今回は最もシンプルで、難易度はかなりやさしいレベル。
 小学生でも解けるためヒントはありません。

 1人ずつ順を追って、発言とその特徴に注目していきましょう。

仮定からはじめよう
 問題文を読んで「1人ずつ地道に正体を考えていくしかないのかな……」「めんどくさいな」と思った方もいるのではないでしょうか?

 ええ。残念ながら正解です。

 論理的思考とは一瞬で何かを解決してくれる魔法ではなく、正しい答えを地道に導くための武器です。

 よって論理的思考の基本は、
「もし○○だったら……」と、仮定と検証を繰り返すことです。

 というわけで考え方としては、「もしAが天使だとしたら」「悪魔だとしたら」「もしBが」「もしCが」と仮定して、矛盾が起きるパターンを消していきます。

 さて、基本はこれで大丈夫なのですが、この問題をややこしくしている「人間」という存在には注意が必要です。
「人間」はランダムに真実や嘘を言うため、発言がヒントになりにくく、消去法で見つけるしかありません。

 そこで、まずは発言がつねに一貫している天使や悪魔について考えていきましょう。

1人目の正体は?

 まず、Aが天使だと仮定した場合。

「私は天使ではない」の発言は「真実」となります。
 つまり、Aは「天使ではない」ということに……。

 Aを天使だと仮定すると、仮定と発言に矛盾が生じてしまいました。
よって、Aが天使ということはありえません。

 では、Aは悪魔なのか?

 その場合、Aの「私は天使ではない」の発言は「嘘」となります。
つまり、Aは「天使である」ということに……。
 Aを悪魔だと仮定すると、仮定と発言に矛盾が生じてしまいました。

 つまりAは悪魔でもありません。

 残された可能性はたったひとつ。
 Aは「人間」です。


2人目の正体……?

 次に、Bの正体を考えてみます。
 Bが天使だった場合、「私は悪魔ではない」の発言は「真実」ということになります。
ここに仮定との矛盾はありません。

 ではBが悪魔だった場合は?
「私は悪魔ではない」の発言は「嘘」であり、Bは悪魔だということになります。

 ここにも仮定との矛盾はありません。

 つまり、
Bが天使か悪魔のどちらかは、まだ特定できません。


3人目の正体へ

 Bが特定できないため、Cについて考えてみます。

 Cが天使だった場合、「私は人間ではない」の発言は「真実」ということになり、「Cは天使である」という仮定との矛盾はありません。

 では、悪魔だった場合はどうでしょう。
「私は人間ではない」の発言は「嘘」であり、Cは人間だということになります。
これでは、「Cは悪魔である」という仮定と矛盾します。

よって、Cは「天使」でしかありえません。

 そして、最後に残ったBが「悪魔」ですね。


「思考」のまとめ

 とてもシンプルですが、「仮定して考え、矛盾のない真実を導く」という、論理的思考のエッセンスが詰まった良問です。
わかっていることから思考をはじめて、論理がつながるかどうかを確かめていく。
 これが論理的思考の基本となります。

 加えてこの問題では、「正体がわからない人物」をいったん排除して考えることも重要なポイントでした。
「不確定な情報」を見抜くことも、論理的に考えるうえで大切なので、覚えておくとよいでしょう。


 ・わかっている情報を手がかりに考えるのが「論理的思考」の基本
  ・ひとつずつ仮定しながら、論理が成り立つか考えていく

(本稿は、『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』から一部抜粋した内容です。)

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2024年04月22日

【思考力チェック!】それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?

【思考力チェック!】
それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?
2024年04月21日 ダイヤモンドオンライン
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【思考力チェック!】
それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?
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「“母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である”というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?」

これは知識や計算はいっさい不要で、「考える力」のみが問われる「論理的思考問題」のひとつ。
論理的思考問題はGoogle、Apple、Microsoftといった超一流企業の採用試験でも出題され、「スティーブ・ジョブズ超えの天才」と言われたあのピーター・ティールも自社の採用試験に取り入れた。
これまでの正解が通用しない時代に必要な「思考力」を鍛える「最高の知的トレーニング」でもある。

そんな論理的思考問題の傑作を世界中から収集し、解説した書籍が『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』だ。「論理的思考」「批判思考」「水平思考」「俯瞰思考」「多面的思考」が身につく67の問題を紹介。
「頭のいい人の思考回路」がわかり、読むだけで、一生モノの武器となる「地頭力」が鍛えられると話題。
この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「慎重な判断ができる人」だけが解ける問題を紹介する。(構成/石井一穂)

■証明にひそむ罠に気づけるか?
 これまでとは少し毛色の違う、「証明」についての問題です。
 確実な答えを得るために確認すべきことを、直感を疑って考えてみましょう。

<正解>
「E」と「9」を裏返す

 またしてもカードの問題ですが、今回は確率の問題ではありません。
 どちらかというと、純粋な論理力が試されます。

 かなりシンプルな答えになりそうですが、ちょっとした発想の転換が必要になります。

直感で答えると……

「E」と「2」を裏返せばいいのでは?
 そう思った方が多いかもしれません。

 先に言ってしまうと、「E」は正解ですが「2」は間違いです。

「E」を裏返すことが正しいのは明白です。

「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立するには、当然、母音である「E」の裏に偶数が書かれていなければいけません。
 なので、このカードを裏返すのは確定です。

 そして多くの人が「2を裏返して、そこに母音が書いてあればルールを証明できる」と考えます。
 ですが……残念ながら不正解です。

 ここで見落としがちなのが、「9」の存在。

 仮に「2」の裏に母音が書かれていたとしても、
「9」の裏にも母音が書かれていたら、ルールは成立しません。 

ルールの見落とし
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数」
 このルールが成立しているかどうかを確かめるのが本問の趣旨です。

さて、ここからが重要なのですが、
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」
というルール、これは「偶数が書かれたカードの裏もかならず母音である」という意味ではありません。

 たとえ偶数の裏が子音であっても、「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数」というルールには違反しません。

 すなわち、
 偶数が書かれたカードの裏は母音でも子音でもかまわないのです。

確認すべき2枚目は「9」
 一方で、奇数が書かれたカードの裏はかならず子音でなければいけません。

 奇数のカードをめくって、そこに母音が書かれていたら、「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」のルールが破綻するからです。
 よって、裏返して確認すべきなのは奇数である「9」です。

 以上より「E」と「9」を裏返すことで、この4枚のカードにおいてルールが成立しているかどうかを確かめられます。


「思考」のまとめ
 世界的に有名な認知心理学者ウェイソンが考案した「ウェイソンの4枚カード問題」がもとになった問題です。
 当時、正解率は10%未満だったことでも知られています。

 この問題、じつは過去に習ったことが役に立ちます。

 高校の数学で習った「対偶」を覚えているでしょうか。
「AならばBである」が成り立つとき、「BでないならばAではない」も成り立つという法則です。

 たとえば「人間ならば動物である」が成り立つとき、「動物でないならば人間ではない」も成り立つということです。

 この対偶の概念を、今回の問題に当てはめて考えてみましょう。


 命題:片面が母音ならば、その裏面は偶数である
 対偶:その裏面が偶数でないならば、片面は母音ではない


 こうしてみると、「偶数でないカードの裏を確かめる必要がある」と、わかりやすいですね。
学生の頃、「こんな勉強が何の役に立つんだろう」と思った人は多いと思います。
 ただ、いっけんあまり役に立ちそうにない知識でも、思わぬかたちで役に立つものです。

 私たちが一生懸命努力して勉強してきたことは、将来にも何かしらの力になっていくはずです。


 ・「何が確認できればいいのか」だけでなく、「何が確認できなければいいのか」という視点で考えることも大事


(本稿は、『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』から一部抜粋した内容です。)


野村裕之(のむら・ひろゆき)

都内上場企業のWebマーケター
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2024年05月15日

ローマ字表記70年ぶり改定へ

ローマ字表記70年ぶり改定へ
2024年05月14日 TBS NEWS DIG

ローマ字表記の原則見直しへ 文部科学大臣が文化審議会に諮問 「し」の表記は「si」? それとも「shi」?

70年前に定められたローマ字のルールをめぐり、文部科学大臣が文化審議会に対し、ローマ字表記の在り方などを検討するよう諮問しました。

ローマ字について、日本には「し」を「si」と表記する「訓令式」「shi」と表記する「ヘボン式」の2つの表記があります。


一般的に地名などをローマ字で表記する場合には「ヘボン式」が使用されている一方で、1954年の内閣告示で「一般に国語を書き表す場合」に「訓令式」を使うと定められているため、学校ではローマ字の学習の際に「訓令式」が使われています。

しかし、それから70年が経ち、日本語を母語としない外国人への配慮や、英語のつづりに近い「ヘボン式」が浸透してきたことなどを踏まえて、「訓令式」をローマ字表記の基本としてきた原則を見直す方向で議論されてきました。

こうした議論を踏まえて盛山文科大臣はきょう、文化審議会に対し、ローマ字表記の在り方などを検討するよう諮問しました。

今後、文化審議会からの答申を受けて、内閣告示が改定される見通しです。
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2024年06月06日

「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる

「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる
知りたいことがあれば、臆せず聞きに行こう
多田 智裕 : AIメディカルサービスCEO
2024/06/05 東洋経済オンライン

今、世界的に注目されている医療AIスタートアップ「AIメディカルサービス」。
内視鏡AI(人工知能)という技術で世界に挑もうとしている。
創業者の多田智裕氏は、東京大学病院を30代で辞め、埼玉にてクリニック開業後、スタートアップという別世界に身を投じた。
そうした人生の転機にあたり、いろいろな人に話を聞きに行ったことが役に立ったという。
他人に学び、自分の力とするにはどうすればよいのか?
2024年5月に発売した著書『東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話』から抜粋・編集してお届けする。

経験していない人に話を聞いても意味はない
東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話

あまりご存じないかと思いますが、日本には、クリニックを開業しようとする医師のために、たくさんの開業コンサルティング会社が存在しています。
物件選びや資金繰り、看護師やスタッフは何人雇えばいいか、広報はどうしたらいいかなど、わからないこともたくさんありますから、開業コンサル会社にお願いする人も少なくないようです。
しかし、私は使いませんでした。なぜでしょうか。

実はずっと以前から、ファイナンシャルプランナー(FP)に資産運用を相談する人がいると聞くにつけ、私は不思議でなりませんでした。
そのFPが自分の資産運用に大成功した人であるのであれば、そのやり方を聞くのに私にも疑問はありません。
ただ、そんな人はFPとして働くことをとっくに辞めて、投資家になるなり悠々自適に暮らすなりしているはずです。

実際は、相手のファイナンシャルプランナーの運用実績さえ知らないまま、大切なお金についての相談をする人が多いのではないか。私はそれが疑問だったのです。

開業コンサルも同じです。実際にクリニックを開業して成功した人が開業コンサルをやっているのならいいのですが、ほとんどはそうではありません。
開業で成功した経験のある医師が行うコンサル会社もあるにはありますが、数えられるくらいしかありません。

開業コンサルは、普通のビジネスパーソンです。
開業してきた人たちをかたわらでたくさん見てきたかもしれませんが、実際に開業した経験があるわけでは決してありません。実際にすべてやったのと、脇からその一部を見ているのは雲泥の差があります。
コンサートの歌手と観客くらい身につく実力が違うでしょう。

そういう人たちの言いなりになり、アドバイスをもらうだけならまだしも、大切な判断を任せるというのは、私には理解ができませんでした。
場合によっては数百万円にもなる高額の手数料を払って、アドバイスをもらう意味がどうしても見出せませんでした。

すでに成功している先輩に話を聞きに行った
では、私はどうしたのかというと、クリニックの開業に成功している大学の先輩方に会いに行ったのです。

「ちょっと話を聞かせてもらえませんか」とお願いすると、多くの方が快諾してくださり、すぐに会ってくださいました。

もちろん手土産くらいは持っていきますが、それで1〜2時間、いろいろためになる話を無償で聞くことができたのです。
皆さん実際の経験者であり、開業に成功している人たちですから、コンサルよりはるかに学びになったと思います。

当時はまだ東大卒の開業医が少なかったこともあって、「こっちの世界に来るの? ようこそ、おいでよ」という雰囲気でした。
「こっちの世界」と言いましたが、医師にとって勤務医から開業医になるということは、鏡の反対側に行くようなものです。

どういうことかというと、給料をもらう側から払う側になるということです。
ボーナスももらう側ではなく、支払う側になるわけです。

給料を払う側になれば、いろいろなリスクも発生しますし、カバーする業務範囲も増えますし、雇われているときには必要とされなかった税務や会計の知識も学ばねばなりません。

その一方で、大学で雇われている医師にはできない医療ができます。
自分がこだわった医療機器をそろえるのも、最高のスタッフを時間をかけて厳選して採用するのも、思いのままです。

自分のやりたい医療ができる。
先輩方の経験談を聞くにつけ、開業への意欲はますます高まっていきました。

成功者はいつもウェルカム
お願いすると、すぐに会ってもらえたと言いましたが、私は別に強力なコネクションを持っていたわけではありません。
もし勝因があるとしたら、「頼んでも、きっと教えてくれないだろう」と尻込みせず、まず門をたたいてみたことでしょう。

自分が本当に話を聞きたいと思うような人物だったら、門前払いなどせず、きっと門戸を開いてくれるはずだ!
 そう信じて、まずはメールでも電話でもしてみることです。
意外に相手はすんなりと応じてくれるはずです。

のちに起業するときも、このスタンスで通しました。
実際に起業し、数十億の大型資金調達を成し遂げた人に会いに行って、起業のやり方のアドバイスをもらいました。

その中には、それまで会ったこともない方も多くいました。

なぜ面識も何もない人間が、聞きに行って教えてもらえるのでしょうか。
私も、自分から話を聞きたいと言っておいてなんですが、彼らが私と会うメリットがどこにあるんだろうとは思っていました。

しかし、実際に話をしてみて感じたのは、「こんなふうに会ってくれるような人だからこそ、成功しているのだ」ということです。
損得抜きに、同じ業界に入ってくる後進の面倒を見るような人だからこそ、成功をつかんでいるのです。

逆に言えば、人をむげに扱ったりするようでは、成功はおぼつかない、ということなのでしょう。

ですから皆さんも、何か知りたいことがあったなら、恐れず聞きに行くべきです。
礼儀さえ守ればあなたが思う以上に門戸は開かれている

「そうはいっても、自分は、相手に役立つ情報を何も持っていない。
本当にアドバイスを聞くだけの面会になってしまって、失礼ではないだろうか」という人もいるかもしれません。

それでも、「私はこういう現場で、こういうことを実践しています」とか、「僕はこんな研究をしていて、今のところこんな結果が出ています」とか、少なくとも「私はこのようなことをやりたくて、このような計画をしています」ということくらいは話せるでしょう。

私も今、話を聞かれる立場になって思いますが、そういう新しい取り組みの話を聞くだけで、相手は十分なのです。
それで年代の違う人からの視点や、最新情報を得られるだけで十分対等な取引になると思います。

ただし、一度会ったあとは、その後どんな展開や進捗があったかを連絡したり、報告したりしておくのが礼儀です。
聞きっぱなしで、「その後どうしたんだろう?」と思わせるのが一番失礼です。

特に、誰かを紹介してもらったときは、会ってどうだったかももちろん報告してください。
紹介した先との関係もありますから、こちらが思う以上に首尾を気にしているものです。
こうした礼儀さえ守れば、会いに行くことを恐れないことです。
あなたが思う以上に門戸は開かれています。
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2024年06月17日

恥かきました〜!読み間違いあるある

恥かきました〜!読み間違いあるある
6/16(日) たまひよONLINE

●6月16日は「和菓子の日」

西暦848年の平安時代。
日本では疫病がはやっていたため、当時の天皇が6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康をお祈りしました。
厄を払って福を招くこの行事は、室町〜江戸時代くらいまで盛んに行われていました。
豊臣秀吉が恒例行事として祝っていたという記録もあるそうです。
この行事を由来に、和菓子の日が制定されました。

おいしい最中=おいしい、さいちゅう??

和菓子には季節を感じさせるものも多く、その名前も風情や赴きがあります。

たとえば、雪の下から新芽が萌え出る様子を表現した「芽吹き(めぶき)」、11月には茶色に白い粉糖を振った「初霜(はつしも)」などなど。そんな和菓子の名前ですが、昔から伝わっていることもあり、どう読めばいいのかわからないものが多々あります。

その代表的なのが「最中」。
さいちゅうと読んでしまった人もいるのではないでしょうか?
口コミサイト『ウィメンズパーク』でも、間違えて読んで恥ずかしい思いをしているママや、子どものおもしろい読み間違いが並んでいました。

「娘がスーパーで『お正月に食べ過ぎたから、“だんしょく”した方がいいかも』と。男色? なぜ男色?とビックリしましたが、断食(だんじき)の事でした。周りのおばさまに笑われてしまいました」

「チラシの求人募集を見た息子、『オネエを募集してるよ』。
男女募集中でした。おとこおんなと、読んだらしい(笑)」

「幼稚園の息子がテレビの教育番組を観ていて『小学生なまものって何?』と。 “小学生、生物(せいぶつ)”と書いてありました」
確かに小学生はなまものですが(笑)。

「子どもが『“だいにんきない”ってなに?』と聞いてきて、???。正解は“大人気ない(おとなげない)”でした」

言われて気付きましたが、だいにんき と おとなげ って同じ字なんですね。

「中学3年生の娘が『友だちの履いてるニケの靴、買って〜』。はい、NIKE(ナイキ)のことです。
友達の前で言わなくてよかったね、と思う母でした」

大丈夫!ナイキが日本に上陸した頃は、そう読んでしまった大人がとてもたくさんいましたよ。

大人だって間違えます(恥)


「天気予報を見て、私が『明日は、さむけが強いんだって』と何の疑いもなしに言うと『えっ?ママ、マジで言ってんの? それ、カンキやし…』と呆れられました」

「『ねぇ、“こまめ”って何の豆かな?』と夫に言うと、『いや、あずきやから…、恥ずかしいから大声で言うのやめて…』と言われましたぁ〜」

「英語のテスト用紙のnameの欄。『おお、“なめー”かあ、先生、江戸っ子かい?』と思ってたら“ネーム”だったよ…。テストの結果は、推して測るべし(泣)」

“愛猫”を“あいねこ”と読んでました。正しくは“あいびょう”ですよね。人前で口にしなかったのが唯一の救いです」

ゲッ!知りませんでした!

「まだマルイが東京にしかない頃、上京してマルイを探していたんですが、『オイオイならあるけどマルイはないなぁ』とすっとぼけたことを友だちに言ったら目の前に。OIOIをオイオイって読んでました」

上京あるあるですね。

カタカナの“”ってまぎらわしい!
口(くち)を、カタカナのロと混乱するパターンも。

関口メンディーを、“せき ろめんでぃー”と読んでました〜」

「お菓子を勝手に開けて食べていた息子を注意すると『だって、あけロ(あけろ!)って書いてあるから』と逆ギレ。いや、あけ口(あけくち)なんだけどね。4歳にして確信犯です」

「ある日、駐車場から車を出す際、誘導表示に従っていたときのこと。
私が『この駐車場なんで命令口調なわけ?感じ悪っ!『出口(でろ)って書いてある』と夫に言うと、『……出口でしょ』。
夫には呆れられましたが、私はツボにはまってしばらく笑いが止まらなかったです」

コントか!?

「ハガキが来て、担当者の名前を見たらシエロさん?外人か?江口さんでした

髪染め液のシエロありますよね。売り出し広告を見て“江口”と読んでいました
「鶏肉のパッケージ。ロ”(ももモモ一口”(ももひとくち)を、“モモろ-)と読んで、ずっと新種の鶏肉かと思っていました」

日本語って難しい!

読み方に自信のないときは、声に出して言わないようにしないといけませんね。
特に、子どもの前では特に。

(文・井上裕紀子)

■文中のコメントはすべて、『ウィメンズパーク』(2022年1月末まで)の投稿からの抜粋です。
※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります
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2024年08月21日

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」というお題で出てきた、わかりみが深い回答・ベスト1

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」というお題で出てきた、わかりみが深い回答・ベスト1
2024年08月20日 ダイヤモンドオンライン

「とにかく面白い!」「頭の体操になる!」

それくらい話題になっている「大喜利」。
大喜利のように「斜め上の発想を出す」というスキルは、「面接での一言」「LINEでのうまい返し」「新企画のアイデア」などに使える“万能スキル”でもある。
そんな大喜利について、世界で初めて思考法をまとめた話題の著書『大喜利の考え方』では、「どうすれば面白い発想が出てくるのか」「どんな角度で物事を見ればいいのか」などを超わかりやすく伝えてくれている。
そこで、この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、大喜利的な思考法を詳しく解説する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

■「大喜利」に取り組んでみよう

 世の中は大喜利ブームです。
 そして、みなさんにもぜひ大喜利に取り組んでほしい。

 そうはいっても、どうやって大喜利に取り組めばいいのか、わかりませんよね。

 ここで、1つの補助線を引きましょう。
 それが、「お題 → 素材 → 加工」というステップです。

 まずは、「お題から連想する素材」をどんどん出すことです。

<お題>

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」選手権
 というお題を元にしましょう。

 どんな回答を思いつきますか?

 まずはなんでもいいから思いついたものを出してみてください。
 それらが大喜利の「素材」になります。

<回答>

 ニュースでの「乗客の中に日本人はいませんでした」というコメントは、「日本人さえ無事ならいい」という意味ではなく、大使館などに問い合わせが殺到するのを防ぐため

 いかがでしょうか。

 このように、世の中で「けしからん」と言われていることにも「ちゃんとした理由」があるはずです。

 それをあらためて考えてみると、このお題に対して、「いい回答」が出てくるはずです。

 大喜利で大事なのは、いきなり面白いことを考えることではなく、とにかく素材の「数を出す」ということです。

 その素材を上の例のように加工することで、回答に出すことができます。

 世の中で勝手に「けしからん」とされていることを伝えながら、正しいことを言う。

 そんな「1つだけひねりを加える」という方法が隠れていますね。

 こういうテクニックには、いくつかパターンがあるので、ぜひ身につけてみましょう。


(本稿は、『大喜利の考え方』から一部抜粋した内容です。)
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2024年09月02日

親が気付ける“心のSOSサイン”を児童精神科医を取材

親が気付ける“心のSOSサイン”を児童精神科医を取材
2024年09月01日 女子SPA!

夏休みが終わり新学期がスタートする時期にかけて、小中学生の子供の自殺が多くなる傾向があるといわれます。

 内閣府作成「平成27年度自殺対策白書」の18歳以下の自殺者における過去約40年間の日別自殺者数をみると、夏休み明けの「9月1日」にもっとも自殺者数が多くなっていることがわかります。

『児童精神科医が「子育てが不安なお母さん」に伝えたい 子どもが本当に思っていること』の著者「精神科医さわ」こと塩釜口こころクリニックの河合佐和院長は「夏休み明け前後は、とくに子どもをよく観察してほしい」といいます。

 夏休み明けに子どもの自殺が増える理由や、親が気をつけるべきポイント。
また、夏休み明けに子どもが「学校に行きたくない」と言い出したときの親の対応などについて、さわ先生に聞きました。

◆子どもにとっては学校が“世界のすべて”

――夏休み明け前後は、なぜ子どもの心が不安定になりやすかったり、自死が増えてしまうのでしょうか。

さわ:
大人でも、休み明けの月曜に「会社に行くの嫌だな」と思うことがありますよね。
子どもの夏休み明けの感覚は、それと似ているんだと思います。
友人関係の悩み、教師との関係など、学校に行きたくない理由は子どもによってさまざまですが、大人と子どもが決定的に違うのは、先の見通しが立てられないということです。

大人は、小学生時代の人間関係がその後の人生に影響することはほとんどないことを知っています。
私自身、小学校の頃の友達との付き合いはほぼありません。
でも子どもにとっては、学校が世界のすべてなのです。
そこで問題が生じると、未来の見通しが立てられなくて「死ぬしかない」となりやすいのが自死の要因の一つだと思います。
長期休み明けは、特に心の負担が大きくなりやすく、死という選択肢しか考えられなくなってしまうことがあります。

――心が不安定になっている子どもが発するサインにはどのようなものがありますか? 親が気づくにはどうしたらいいのでしょうか。

さわ:
「あと◯日で終わってしまう……」とカウントダウンをしながら、夏休み明けに向けて少しずつ元気がなくなり、表情が暗くなっていく子どもは多くいます。
「学校に行くの嫌だな」とポツリと言うこともあります。

また、ご飯を食べる量が減ったり、夜寝付きが悪くなったりすることもあります。
不安が強い子は不眠の症状が出ることが多く、私は診察でよく、ベッドに入ってから寝付くまでの時間を聞くようにしています。
親御さんにはまず、本人の表情を見てあげてほしいですね。

――子どもが夜遅くまでゲームをしたり漫画を読んだりするのは、不安を感じて寝付けないせいという場合もあるのでしょうか。

さわ:
そういうケースもあると思います。
「学校に居場所がない」と感じている子どもの中には、漫画やゲーム、インターネットの世界に心の居場所を求める子どもが一定数います。
そういう子どもたちに対して、理由を聞かずに真っ向から漫画やゲームを否定してしまうと「唯一の心の拠り所さえも奪われてしまった」ということになりかねません。
なぜ、それが必要なのか、その子にとってどういうものなのか、耳を傾けてあげないといけないと思います。

◆「学校に行く」以外の選択肢を示してあげてほしい

――夏休み明けに、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したときは、どんな対応が望ましいのでしょうか。

さわ:
「何言ってるの、行きなさい!」とすぐに子どもの言葉を否定して登校を促すのではなく、「どんなことが不安なの?」「何が嫌なの?」と具体的に対話をすることがとても大事です。

ただ、子どもは大人よりも気持ちを言語化することが苦手です。
人間の脳は年齢とともに発達していくので、小中学生の子どもはまだまだ未発達。
うまく言えないことが多いので、できるだけ表情からも心の不調を察してあげてほしいと思います。

子どもは「学校は行かなければいけないもの」と思っているために、「行けないから死ぬしかない」と思ってしまうことがあります。
「学校に行く以外の選択肢もあるんだよ」と教えてあげてください。
教育支援センターやフリースクールなど、学校に行けない子どもたちの居場所が今はたくさんあります。
定められた要件を満たしていれば出席扱いになることもありますよ。

また、「しんどくなったら2限目で帰ってきてもいいんだよ」とか、「給食だけ食べに行こうか」と言ってあげるのもいいと思います。
低学年のうちは、親御さんが付き添い登校をするのもいいでしょう。
子どもは大人より、こういった選択肢が思い浮かびにくいので、いろんな選択肢を示すことが大切です。

◆頭ごなしに怒ることが習慣になっている家庭は要注意

――小学校高学年や、思春期の中学生に対する接し方のアドバイスはありますでしょうか。

さわ:
ある程度自分の気持ちを話すことのできる小学校高学年以上の子どには「何か困っていることある? あなたのこと助けたいと思ってるよ。
お母さん(もしくはお父さん)にできることはある?」と聞くように親御さんに伝えています。

低学年だとそう聞かれてもうまく話すことが難しかったりするので、高学年以上の子どもにおすすめしているアプローチです。「この人には何を相談してもいいんだ」という関係性を作り、親自身が子どもの安心できる居場所になることが重要だと思います。

そして、求められていないのに、過度に干渉するのはやめましょう。
親には秘密にしておきたいことも出てくる年頃です。
助けを求められる環境を用意して、あとは子どもが話してくるのを待つこともとても大切です。

――子育てをしていると、つい子どもに対して怒ることが増えてしまうことがあります。
普段から怒ってばかりだと、子どもが親に相談できないと感じることもあるのでしょうか。

さわ:
もともと、子どもを頭ごなしに怒ることが習慣になっているご家庭は要注意だと思います。
そもそも、怒らなくても子どもに伝えることはできます。
常日頃から、本人の存在を肯定するような声かけをしておく必要があると思います。

「何を言っても怒られる」と子どもが感じていると、何かあったときに親に助けを求めることができません。
「どうしていいか分からない」と追い詰められてしまう子どもには、そういった家庭の背景があると思います。

◆学校が嫌な理由を探るより、大切なこと

――さわ先生なら、夏休み明けに不安を感じている子どもにどんな言葉をかけますか?

さわ:
私の場合は、「先生も月曜日に仕事に行くのめっちゃ嫌なんだよね、家にいたほうがいいよね」と、学校に行くのが嫌だという気持ちに共感することが多いです。
そこで、「だけど、学校って楽しいこともあったりしない?」と聞くと、子どもによって違うのですが友達と遊ぶことや、給食の時間なら好きだと言ったりします。

夏休み明けは、学校で楽しかったことを忘れてしまって嫌なことばかり思い浮かべてしまうことがあるので、楽しいことを思い出させてあげながら話を聞くことがありますね。
ただ、子どもが10人いたら10人答えが違いますから、「楽しいことがあるなら、行きなさい」というような伝え方はしないようにしています。

一番大切なのは、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したときに「そんなこと言わないで行ってきなさい」と頭ごなしに否定しないことです。
子どもに話も聞かずに追い詰めるのはやめてほしいなと思います。

――親が子どもの話を聞くときに、どんなことを心がけるといいのでしょうか。

さわ:
「学校が嫌な理由が分からなくてもいい」「話せそうだったら話してね」という前提で話を聞くことが大事だと思います。

でも、学校に行きたくない理由なんて本人でもわからないことが多いんです。
あるお母さんから「明確な理由がないのに休ませていいんですか」とご質問をいただいたことがあるのですが、大人でもモヤモヤした感情の理由が分からないことがありますよね。

 そこで「理由がないなら認めない」「そんな理由なら学校にいきなさい」という対応をするのではなく、子どもの気持ちに寄り添って話を聞いてあげてほしいと思います。

◆まずは公的な窓口に相談を

――「お母さん(お父さん)には話したくない」と言われてしまった場合はどうしたら?

さわ:
相談相手はかならずしも親である必要はありません。
例えばスクールカウンセラーなど「お母さん以外の人に相談することもできるよ」と提案してあげるのもいいでしょう。
スクールカウンセラーはほとんどの小学校、中学校、高等学校に配置されていて、子どもたちだけでなく保護者や教職員に対する相談にも対応しています。

子どもがスクールカウンセラーと話したくないという場合は無理強いせず、親御さんだけで相談に行ってみてもいいと思います。
また、学校の担任の先生と連携が取れているなら、先生に学校での様子を聞いてみると、事情がわかるかもしれません。

学校以外にも相談先はあり、厚生労働省のサイトには「いじめや不登校、ひきこもりなどの相談窓口」として児童相談所や、児童家庭支援センター、教育センター、引きこもり地域支援センター、発達障害者支援センターなどが紹介されています。

子どもの状態から医療のケアが必要だと判断された場合には、こういった相談窓口から私たちのような医療機関を紹介されることもあります。
各専門機関の連携が取れているという意味でも、まずは公的な窓口を利用してもらいたいと思います。


【精神科医さわ】
児童精神科医。精神保健指定医、精神科専門医、公認心理師。名古屋市「塩釜口こころクリニック」院長。
開業直後から予約が殺到し、現在も毎月約400人の親子の診察を行っている。
これまで延べ3万人以上の診察に携わっている。
2023年11月医療法人霜月之会理事長となる。
近著に『児童精神科医が「子育てが不安なお母さん」に伝えたい 子どもが本当に思っていること』

【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。
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2024年09月04日

「クリアファイル」捨てたら損!何度も書き直せる“意外なもの”に変わる!

「クリアファイル」捨てたら損!何度も書き直せる“意外なもの”に変わる!
9/3(火)saita

こんにちは、整理収納アドバイザーの三條凛花です。

モノを捨てる前に「なにかに使えないか?」と考えてから処分するようにしています。

今回は余った「クリアファイル」を使ったアイディアをご紹介します。

クリアファイルは「透けるホワイトボード」に生まれ変わる

自宅で眠っている「クリアファイル」はありませんか?

今回紹介するのはクリアファイルを「透けるホワイトボード化」するアイディアです。

ホワイトボードの「何度も書き直せる」特性を持ちつつ、透明のクリアファイルを使うことで、自分で何度も同じことを書かなくてもいい仕組みづくりができちゃうんです。
さまざまなシーンで使うことができますよ。


材料
材料は2つだけ。

・クリアファイル(透明のもの)

クリアファイルは、会社のロゴ等が入っていてもいいのですが、必ず「透明」のものをご用意ください。

・ホワイトボード用ペン

ホワイトボード用ペンは、100円ショップでも入手できます。
「細字」タイプがおすすめ。


活用例1 子どものテスト勉強に

1つ目は、子どものテスト勉強に使う活用例です。

A4サイズに収まるプリントやページであれば、本体に書き込まず何度でも解き直すことができます。間違った問題だけ本体にしるしをつけていけば、自分だけの「間違いやすい問題集」が作れますよ。

活用例2 チェックリストに

2つ目は、チェックリストとして使う方法です。

A4サイズの用紙に、手書きでもパソコンでもいいので、あらかじめ内容を書いておきます。
あとはクリアファイルにはさめば、何度でもチェックしなおせるリストが簡単に安価でつくれますよ。

この方法のいいところは、「たまにしか使わないもの」や「突発的な持ち物」を書いたり消したりできること。「プールバッグ」は夏しか使わないので、印刷してしまうと不要なものがずっと載っている状態に。
必要な時だけ書き足すことができるので便利です。

活用例3 項目が書かれたメモに

献立やスケジュールなど、何度も考える必要がある内容はまっさらなホワイトボードよりも「項目」が記載されているほうが考えやすいですよ。

たとえばこれは1日のスケジュールをメモするものです。
時間帯別に分けてあり、ざっくりメモできます。

右側はデザインアプリでつくったもの。左側は7歳の子どもがつくったもの

時間帯を書けばすぐに作れます。
よりわかりやすくするなら、紙を四つ折りにしたり、線を引いてもOK。そこまで手間ではありません。

こちらは献立を記入するためのシートです。

常備菜なども一緒に調理していると、何を作る予定だったか忘れたり、必要な材料をその都度冷蔵庫から取り出したりと手間がかかっていました。
作るものが分かる状態になっていればその時間がなくなります。

「透けるホワイトボード化」したクリアファイルの活用法は無限大です。

日常の中で「何度も書いている」「何度も考えている」ことがあれば、この方法でうまくいくかもしれません。
ぜひ試してみてくださいね。

三條 凛花/エッセイスト、整理収納アドバイザー
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2024年09月23日

黒板の「書き写し」、教科書に「蛍光マーカー」は意味がない…最新研究でわかった「頭がよくなる科学的な勉強法」

黒板の「書き写し」、教科書に「蛍光マーカー」は意味がない…最新研究でわかった「頭がよくなる科学的な勉強法」
2024年09月22日 PRESIDENT Online

効率よく学習を進めるにはどうすればいいのか。
アメリカの医師国家試験にトップ1%の成績で合格した米国内科専門医の安川康介さんは「長時間勉強しても、非効率な勉強を続けていれば成績は上がらない。
黒板や参考書を書き写したり、教科書に蛍光ペンで線を引いても、勉強した気になっているだけの可能性がある」という――。

■「効率の悪い勉強法」は今すぐ見直したほうがいい

――長時間勉強しても成績が伸びない、と悩んでいる人は多いと思います。まずは効果的ではないNG勉強法を教えてください。

効果的ではない勉強法はいくつかあります。
まず、教科書や参考書にハイライトや下線を引くことですね。
これは多くの学生が行っている一般的な勉強法ですが、実は効果が低いことが研究で明らかになっています。

アメリカの大学生を対象とした研究では、8000語の文章をハイライトするグループ、ハイライトしないグループ、他の人がハイライトしたものを読むグループに分けて実験を行いました。1週間後、10分だけ文章を見直してからテストを行ったところ、どのグループでもテストの点数に差がなかったのです。

さらに、別の研究では、下線を引きながら読むグループのほうが、推論問題の点数が低くなるという結果も報告されています。これは、下線が引いてあるところだけに気が向き、全体の内容を関連づけて理解することが阻害されてしまった可能性があります。

ノートの取り方に関しては、教科書や参考書の内容をただ書き写したり、まとめたりすることも効果が低い勉強法の一つです。アメリカの高校生180人を対象にした研究では、文章をそのまま書き写した生徒は、ただ文章を読んだ学生と変わらない結果でした。

これは、脳で負荷のかかる処理がほとんど行われないためです。

■「書き写す」より「自分の言葉で言い換る」がいい

一方で、自分の言葉でパラフレーズしたり、短く要約したりした生徒のほうが、ただ読んだ学生や書き写した学生よりも高い点数を取りました。

ただし、要約の質には個人差があります。
要約するのが上手い人がいる一方で、要約があまり上手くない人もいます。
ある研究では、研究に参加した約3分の1以上の大学生は、学習内容についてきちんとした要約ができていませんでした。
的確に情報を捉えた質の高い要約をしている学生では、テストの点数がより高かったことが報告されていますが、要約が得意でない人はある程度の訓練が必要です。

また、一夜漬けなど、一度にまとめて勉強しただけでは、長期的な記憶形成に結びつかないことが多くの研究結果で明らかになっています。
テストに受かるためだけならいいかもしれませんが、記憶の定着を考えるとこうした間隔をあけずに一度に続けて勉強する「集中学習」では、本質的な学びにはなりません。
テスト前に頑張って詰め込んだのに、2週間後にはほとんど忘れてしまっていた、という経験は多くの人にあるのではないでしょうか。

――多くの人が効果的だと信じている勉強法で、実は効果が低いものはありますか。

はい、実は多くの人が良いと思っている勉強法の中に、効果が低いものがあります。
特に意外かもしれないのが、「好みの学習スタイルに合わせる」という方法です。

よく「勉強法は人それぞれ。自分の好きな学習スタイルで勉強するのが一番効果的だ」と言われることがありますよね。
例えば、視覚情報が好きな人は図やグラフや映像などの視覚的な情報を中心に学習し、耳から聞くのが好きな人は音声教材などの聴覚の情報を中心とした学習を行うというものです。

■「自分にあった勉強法」はあてにならない

しかし、こうした学習者の好みの学習スタイルを判別し、学習方法を変えたほうが効率的なのかについては、今のところ科学的根拠はあまりないのです。

著名な認知心理学者たちが学習スタイルの効果についてまとめた論文では、学習者の学習スタイルを判別し、それに合わせた学習をしたほうが良いとする科学的な根拠は現時点では不十分であり、いくつかの研究では、それを裏付けない結果が出ていることが報告されています。

例えば、解剖学のコースを履修する大学生426人を対象とした研究では、自分の学習スタイルと合う勉強法を行った学生の成績は、自分の学習スタイルとは異なる勉強法を行った学生と比べて高くなかったことがわかっています。

むしろ、あまりに「自分にはこの勉強法が合っている」と囚われてしまうと、本当に効果的な勉強ができない可能性があります。

――学習スタイルに合わせない勉強は無駄だと聞いたことがあります。これは本当でしょうか。

その考え方は実は誤解です。
「自分は視覚型だから、図や表を使わないと効果がない」とか「自分は聴覚型だから、音声教材でないと学習効率が悪い」といった固定観念は、むしろ学習の可能性を狭めてしまう危険があります。

確かに、自分の好きな学習スタイルで勉強することがモチベーションにつながる面はあります。
しかし、それだけに頼ると、他の効果的な学習方法を見逃してしまう可能性があるのです。

■科学的に裏付けのある勉強法を継続してみる

例えば、学習者にアンケートと空間認識能力のテストを行って「視覚情報を好む視覚型」か「言語型」に分け、視覚情報を中心とした学習と文字情報を中心とした学習のどちらかをしてもらい、その効果の違いを調べた研究があります。
この調査では、それぞれの学習スタイルに合わせた学習を行っても、特に学習効果は上がりませんでした。

重要なのは、自分の好みや固定観念に囚われすぎず、科学的に効果が検証されている学習方法を柔軟に取り入れることです。

アクティブリコール(勉強したことや覚えたいことを、能動的に思い出す勉強法)や分散学習(学習を時間的に分散させて行う方法。いすれも後述)など、本当に効果的な勉強法は、必ずしも自分では効果が実感できないものもあります。
試してみた時の感覚では「これはあまり良くないなあ」「あまり覚えられていないなあ」と感じる学習法が、実は長期的にみればより効果が高いということもあるのです。

ですから、「自分には合わない」と決めつけずに、科学的に効果があるとされている学習方法を柔軟に試してみることが大切です。そうすることで、より効果的な学習が可能になり、結果的に学習効率が上がる可能性が高くなります。

■「非効率な勉強法」が広まった理由

――なぜこのような効果的ではない勉強法が広まっているのでしょうか。

不思議なことに、今の義務教育では、勉強すべき内容は教わりますが、「どうしたら科学的根拠に基づく効果の高い勉強ができるのか」という勉強法そのものは、あまり教えてくれません。
そのため、多くの学生が効果的ではない勉強法を知らずに実践してしまっているのだと思います。

また、ハイライトを引いたり、ノートを取ったりすることで、「勉強した気」になってしまうという心理的な要因もあります。これは「流暢性の錯覚」と呼ばれる現象で、実際には内容を記憶し深く理解していないにもかかわらず、自分の知識や習熟度を過大評価してしまうのです。

■「白紙勉強法」と「分散学習」がオススメ

――効果的な勉強法にはどのようなものがありますか。

効果的な勉強法としては、まずアクティブリコールがあります。
これは、勉強したことや覚えたいことを、能動的に思い出すことです。私が医学生の頃から実践してきた「白紙勉強法」は、このアクティブリコールを活用した方法です。

具体的には、覚えたい情報(英単語帳、教科書、参考書など)をまず読み、その後、その情報を見ないで、覚えたい内容を白い紙にできるだけ書き出します。

記憶の手掛かりがない状態で頑張って記憶から内容を引き出した方が、ヒントが与えられた状態で思い出すよりも記憶の定着が良いことを示唆する研究もあるため、何も見ないでまず書き出してみる、ということを行います。
効果の高い勉強のためには、アクティブリコールのように、脳により負荷がかかる「望ましい困難」が必要だとされています。

覚えにくい内容は声に出しながら書き、さらに誰かに教えているフリをしながらアウトプットすると効果的です。
声に出した方が黙読するよりも記憶の定着が高まる現象は「プロダクション効果」と呼ばれています。
誰かに教えることで、理解が深まることは「プロテジェ効果」と呼ばれており、私はアクティブリコールとこうした方法を組み合わせています。

書き出せなかったり、思い出せなかったりした情報は、また元の情報を見直して確認(フィードバック)します。
アクティブリコールも、こうしたフィードバックがある方が効果が高いことが分かっています。

もう一つ重要な勉強法として、分散学習があります。
これは、学習を時間的に分散させて行う方法です。
同じ時間勉強するにしても、時間を分散させたほうが長期的に記憶に残ることが多くの研究で示されています。

例えば、2時間続けてある範囲の英単語を勉強するよりも、今日は1時間、別の日に1時間と分散したほうが、時間が経ってテストした時に、覚えている単語の数は多くなります。
この効果は、大人から子どもまで、数学、外国語、歴史、生物学などを含めた幅広い分野の勉強において確認されています。

■黒板を書き写すだけではダメ

――効果的なノートの取り方として「コーネル式ノート術」を推奨されていますね。

効果的なノートの取り方として、私がお勧めするのはコーネル式ノート術です。
これは、ノートのページを3つのセクションに分けて使う方法です。

具体的には、ページをA・B・Cの3つのセクションに分けます。
Aのセクションには覚えたい内容を書き、Bのセクションにはその内容に関した質問やキーワードを書きます。
そして、Cのセクションには自分の言葉で短くまとめを書きます。

復習する際は、Aのノートの部分を隠して、Bの質問やキーワードからアクティブリコールできるか試します。
このようなアクティブリコールができるノートのほうが、普通に読んで復習するだけのノートよりも効果的です。

――安川さんご自身の経験も踏まえて、スキマ時間を効果的な学習時間に変える方法を教えてください。

スキマ時間は素晴らしい勉強時間だと考えています。
例えば、通勤時間や通学時間といった隙間時間も、勉強に最適です。私も学生の時は、電車の中で勉強や読書することが習慣化されていて、1人で電車に乗ることが勉強開始の合図になっていました。

たとえ満員電車で本が開けないような状況でも、昨日覚えたことを頭の中で思い出す(アクティブリコール)という効果的な勉強ができます。
思い出せなかったところは、電車を降りたあとに確認し、フィードバックします。

■勉強の効果は、本人には実感しにくい

アメリカの医師国家試験の勉強をした時は、トイレに薬理学のフラッシュカードなど、短時間でも進められる教材を常に置いていました。
現在でも、子どもの習い事の待ち時間などのスキマ時間をできる限り勉強や仕事に活用しています。

――最後に、読者へのアドバイスをお願いします。
効果的な勉強法を始めたものの、すぐに効果が感じられずに挫折してしまう人も多いと思います。
長期的に見て成果を出すために、どのような心構えや工夫が必要でしょうか。

はい、重要なポイントがあります。
それは、「勉強の本当の効果は、勉強している時、本人には実感しにくいことがある」ということです。

例えば、アクティブリコールを行った学生は、勉強直後は他の方法で勉強した学生よりも自信がなかったという研究結果があります。
しかし、実際のテストでは最も高い点数を取っていたのです。
ですので、科学的に効果的な勉強法を地道に続けることが重要になるのです。

(米国内科専門医 安川 康介
       取材・構成=昼間たかし)
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2024年10月04日

三日坊主必見! 勉強を習慣化する3つのステップ

三日坊主必見! 勉強を習慣化する3つのステップ
2024年10月03日 ダイヤモンドオンライン

成績アップ率、驚異の95.7%を誇る、門外不出の勉強法をついに解禁! 小学生から社会人まで世代に限らず、「こんな勉強法があるなんて知らなかった!」という声が続々。
なぜ、ストレスフリーになると、勉強で成果を出せるのか。
そこには「一瞬で覚えられる」「10分の1の勉強時間で」という魔法のような方法はありません。
最新の脳科学に裏付けられた、誰でも効果が出る『ストレスフリー勉強法』よりすぐに使えるノウハウを紹介する。

■好きなことと一緒に勉強すると、習慣化がはやい
 習慣化したいことと、自分の「好きなこと」を一緒に行なうことで、勉強を習慣化することができます。

■1.活動を明確にする

 まず、あなたが習慣化したい活動を明確にします。
「毎日30分間の数学の勉強」や「週に3回、英語の単語を覚える」といった具体的な目標を設定しましょう。
目標をはっきりさせることで、何に対して適用するのかが明確になります。

■2.好きなことをリストアップする

 次に、自分の「好きなこと」をリストアップします。これは、「音楽を聴くこと」「特定のテレビ番組を見ること」「好きなスナックを食べること」など、あなたが楽しんで行なう活動です。このステップでは、勉強や習慣化したい活動をする前や、その最中に楽しむためのものを選ぶことがポイントです。

■3.2つを組み合わせる

 最後に、習慣化したい活動と「好きなこと」を組み合わせます。
「数学の勉強を30分やったら、その後で15分間お気に入りの音楽を聴く」といった具合に、勉強やタスクの前後に楽しい活動を配置します。

 同時並行できるものなら、「お菓子を食べながら勉強する」のようにしてもよいでしょう。

 この組み合わせにより、勉強やタスクを始めるモチベーションを高めるとともに、終えた後の満足感や報酬も得られます。

 この3ステップを繰り返すことで、徐々に勉強やタスクが習慣化され、最終的には「好きなこと」なしでも、活動を自然と行なえるようになります。

 重要なのは、はじめは小さな目標から始めて徐々にステップアップしていくことです。
これにより、挫折することなく、習慣化に成功しやすくなります。

(*本記事は、『科学的アプローチで勉強がとまらなくなる ストレスフリー勉強法』より一部抜粋し、再編集したものです)
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2024年10月06日

科学的アプローチで勉強がとまらなくなる「超・1分勉強法」

科学的アプローチで勉強がとまらなくなる「超・1分勉強法」
10/5(土) ダイヤモンド・オンライン

成績アップ率、驚異の95.7%を誇る、門外不出の勉強法をついに解禁! 小学生から社会人まで世代に限らず、「こんな勉強法があるなんて知らなかった!」という声が続々。
なぜ、ストレスフリーになると、勉強で成果を出せるのか。
そこには「一瞬で覚えられる」「10分の1の勉強時間で」という魔法のような方法はありません。
最新の脳科学に裏付けられた、誰でも効果が出る『科学的アプローチで勉強がとまらなくなる ストレスフリー勉強法』よりすぐに使えるノウハウを紹介する。

● 勉強をなかなか始められない人は、 とりあえず1分頑張る
++
 長時間勉強しなければならない!という思い込みは、勉強の習慣化から程遠いものです。
そこで、「1分」区切りで勉強するのです。やり方はとっても簡単です。

1.やるべき教材を目の前に広げる
2.タイマーを1分にセットする
3.タイマーが鳴るまで勉強を続ける

 たったこれだけです。
タイマーが鳴ったら、勉強を終了してOK。
でも、もし「もう少しできるな……」と思ったら、そのまま続けてみましょう。

 この方法で、これまで教えてきた数多くの生徒が、勉強を習慣化することができました。

 「1分でもいいと思うとすごく始めやすい。
1分でほんとにやめちゃうことも多いけど」

 これは、北海道大学に合格した生徒が実際に言ってくれた言葉です。

 ここに至らない人には、さらに効果的な方法を教えましょう。

 1分もいりません。数秒です。
この方法を用いることで、勉強に対するハードルがものすごく下がります。
やることはたった2つ。

1.教科書や参考書を開く
2.ペンを持つ

 以上です!2まで進んだら、そこで勉強をやめても構いません。

 「でも、本当にやめてしまったら意味ないですよね?」という質問をよく受けます。
ですが、本当にペンを持った後、勉強をやめてしまってもよいのです。

 行動の模倣といって、習慣化したい行動の「マネ」をすることで、その行動を実際に行なうことへの抵抗感が減ることが研究で明らかになっています。
これは本当に誰でもできる方法ですので、ぜひ取り入れてみてください。

 (*本記事は、『科学的アプローチで勉強がとまらなくなる ストレスフリー勉強法』より一部抜粋し、再編集したものです)

粂原圭太郎
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2024年10月16日

短時間で集中的に覚えた内容は脳が忘れやすい!忘れにくくなる4つの勉強タイミング

短時間で集中的に覚えた内容は脳が忘れやすい!忘れにくくなる4つの勉強タイミング
10/15(火) THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)

勉強が続かなくて悩んでいませんか? 
オンライン個別指導塾「となりにコーチ」の代表講師・粂原圭太郎氏の著書『科学的アプローチで勉強がとまらなくなる ストレスフリー勉強法』によると、「脳科学的に正しい勉強法がある」と言います。
一体どんな方法でしょうか? 本書から一部を紹介します。

4つのタイミングで勉強すると、忘れにくくなる

皆さんは、「一夜漬け」をしたことはありますか?
 定期テストの前にやった、もしくは今もやってしまう人もいるでしょうか。
私も、一夜漬けに頼っていた時期があります。
しかし、一夜漬けをしたことがある人も、勉強内容が身についた経験はあまりないでしょう。
短時間で集中的に覚えた内容は、脳が忘れやすいからです。

では、一夜漬けが長期的な学習として効果がないなら、その「逆」はどうでしょう?
 逆とは、一夜漬けのように一気に勉強するのではなく、一定の期間を空けて勉強することです。
実は、間隔を空けて勉強するのは記憶の定着に非常にいいとされています。
この効果を「スペーシング効果」と呼びます。

スペーシング(spacing)とは、「間隔を空ける」という意味。
情報や内容を短期間ではなく、時間を空けて繰り返し学習すると、長期記憶の向上につながるのです。
スペーシング効果は、「エビングハウスの忘却曲線」で知られるドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが発見しました。忘却曲線とは、時間が経つにつれて記憶したことを忘れてしまう様子を表した曲線です。

一度覚えたはずの数学の公式が1週間後にはおぼろげになり、1か月後には完全に忘れてしまう経験は誰しもあるでしょう。
一定期間を空けながら分散・反復で勉強していくことで、なるべく忘れないように効率を上げていくのが狙いです。

エビングハウスの忘却曲線から導き出される復習の最適なタイミングは、「1日後」「1週間後」「1か月後」の31回。
私は、ここに「ある時間帯」をプラスした合計4回をおすすめしています。
それは、覚えた日の「寝る前」です。

人間の脳は、寝ているときに記憶を整理します。
睡眠中は何もしていないと思ってしまいますが、脳はしっかり働いています。
寝る直前にインプットした記憶は、脳の中で整理され、定着するのです。
新しいことを覚えるときには、次の4つのタイミングで復習するのが効果的です。

効果的な復習の4つのタイミング

(1)初めて学んだ日の寝る前(就寝の30分前)
(2)翌日
(3)1週間後
(4)1か月後

たとえば、新しい英文法を覚えたとします。
まずはその日の寝る前に学習したことを思い出しながら要点をノートにまとめてみます。
まとめ方のおすすめは2種類あり、「学んだことを時系列で書き出す」か「印象に残ったことから順番に書き出す」のいずれかがいいでしょう。

時間がない場合は「その日の学習で得た一番大きな気づき」を1つピックアップするだけでもOKです。
翌日にそれを見返しながら、関連する文法なども併せてインプットします。
1週間後には少し忘れているので、まず要点を思い出そうとしてみて、うまく出てこなかった部分を中心に学習し直してみてください。

練習問題を解いたり、自分で問題を作ってみたりするのもおすすめです。
自分で問題を作ることで、本質的な理解が深まります。
1か月後のタイミングでは億劫に感じてしまいますが、やるのは作った問題を解くだけです。
このように繰り返し学習すると、記憶に定着するだけでなく、その単元でどこが弱いのかが把握できるようになります。

タイミングごとにまったく同じやり方で復習するのではなく、いろいろな形で思い出すことによって脳をマンネリ化させないのがポイントです。
復習のタイミングを忘れてしまう人に、おすすめのアプリがあります。
それは「Google Keep」というGoogle のメモ帳アプリ。
メモ帳とは言ったもののリマインダー機能と一体になっており、勉強の管理に非常に便利です。

リマインダー機能で毎日決まった時間に「復習タイム」のアラートを設定しておき、メモの部分に「何日に何をやるか」の詳細を書いておけば忘れません。
復習を4回も行なうのは多すぎだと感じるかもしれません。
しかし、新しいものをいくらインプットしたとしても、覚えたそばから忘れていっては元も子もありません。

今日新しく覚えたことを、1か月後に果たしてどれだけ鮮明に覚えているでしょうか?
 今日覚えた公式は、復習しなければ1か月後には「100%」忘れます。
何度も復習して土台を固めていくのは効率が悪いように見えますが、まったく復習せずゼロから新しく覚え直すほうがよっぽど非効率です。
たとえ少しずつでも、着実に身につけていきましょう。

実際に、定期テストの前に一夜漬けで勉強したときに英語が55点だった生徒は、スペーシング効果を利用して細かく時間を分けて勉強したときには80点を取ることができました。
勉強した総時間数はほぼ同じなのに、後者のほうが圧倒的にテストの点数がよかったのです。
同じ勉強時間で勉強効率が変わるなら、やらない手はありません。

実は、その生徒は、成績が向上しただけではなく、「勉強が楽しくなってきた」と言って、以前より意欲的に勉強するようになったのです。
これは、結果が出たことで勉強に対するストレスが軽減されたことの表れでしょう。
十分な復習時間がないときは、「こんな内容を学んだ」と軽く触れるくらいでも問題ありません。寝る前にざっと確認しただけのときは、翌日にしっかり振り返るといいでしょう。

とにかく時間を空けて「刻む」ことが大事です。
これができると、それまでの定期テストなどで一夜漬けだった人も、コツコツやる習慣がついていきます。
「自分ってコツコツやることもできたんだ」と自信にもつながり、勉強のモチベーションが上がるなど、いいことだらけです。

粂原圭太郎
オンライン個別指導塾「となりにコーチ」の代表講師
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2024年11月04日

和田秀樹「競争なんてしなくていい」で育つ子どもの不幸 学校では「勝ち負け不要」でも実社会は競争だらけ

和田秀樹「競争なんてしなくていい」で育つ子どもの不幸 学校では「勝ち負け不要」でも実社会は競争だらけ
11/3(日) 東洋経済オンライン

「幼児教育でもっとも大事な点は、子どもにどう向き合うかという親の意識」ーー。
長年、受験指導にあたり、教育に関する書籍を多数出版してきた精神科医の和田秀樹氏は、変化の激しい時代・正解のわからない時代において、子どもたちをどのように育てるか、という点を、さまざまな視点から論じてきました。

本記事では、和田氏の著書『5歳の壁: 語彙力で手に入れる、一生ものの思考力』から一部を抜粋し、競争を避けたがる保護者の増加など近年の風潮と、そのことによってどのような影響があるかについて考えていきます。

■「やさしくて性格の良い子」に安心する保護者

 子どもたちの受験指導をしていて感じるのは、最近の保護者には非常に神経質になっている方が多いということです。

 最近では我が子が自信過剰だとか、負けん気が強いと人から思われることを恐れている親御さんも少なくありません。
やさしくて性格の良い子だと言われると、安心する親も多いです。

 また、我が子が友だちに勝ったことで得意になっていたり、負けたことを悔しがったりすると、「性格が悪いって言われるから、そんなことは言ってはいけない」とか「あまり勝ち負けを考えない方がいいよ」などと言って、負けん気の強い子を潰してしまう親もいるようです。

 しかし、負けん気が強いというのは、実はとても大切な特性なのです。

 子ども時代から何かあったらすぐに自信をなくしてやる気をなくしてしまうようでは、これから先の長い人生を生き抜いていくことは難しくなります。
「絶対に自分は負けない」「負けてたまるか」という強い気持ちが、この先に待ち受けているかもしれない困難を乗り越える原動力になるのです。

 もちろん、勝つためには何をしてもいいという考えはよくありませんが、根底に「人に勝ちたい」「負けたくない」という気持ちがなければ、子どものやる気は育ちません。
ましてや格差社会が進む社会では、負けん気の強い方が「何とかして生き延びよう」という力が高くなるのは確かです。

 ですから、我が子の負けん気が強くても親御さんは気にする必要はないと思います。

 日本というのはダブルスタンダードな社会です。
今の学校では傷つく子どもを減らそうという意図から、競争が極力避けられるようになっています。
そのため学校では「競争はしなくていい」「勝ち負けは不要」などと言われて育ちますが、実際に社会に出たらそうはいきません。

 学歴による選別が行われ、社会に出た後も競争を強いられます。
そこで負ければ叱責されたり、減給されたり、リストラされることもあります。
競争なんてしなくていいと言われて育ってきたのに、実際には超競争社会。それが今の日本社会です。

 言葉は悪いですが、それは大事なペットとして育てた動物をジャングルに放つようなものと言えるでしょう。
子ども時代は絶対に傷つけないような配慮をされていた子どもが、いざ社会に出てうまくやっていけると考えるのは甘い考えなのではないでしょうか。

 子どもが大人になってからジャングルの中でもたくましく生き延びてほしいのであれば、多少は競争に慣れさせて育てたほうがいいと考えています。

■社会に出てから困るのは子ども

 それから親御さんの懸念という意味では、負けん気が強い、あるいは自信の強い子どもの場合、我が子が周りから嫌われてしまうのではないかと気にする親御さんも多いのですが、よほど極端な子でなければ、社会に出ると性格が丸くなっていくものです。

 たとえば、レベルの高い学校に入ると、自分よりも成績のいい人がたくさんいることを知って「これはまずい」と危機感を感じます。

 社会人になって現実を見れば、自分の足りなさに気づくこともあります。

 私自身もそうでしたが、社会経験を積むことによってどんどん角が取れていく人も多いです。
社会で成功して恵まれた環境にいるうちに気持ちの余裕が出てきて、性格が鷹揚(おうよう)になっていく人も少なくありません。

 その反対に、「競争なんてしなくていい」「やさしければいい」と言われ、最初から勝負することをあきらめて育った結果、社会に出てみたら、自分の希望する職に就けないし、待遇のいい企業にも入れないという現実を知って絶望し、世間や社会に対して不満を抱くようになる可能性もあるのです。

 自分に自信を持てないせいで社会でうまくやっていけないという人も、精神科医としてたくさん見てきました。

 競争なんてしなくていいと言われて育った結果、社会に出てから競争社会の厳しい現実に直面する。
それは、ある意味では不幸と言えるのではないでしょうか。

 もちろん、その子ができないのに、厳しい競争を強いて苦しい思いをさせるのはよくありません。
そのためにも、親は小さい頃から子どもの得意なことを見つけて育て、子どもに自信をつけさせる必要があるのです。

■子どもの「負けん気」は伸ばしてあげて

 とはいえ、子どもの気質というのはそれぞれに違います。

 人に負けたら悔しいという感情を素直に表に出す子と、それほど出さない子がいます。
また、表には出さないだけで悔しさを内に秘めている子もいますし、そもそもあまり悔しいと思わない子もいます。

 しかし少なくとも、家でも親が「競争なんてしなくていいよ」と言っていたら、子どもの負けん気は育ちません。
むしろ私は、子どもの負けん気のタネを見つけたら、どんどんそれを伸ばしてあげた方がいいと思っています。

 たとえば子どもが「あの子には負けたくないな」と言ったら、親は「その気持ちは大切だよ」と子どもを応援してあげて、勝ったら一緒に喜んであげる、負けたら一緒にどうして負けたのか、次はどうしたらいいかを考えればいいのです。

 近年は、日本の国際競争力の低下が問題となっていますが、子どもの頃から競争を回避させるような教育が進めば進むほど、そうした傾向が進むのも当然です。

 たとえば、2024年のIMF(国際通貨基金)による世界の1人当たり名目GDP(国内総生産)ランキングでは、日本は38位。
ついに、韓国(35位)や台湾(34位)にも抜かれ、3年連続で過去最低ランクを更新しています。

 他の先進国や新興国と違い、日本だけが数十年にわたって成長していないというのは異常な事態といえるでしょう。
成長が停滞しているどころか、現在の円相場は1ドル160円を超えています(2024年7月1日時点)が、急速に進んだ円安は日本の競争力が急激に低下していることを示しています。

■科学の世界でも競争力が低下

 科学の世界でも、日本の競争力の低下が指摘されています。

 文部科学省の「科学技術指標2023」によると、注目度の高い論文数ランキング(引用回数の多い論文数の比較調査。論文の注目度と質を表す指標として用いられている)で、2005年まで世界4位をキープしていた日本は年々順位を落とし、2023年の発表では13位になりました。

 これはデータが残っている1981年以降でもっとも低い順位であり、人口が半分の韓国(10位)より下回りました。
ちなみに、中国は日本と反対にどんどんランクを上げ、2022年からは2年連続で1位です。

 「人に勝つこと」「貪欲に学ぶこと」を良くないことと考える社会では、やはり国としての競争力も伸びていかないのも当然ではないでしょうか。

 精神分析学者のコフートが言うように、本来、子どもには人から褒められたい、認められたいという野心があります。
その野心を満たしてあげることで、子どもの健全な自信や負けん気を育てることが大事なのです。

 「人に負けたくない」という気持ちは、人間として自然な感情です。
その自然な感情を親が支え、育てることで、子どもの内面からやる気が湧き上がってきます。

 子どもの負けん気や自信を育てることは決して悪いことではないし、子どもの成長につながることなのです。


和田 秀樹 :精神科医

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2024年11月05日

日本シリーズ「3つ負けられる」で4連敗、小久保裕紀監督「発言」に嘆き 「余計なことを」「短期決戦で言ったらだめ」

日本シリーズ「3つ負けられる」で4連敗、小久保裕紀監督「発言」に嘆き 「余計なことを」「短期決戦で言ったらだめ」
11/5(火) J-CASTニュース

 プロ野球パ・リーグ覇者ソフトバンクが、DeNAとの日本シリーズに対戦成績2勝4敗で敗れ、日本一を逃した。

■2連勝からまさかの4連敗で日本シリーズ敗退
 日本シリーズは2024年10月26日にDeNAのホーム、横浜スタジアムで開幕。
ソフトバンクは初戦を5−3で取ると、第2戦は6−3で勝利し、敵地で2連勝を飾った。

ところが29日から舞台をホーム福岡に移すと、日本シリーズ2試合で11得点の打線が沈黙した。
第3戦を1−4で落とすと、第4戦は0−5、第5戦は0−7で大敗。

2試合連続完封負けでホーム3連敗を喫し、DeNAに「日本一」王手をかけられた。

 背水の陣で臨んだアウエーでの第6戦。
先発・有原航平(32)が3回につかまった。
先頭・筒香嘉智外野手(32)にソロ本塁打を浴び、その後、桑原将志外野手(31)のタイムリーで計3点を失った。

 チームは4点ビハインドの4回に2点を返すも、5回に7点を失い、流れはDeNAに大きく傾いた。
結局、ソフトバンクは5回以降得点できず2−11で大敗。
2連勝からの4連敗で日本シリーズを終えた。

「3つ負けられるなんて考える監督はおらんよ」

 試合後、インターネット上では小久保裕紀監督(53)の過去の「発言」が大きな注目を集めた。

 話題となったのは、小久保監督が初戦の試合後に発したコメントだ。

 勝利監督インタビューで小久保監督は、「チームとしても日本シリーズで繋いできた白星が13連勝になりました」との質問に、「いや、3つ負けられるのが日本シリーズなんで、あまりそこは気にせず一戦一戦やっていきます」と答えた。

 2連勝からまさかの4連敗という結果に、一部のファンは怒りの矛先を小久保監督の発言に向けた。

 Xでは「短期決戦『3つ負けられる』は言っちゃアカン」
「ホンマに余計なこと言ってるなと思ってた」
「3つ負けられるなんて考える監督はおらんよ」
「一戦必勝でとにかく目の前の試合を勝ちに行くベイスターズと全然姿勢が違った」
「3つ負けられるというのが随所に見られた采配だったなぁ」などの声が寄せられた。

 スポーツ紙の報道によると、日本シリーズ敗退が決まった試合後、小久保監督は「敗戦の責任は全て僕にある」と潔く認めたという。
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2024年11月06日

生まれつき。こっちは正義で、相手は不義と思う人たち。自分は正しくて、相手は間違っていると思う人たち。

生まれつき。こっちは正義で、相手は不義と思う人たち。自分は正しくて、相手は間違っていると思う人たち。
竹内成彦心理カウンセラー(公認心理師)
11/4(月) 

こんにちは。
精神医学と性格心理学に詳しい
心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。


今日のテーマは、「こっちは正義で、相手は不義と思う人たち」です。

「自分は正しく、相手は間違っている。もしくは、自分は良くて、相手は悪い」
と思う人たちです。

私(竹内成彦)は、長きに渡って、生まれつき性格を研究しているカウンセラーなのですが、「こっちは正義で、相手は不義」と思い込みやすい性格の持ち主は、ズバリ、お母さんタイプ(エニアグラムでいうところのタイプ2)であることが多いです。

※ エニアグラムには、様々な流派があります。

 私は、1番、キャラ診断アドバイザー協会の教えを信頼しています。

「よーし、戦争するぞ! 相手国は悪いのだから…」と思うのもお母さんタイプですし、「戦争は絶対に反対だ。そうだ、デモ行進しよう!」と考えるのもお母さんタイプです。
そう、お母さんタイプは、自分は正しく、相手は間違っていると思い込みやすいタイプなのです。

しかも、お母さんタイプは、感情タイプであり、好き嫌いがハッキリしているので、「自分が好きなものはいいもの」「自分が好きなものは正しいもの」と思いこみやすい…という特徴があります。
そして、困ったことに、そんな特徴に、自分自身が気付いてないことがほとんどです。

私は、防御型の末っ子タイプなので、嫌いな人がいると、そぉーと逃げたり隠れたりすることが多いのですが、お母さんタイプは、自分の嫌いな人がいると、「自分が正義」とばかりに、相手を攻撃することが多いです。

実際、いじめっこ集団のリーダーは、ほとんどがお母さんタイプです。
そしていじめを阻止しようと頑張るのもお母さんタイプです。
両者は、やっていることが、まるっきり真逆ですが、自分のやっていることに正義を感じている…という点においては、まるっきり一緒です。

だから、お母さんタイプの子どもには、小さい時から、やっていいいこと悪いことをしっかり、しかも厳しめに、教えたほうがいいです。
「道徳観をしっかり植え付ける」こと、それがお母さんタイプの子どもを育てるコツです。

最近は、『叱らないしつけ』が流行っていて、「誰にも厳しく指導されたことがない」と言うお母さんタイプの人が世の中に増え、私はホント、困ったものだなぁと思っています。

私は、お母さんタイプとつきあうときは、いつも『攻撃されるリスク』を抱えている…と承知しているので、なるべくお母さんタイプからは、嫌われないよう気をつけています。
そして、出来る限り、好かれるような言動を取るよう心掛けています。
そして、最悪、嫌われそうになったら、極力、距離を置くよう注意しています。

今、大切なことをサラッと言いました。

1.攻撃型のお母さんタイプには、嫌われないよう仲良くすることを心掛ける。

2.攻撃型のお母さんタイプには、嫌われそうになったら、そっとバレないよう、距離を置くに限る…です。

それでも、それでもお母さんタイプから攻撃されるようでしたら、こちら側も別のお母さんタイプの人を見つけ、その人に相談し、その人から早めから自分の身を守ってもらいましょう。

そう、お母さんタイプに対抗できるのは、やっぱりお母さんタイプだけなのです。

そのためには、私たちは、日頃から、優しいお母さんタイプからは、可愛がられるよう、お利口さんでなくてはなりません。
ええ、そのあたりは、十分にエネルギーを注ぎたいところです。

ここまで、お母さんタイプから、嫌われない方法、攻撃されない方法、攻撃されたらどうするか? について語って来た私ですが、お母さんタイプから好かれることについても言及しなければなりません。

お母さんタイプから必要以上に好かれると、それはそれで厄介です。

何故なら、精神状態が後退方向にあるお母さんタイプは、人を愛する能力もスキルもないくせに、人を見ると、面倒を焼きたがる傾向、好きになった人を自分の子分にしたがる傾向があるからです。
後退方向にあるお母さんがタイプが焼く世話は、ホント、大きなお世話であることが多く、迷惑そのものです。

と、ここまでお母さんタイプを悪くばかり言ってきた印象の強い私ですが、成長方向にあるお母さんタイプは、本当に頼もしい、愛あふれる菩薩様のような存在です。
成長方向にあるお母さんタイプは、思わず拝みたくなるような、本当にありがたい存在です。

お母さんタイプが成長方向にあるか後退方向にあるかは、反省する習慣があるかどうかで決まります。
「自分にやってきたこと、自分のやろうとしていることは、本当に正しいのだろうか? 間違ってはないだろうか? 相手の迷惑になってないだろうか?」とお母さんタイプが考えられるようになったら、言うことなし、間違いなし、本当に最高です。

世の中には、人の数だけ、自分の正義があります。

あなたは、自分が正義で、相手は不義だと思ってないでしょうか?

あなたは、自分は正しく、相手は間違っていると思ってないでしょうか。

このあたりは、ホント、十分に、注意したいところです。

というわけで、今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。

心から感謝申し上げます。
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2024年11月18日

意外と気づかない、裕福な家庭と低所得家庭の「体験格差」は何が問題なのかという「重大な論点」

意外と気づかない、裕福な家庭と低所得家庭の「体験格差」は何が問題なのかという「重大な論点」
11/17(日) 現代ビジネス

習い事や家族旅行は贅沢?子どもたちから何が奪われているのか?
低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、人気の水泳と音楽で生じる格差、近所のお祭りにすら格差がある……いまの日本社会にはどのような「体験格差」の現実があり、解消するために何ができるのか。
発売たちまち6刷が決まった話題書『体験格差』では、日本初の全国調査からこの社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態に迫る。

*本記事は今井悠介『体験格差』から抜粋・再編集したものです。


第一部では、全国2000人以上の小学生の子どもをもつ保護者を対象に実施した調査の結果をもとにしながら、日本における子どもの「体験格差」の実態を描く。以下のような問いを立てながら、現状を見ていこう。

・親の経済状況と子どもの体験にはどのような関係があるか「お金」と体験格差


・スポーツや文化芸術など、主に放課後に行われる習い事やクラブ活動ではどのような格差が生じているか【「放課後」の体験格差


・自然体験や旅行など、主に週末や長期休みに行われるレジャーや活動ではどのような格差が生じているか【「休日」の体験格差】


・都市部と地方とでは、子どもの体験の状況にどんな違いがあるか【「地域」と体験格差


・親の子ども時代の体験のあり方と、その子どもの体験のあり方には、どんな関係があるか【「親」の体験格差


「体験」がなぜ重要なのか

そもそもの前提として、なぜ「体験」が子どもたちにとって重要なのだろうか。
言い換えれば、「体験」にはどんな価値があるのだろうか。

まず、「体験」は往々にして楽しいものだ。
海は楽しい。動物園は楽しい。サッカーは楽しい。絵を描くのは楽しい。旅行に行くのも楽しい。

もちろん、プールで泳ぐのが楽しくない子どもはいるし、ピアノの練習が楽しくない子どももいる。
すべての「体験」が、すべての子どもにとって楽しく感じられるわけではない。
だが、それぞれの子どもにとって楽しいと感じられる「体験」が、一つはきっと存在するだろう。

さらに、「体験」の価値はその時々の楽しさだけではない。
例えば、「体験」は子どもの社会情動的スキル(非認知能力)にも関係するとされている。
つまり、子どもたちへの短期的な影響(楽しさ)だけでなく、かれらの将来に対する長期的な影響もある。

だからこそ、その格差を放置しておけないわけだ。
たまたま裕福な家庭に生まれた子どもたちばかりが様々な「体験」の機会を得られ、それによって大人になってからの収入などの格差が再生産されているとすれば、とてもフェアな社会とは言えないだろう。


沖縄県で長く子ども・若者の貧困問題に取り組み、不登校状態の子どもたちを支援している金城隆一さん(NPO法人ちゅらゆい代表理事)は、様々な困難を抱える子どもたちを連れて北海道へ旅行に行ったときのことを次のように語る。

子どもたちにとって初めての旅行でした。
でも、子どもたちは北海道の現地に着いても、沖縄の地元にあるようなアニメショップやゲームセンターなど、普段の生活とまったく同じことをやりたがる。
食べ物も全国チェーンの寿司屋に行きたいと言う。
これまで色んなことを体験したことがないから、「北海道に来たらこれをやってみたい」とか、そういう選択肢がそもそも頭に思い浮かばない。
貧困とは「選択肢がない」ということです。
私は、子どもの貧困問題の中心にあるのが、体験格差だと思っています。

何かを一度もやったことがなければ、それが好きか嫌いかもわからない。
何かを一度も食べたことがなければ、それが好きか嫌いかもわからない。
どこかに一度も行ったことがなければ、その場所が好きか嫌いかもわからない。

子どもたちにとっての想像力の幅、人間にとっての選択肢の幅は、大なり小なり過去の「体験」の影響を受けている。
貧困状態にある子どもたちは、「過去にやってみたことがあること」の幅が狭くなりがちだ。
そして、そのために「将来にやってみたいと思うこと」の幅も狭まってしまいがちなのだ。

体験格差とは、今を生きる子どもたちにとっての楽しさや充実感の問題でもあり、将来の人生の広がりに関わるより長期的な問題でもある。
そのどちらも極めて重要だ。
そうであるにもかかわらず、子どもたちの「生まれ」によって「体験」の機会に格差があることは、この社会ではあたかも仕方がないことのように捉えられてきてしまったのではないか。

今井 悠介(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事)
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2024年11月24日

今日から完璧主義を卒業するたった1つの習慣

今日から完璧主義を卒業するたった1つの習慣
11/23(土) ダイヤモンド・オンライン

 同じような商品・サービスを扱っているにもかかわらず、楽しそうにラクラクと稼ぐ人がいる一方で、思うように稼げず苦悶にあえぐ人もいる。

その違いは、年齢や経験、持って生まれた才能によって生まれているとは限らない。

稼げない人も、稼げる人と同じように努力はしているだろう。しかし、結果には大きな違いが出る。

その原因は、ほんの一語の違いにあったのだ。

その一語の違いをまとめたのが、この道25年「日本のトップマーケッター」~田昌典氏による、一番やさしい、すぐ使えるコピーライティングバイブル『【スーパーパワーアップ版】稼ぐ言葉の法則 ── 貧す人が稼ぐ人に変わる「売れる法則85」』だ。

本書では、たった一語の差で、貧す人が稼ぐ人に変わる「売れる法則85」が公開されている。

今回は本書より一部を抜粋・編集しながら、たった一語で天国と地獄に分断される「怖さ」と、一語変えるだけで大きく現実が変わる「面白さ」を見ていこう。

● 【貧す人】と【稼ぐ人】の決定的な一語の違い

 今回紹介するのは、「2割8割の法則」である。

 【貧す人】成果を出すためには、完璧にやらなければ
【稼ぐ人】成果を出すためには、重要な2割をやらなければ

 【貧す人】は、思ったことの半分も達成できない。その原因は、はっきりしている。
 それは「完璧主義」。

 完璧主義を貫くから、目標の半分くらいしか達成できないのだ。
 だから、まずは、完璧主義を手放す。

 それができないと、継続して成果が上がらず、達成感が得られない。

● 【稼ぐ人】の思考法

 では、「完璧主義」をやめるにはどうしたらいいか?

 「2割8割」で考え、2割の重要なポイントにフォーカスする。
 すると8割の結果が得られる。
 これが「2割8割の法則」。

 2割の重要なことにフォーカスし、8割の結果が出たら、次に行けばいい。

 最初から最後まで完璧主義を貫こうとすると、今の変化の激しい時代はなかなか前に進めない。

 それより自分が理解している2割だけをやり、あとの8割は他人に教えて手伝ってもらう。

 やり抜く喜びを、自分一人で独占するのではなく、まわりと分かち合う。これが重要だ。

● さらに重要な2つのこと

 そして、もう1つ重要なポイントがある。「褒美」と「罰則」だ。

 やり抜くためには、やり抜いたときのご褒美が大切。

 「終わったらパーッと一杯やる」
「ほしかったジーンズを買っちゃおう」
 などでいい。

 ご褒美は確実なインセンティブとなり、大きなやる気につながってくる。

 ところが、これだけだと、はじめにご褒美を買ってしまう人が出てくる。

 「これは、これから頑張るためのご褒美だ」となってしまうと本末転倒だ。


 だから、ご褒美だけではダメで、「罰則」が必要。
 自分を罰することも考えてみよう。

 「できなければ腕立て伏せ100回」でもいい。

 自分なりの罰則を設けると、一生懸命やるようになる。

 このように褒美と罰則、アクセルとブレーキをうまく使い分けると、やり抜く喜びを常に感じられるようになる。

 【貧す人】は、ムダな8割に集中し、重要な2割を捨てる。
【稼ぐ人】は、重要な2割に集中し、ムダな8割は捨てる。

 そうやって、やり抜いた結果、8割の人に喜ばれるのだ。

 (本稿は『【スーパーパワーアップ版】稼ぐ言葉の法則 ── 貧す人が稼ぐ人に変わる「売れる法則85」』の一部を抜粋・編集したものです)

神田昌典/衣田順一
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2025年01月05日

「これしかない」は危険信号!環境の変化に強い人が必ず持つ『複数の選択肢』

「これしかない」は危険信号!環境の変化に強い人が必ず持つ『複数の選択肢』
2025年01月03日 ダイヤモンドオンライン

変化が激しく先行き不透明の時代には、私たち一人ひとりの働き方にもバージョンアップが求められる。
必要なのは、答えのない時代に素早く成果を出す仕事のやり方。それがアジャイル仕事術である。
『超速で成果を出す アジャイル仕事術』(ダイヤモンド社)は、経営共創基盤グループ会長 冨山和彦氏、『地頭力を鍛える』著者 細谷 功氏の2人がW推薦する注目の書。
著者は、経営共創基盤(IGPI)共同経営者(パートナー)でIGPIシンガポール取締役CEOを務める坂田幸樹氏。
業界という壁がこわれ、ルーチン業務が減り、プロジェクト単位の仕事が圧倒的に増えていくこれからの時代。
組織に依存するのではなく、私たち一人ひとりが自立(自律)した真のプロフェッショナルになることが求められる。
本連載の特別編として書下ろしの記事をお届けする。

■単一の選択肢がもたらすリスク

 将棋界を代表する棋士の一人である羽生善治九段は、どんな局面でも柔軟に対応する「オールラウンダー」として名高い存在です。
特定の戦法に固執せず、対局ごとに最適な手を選び取るそのスタイルは、現代の不確実なビジネス環境にも多くの示唆を与えてくれます。

 予測不可能な今の時代、私たちは日々変化する環境の中で意思決定を迫られています。
そうした中、最終的に選べるのは一つだとしても、最初から選択肢が一つしかない状況では、環境の変化に対応できず、結果として成功を手放してしまうリスクが高まります。

 例えば、「一つの専門スキル」だけに依存する人は、そのスキルが需要の高い時期には非常に効率的に仕事をこなせるように見えます。

 しかし、技術が陳腐化したり、業界が変化すると、仕事を失うリスクが高まります。
一方で、他のスキルや資格も身につけていれば、新たなキャリアチャンスをつかむ余地が広がります。

 選択肢を一つしか持たないことは、一見すると効率的に見えるかもしれません。
しかし、変化が常態化している現代では、それがかえって大きなリスクとなり得るのです。

■複数のオプションを生み出す「戦略的思考」

 環境の変化に適応するためには、複数のオプションを戦略的に生み出す思考法が重要です。
思いつきで選択肢を増やしても効果は限定的なため、ここで役立つのが「軸」を活用したフレームワーク思考です。

 例えば、旅行プランを考える場合、目的地を「国内」「海外」「近場」、目的を「観光」「リラックス」「アクティビティ」、期間を「日帰り」「1泊2日」「長期滞在」、さらに予算を「高級」「節約」「バランス型」と設定すると、多様な選択肢が効率よく洗い出せます。
これらの組み合わせにより、近場でリラックスする日帰りプランや、海外でアクティビティを楽しむ長期プランなど、幅広い案が生まれます。

 この手法はビジネス戦略の策定にも応用可能です。
「誰に」「何を」「どうやって」を軸に整理すれば、顧客層、提供価値、実行手段の観点から多角的に考えられるようになります。

 こうした戦略的思考を日常的に取り入れることで、単なるアイデア出しから一歩進んだ、具体的で実行可能な選択肢を生み出せるようになります。

■選択肢を持つことがもたらす未来

 複数のオプションを持つことは、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代において、成功確率を高めるだけでなく、不測の事態への対応力を強化します。

 選択肢が複数あれば、一つの方法が失敗しても、すぐに次の手に切り替えることができます。
また、新たな視点や軸を取り入れることで、さらに多様な選択肢を生み出すことが可能になります。

 選択肢を持つための第一歩は、意思決定の前に「軸」を整理し、その軸に基づいて多様なオプションを検討する習慣を身につけることです。
軸に基づき情報を集め、整理し、比較・評価するというプロセスを通じて初めて、論理的な意思決定が可能になります。


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2025年01月09日

【問題】マイナスにマイナスを掛けるとなぜプラス?「抜け毛」問題で考えると即納得だった!

【問題】マイナスにマイナスを掛けるとなぜプラス?「抜け毛」問題で考えると即納得だった!
1/8(水) ダイヤモンド・オンライン

 洋菓子店を営む30代女性・マリさん。
1年前に独立したものの、数学が苦手だった彼女はいろいろな壁にぶち当たっていた。
そこで大人向けの数学塾を経営する堀口先生に教えを請い、救いの手を求めることに。
今回は「マイナスとマイナスをかけると、なぜプラスになるのか」という数学の疑問をわかりやすく紐解いていく。
※本稿は、堀口智之『1杯目のビールが美味しい理由を数学的に証明してみました。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

● マイナス×マイナスはなぜプラス?
誰もが最初につまずく数学の疑問

 マリさん
 マイナスでつまずいたところを思い出しました!「マイナスとマイナスをかけるとなぜプラスになるのか」という疑問です。

 堀口先生
 たしかに。これは、誰もがつまずくところですよね。では、学んでいきましょうか。

 まず、マイナスをかけ算する前に、かけ算の意味について考えていきましょう。
3×4と4×3はなぜ等しいんだと思いますか?

 マリさん
 え、かけ算は順番を入れ替えても答えは変わらないんですよね?

 堀口先生
 はい。それは学校で習いましたよね。でも、その理由は?

 マリさん
 3個のリンゴが4皿と、4個のリンゴが3皿か〜。うーん等しいのはわかりますが、なぜと言われると混乱します。

 堀口先生
 その「●●が●●個ある」っていう考え方も、基本としてとても大切です。
しかし、型として覚えているだけなので、理由を聞かれても困るかもしれませんね。

 マリさん
 はい。困りました。

 堀口先生
 実は、歴史を振り返ってみると、かけ算は面積を測ることと重要なつながりがあるんです。
それこそ紀元前3000年頃から始まったエジプト文明。
ナイル川の氾濫や洪水が頻繁にあったと言われています。
そんなとき、自分たちの土地が流されて、どこからどこまでが自分の土地と言えるのかわからなくなったことがあったわけです。
だから、土地の面積を測る必要がありました。
かけ算を活用したら面積は測れますよね。つまり、縦×横です。

● かけ算の順番を変えても答えは変わらない でも、−2個ってどういう意味?

 堀口先生
 例えば、その面積が3m×4mと、4m×3mって面積は違いますか?

 マリさん
 いえ、同じです。

 堀口先生
 立つ場所を変えれば、どちらが縦でも横でもよいですね。
 面積は簡単に求めることができるわけです。

 堀口先生
 これが、かけ算の順番を変えても答えが変わらない理由です。

 マリさん
 なるほど、納得しました!

 堀口先生
 では、次に、こんな問題を出してみましょう。
 先ほど3×4を、3個のリンゴが4皿、と解釈されましたが、同様に考えると、(−2)×3っていくつになると解釈できそうですか?

 マリさん
 えっと、−2が3個あるから、−6ですか?

 堀口先生
 はい。その通り!じゃ、3×(−2)は?

 マリさん
 あれ?3が−2個分って……?よくわからなくなりますね。

 堀口先生
 ですよね。でも、かけ算って順番が逆になっても答えは一緒ですよね。

 ということは、先ほどと同じ問題になります。
3×(−2)=(−2)×3なので、答えが同じ−6にならないとおかしいですね。
3がマイナス2個分と考えると混乱しますが、答えは−6とならざるを得ないわけです。
一度そのような法則やルールを決めたら、そのルールに従うように演算の答えも考えていく必要があるんですね。

 マリさん
 なるほど。数学が論理って言われている理由が理解できる気がします。

● マイナス●個がわからないなら 数値線上で考えてみよう!

 堀口先生
 もう少し式を変形してあげると、その式の持つ意味がより深くわかってくることでしょう。
3×(−2)についてもう少し説明しますね。
−2=(−1)×2ですから、つまり−2は、−1が2個分といえます。
よって、3×(−2)=3×(−1)×2=3×2×(−1)と変形できますね。つまり、6×(−1)となるわけです。

 ここで−1をかけるということがどういうことにつながるのかを一緒に考えていきましょう。数直線で考えます。

 堀口先生
 6×(−1)は数値線上で6が−6に移動することになります。
つまり、6が−1個あるとは、原点を中心に180度回転する、もしくは、原点について対称となる位置にその数を移動させることなんです。
つまり、−1個あるとは、回転だったのです!

 マリさん
 −1個ある、と考えてしまうと混乱しますが、マイナスは数直線上においての回転、と考えるということですね。
つまり、「×(−2)」は、「2×(−1)」と考えてしまえば、2倍したものを回転させる、となるわけですね。

 堀口先生
 その通りです!つまり、(−1)×(−1)はどのように考えるんでしょうか。

 マリさん
 −1にある点を原点を中心にして回転させるのであれば、1に戻る……!すごい!!

 堀口先生
 はい。素晴らしい!(−1)×(−1)=1になる理由がわかりましたね。

● マイナス同士のかけ算は 日常的な話でも説明は可能!

 マリさん
 マイナス同士をかけ算すると、プラスになることはわかりましたが、でも、日常的な話ではなくて、数学で説明しているだけのようにも聞こえます。
ああ、数学が嫌だった理由を思い出してきました……!

 堀口先生
 数学は合理的にできているので、先ほどのような説明をしたのですが、たしかに数学的すぎましたね。
でも、現実でもきちんと説明できるんですよ。
先ほどマイナスは、時間軸を想定するからこそ考えられるという話をしました。
では、時間が経つと、減っていくものって何があるでしょう。

 マリさん
 時間が経つと減る……?お金ですか?

 堀口先生
 お金も減りますね。あと、最近私、抜け毛がひどいんですよ。悲しいことに。

 マリさん
 先生もそういったこと気にされるんですね。

 堀口先生
 いや、人からどう見られるかってやっぱり大事じゃないですか。
もちろん、髪の毛が減っても、自信は減らないのですが(笑)。
視線は多少気になるわけです。
で、この抜け毛ってマイナスのかけ算で計算できるんですよ。

 マリさん
 えっ!いきなりきましたね。

堀口先生
 1日10本ずつ髪の毛が減っていくとしたら、3日後にはどうなりますか?

 マリさん
 10×3=30本減っているでしょうか。

 堀口先生
 そうですね。今、減る方向で考えているので、このように式を立てましょうか。

 (−10)×3=−30

 となるわけですね。
では、3日前ならどうなりますか?

 マリさん
 3日前ってことは未来ではなく過去だから、−3日とおけばよいってことですかね。

 そうすると、

 (−10)×(−3)=30

 となりましたね。

 つまり、過去は30本ほど今より毛量が多かった?

 堀口先生
 はい、その通りです。マイナスとマイナスのかけ算がこれでできましたね。

● 企業コストで考えれば さらにわかりやすくなる!

 マリさん
 すごい。現実に応用できましたね。わかりやすかったです!

 堀口先生
 もっと事例はありますね。
例えば、企業でも様々なコストがありますが、そのコストを減らすと結果的に企業にとってみればプラスに働きます。
わかりやすいように具体的に数字を入れてみましょうか。

 売上100万円。コストが90万のとき、利益は10万円ですね。

 数式に落とし込めば、

 100万−90万=10万となります。

 では、コストを5万円下げてみましょう。すると、どうなるでしょう。


 100万−(90万−5万)となるわけです。

 2種類計算方法があります。

 100万−85万=15万

 と、もう一つ。分配法則を使えば、

 100万−90万−(−5万)

 となるわけですね。この3つ目の項が−(−5万)となります。

 −(−5万)=(−1)×(−5万)=+5万と解釈できますから、コストを下げると、利益に対してプラス5万円として働くことは理解できるのではないでしょうか。

 マリさん
 こんな風にマイナスとマイナスのかけ算がプラスになる事例を考えたことはありませんでした。

 堀口先生
 マイナスをかけるとなったとき、マイナス個ある、という風に解釈されるとよくわからなくなりますが、時間軸で考えてみたり、コストが減る、というシチュエーションを考えてみれば、現実的にも理解できますね。


堀口智之
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2025年01月19日

分数の割り算はなぜひっくり返して掛けるのか? 子どもに聞かれてわかりやすく説明する方法

分数の割り算はなぜひっくり返して掛けるのか?
 子どもに聞かれてわかりやすく説明する方法
1/18(土) 東洋経済オンライン

分数の割り算は、分母と分子をひっくり返して掛け算にする。
それは知っていてもなぜかと聞かれるとうまく答えられない大人も少なくないのでは? 
 算数のなかでもややこしい「分数の割り算」とそれを学ぶ理由について、東大教授で渋滞学の第一人者である西成活裕先生と文系ライターの郷和貴氏の会話形式で解説します。

※本稿は『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく算数を教えてください!』から一部抜粋・再構成したものです。

■分数の割り算を攻略! 〜分数で割る〜

 西成先生:
分数の割り算は、四則演算の中では別格のラスボスです。
分数の割り算の解き方はわかっていても、その意味をちゃんと理解している人って、大人でもそう多くないと思います。

 郷さん:
仲間がいてよかった(笑)。

 西成先生:
たとえば「6 ÷1/2」を考えていきましょう。ガムをイメージしてください。「ガム6枚の中にガム1/2枚分のカタマリがいくつあるか」。

 郷さん:
ガム1/2枚分のカタマリ……。あ、ガムを半分にちぎるということですか! 

 西成先生:
はい。1枚を友だちと分けるとすぐに味がなくなるし、ちっちゃい風船しかつくれなくてイラっとするやつです(笑)。
ちょっと質問を変えましょうか。

 「ガムが6枚あります。それぞれ半分にすると何枚になりますか?」。

 郷さん:
え……。半分にするから2枚になる。それが6セットあるから、「6×2」で12枚ですか? 

 西成先生:
そうです。質問を変えましたが、実はさっきと同じことを意味しています。
つまり「6÷1/2=6×2=12」というわけです。
このように、1より小さい分数である数を割ると、割られる数よりも増えるんです。まずこのイメージをしっかり持ってほしいと思います。

 郷さん:
なるほど。

 西成先生:
ここで分数の割り算の計算式を紹介しておくと、「÷A/B」とあったら、「×B/A」に変換するだけ。
分数をひっくり返して、割り算を掛け算にするんです。

 郷さん:
そういえばアメリカの学校だと「keep,change,flip(そのまま、変える、ひっくり返す)」というフレーズをひたすら覚えさせられるって聞いたことがあります。

 西成先生:
詰め込み教育ですね(笑)。
たしかにそうですね。割られる数はそのままで、÷を×に変え、分数はひっくり返す。この手続きさえ覚えていれば分数の割り算は計算できます。

 1問、例題を解いてみますね。

■分数の割り算を攻略! 〜整数で割る〜

 郷さん:
分数を整数で割るときは? 

 西成先生:
整数を分数に置き換えて、ひっくり返して掛け算をすればOKです。

 西成先生:
このような解き方もあるし、「2等分されたものをさらに3等分する」という式の意味からちゃんと考えていくと、実は先ほどやった分数と分数の掛け算の話にいきつきます。つまり、2等分したものの1つを、さらに3等分したと。

 郷さん:
あ、そうか。「2×3」だから6等分ですね。

 西成先生:
正解です。

■分数の割り算を攻略!〜計算を真に理解〜

 西成先生:
計算式はいま教えた通りですけど、大事なことは「なぜ?」ですね。
仮に計算式を忘れても、自力で計算式を導きだせるように説明をします。

 まず、割り算は分数に変換できますよね。
割る数が整数だろうと分数だろうとその原則は変わりません。
だったら思い切って分数の形にしてみましょう。

 郷さん:
だいたんな発想! 

 西成先生:
「A÷B=A/B」ですから、「1/2÷2/5」を分数にするとこのような分数になります。

 郷さん:
分数の中に分数はあり? 

 西成先生:
全然ありです。こういう分数を連分数といいます。
真ん中の横線を長めに書くとちょっと数学者っぽくなります。
ちなみにこの状態で答案用紙に答えを書いても数学的には正解ですが、先生によっては怒るかもしれません(笑)。

 分母の2/5をすっきりした形にしたいと思います。
ここで、6年生で習う武器を伝授します。
「逆数」というものです。「A×□=1」の□にあたる数のことを、Aの逆数と呼びます。
Aが整数の場合、Aの逆数は1/Aです。なぜかわかりますか? 

 郷さん:
えっと……□を逆算すると、□=1÷Aだから。

 西成先生:
あるいはもっと単純に「Aに1/Aを掛けたら、約分でAとAが消えて1しか残らないから」と考えてもかまいません。

 そしてAが分数x/yの場合、Aの逆数はy/xです。分数をひっくり返したものですね。こちらも、x/yにy/xを掛けたらxとyが両方とも約分で消えて、1しか残らないからです。

■逆数を掛けると分子だけがすっきり残る

 西成先生:
では、改めて分母の2/5をよく見ます。
この連分数を一番すっきりさせる方法は、分母を1にすること。分母を1にすれば分子しか残りませんからね。では2/5を1にするにはどうすればいいのか。

郷さん:
あ、ここで逆数を掛けるのか! 

 西成先生:
そう。2/5の逆数は5/2です。
しかし、分母だけ掛け算すると意味が変わるので、分子にも同じように5/2を掛け算します。すると分母は1になり、「1/2×5/2」という分子だけが残ります。

 郷さん:
だから逆数を掛けるんですね!  ちょっと感動。

 西成先生:
ほかにもいろんな説明のしかたがありますけど、たぶんこれが一番納得感があると思うんです。

 郷さん:
「分母をすっきりさせるために逆数を掛けた」で説明できますからね。これを娘に説明する日が待ち遠しい(笑)。

 西成先生:
「逆数」とか「分数の性質」とか、教科書では断片的に知識を学んでいくことになるので、「これってなんの役に立つの?」と思う場面が多いと思います。
でも、そういう知識って、ロールプレイングゲームでいうアイテムや武器みたいなもので、分数の割り算のようなラスボスと戦うときに使うことになるんです。

西成 活裕 :東京大学先端科学技術研究センター教授
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2025年01月21日

「加工」してない「正直」は食えたものじゃない

「加工」してない「正直」は食えたものじゃない
1/20(月)Books&Apps

「正直者は得をする」という言葉がある。
素晴らしい言葉だし、事実でもあろう。

「正直」の対義語は「うそつき」だろうが、少なくともうそつきは世渡りの大敵であり、これは是が非でも避けなければならない。
極端な例外を除いて、うまく世渡りを続けている人は皆、正直さを大切に思っていると私は確信している。

ただし、「正直」はただ積み重ねれば得をするものではないとも思う。むしろ、無思慮に正直を積み重ねてまずいことになったり、損をすることも多いと思う。

では、どう「正直」であるべきか?

私は、正直ってやつはそのままではロクなもんじゃないと思っている。

いわば、「加工」してないと「正直」は食えたものじゃない、という側面もあるように思うのだ。
まずは以下をご覧いただきたい。

とある日の生放送中、5分休憩から戻ってモニターに目をやった瞬間、寒気がするほどの罵詈雑言の数々が、殺意を持って画面上から這い出てきた。

『生きている価値ないよ』『はよ消えろ』『ゴミクズ』『存在価値ないよ』

5分足らずで100件近く、この類いのブラックワードが立ち並び、僕に襲い掛かった。

中には通報したら逮捕されるのではないか、という度を超えたものも存在したため、数人をその場でBAN制裁した。

上掲は、子どもを相手取ってネットの実況をやっていた方の記事からの抜粋だ(残念ながら、この方のブログは消滅してしまって、私の手元に残った文章はこれだけである)。

ここに書かれている子どもたちの反応は、きわめて「正直」なものだ。
子どもの正直はときに残酷で、誰からも咎められるおそれがないとわかった時、その残酷さが剥き出しになる。

しかし、このような反応は世間で許されるものではない。
たとえ「正直」でも、こういう物言いを繰り返している人は損をするし、子どもはそのことを学んでいかなければならない。

小中学生が動画の荒れたコメント欄に書き込む時の「正直」と、社会人が世間で期待される「正直」には大きな違いがある。

これは、何かを非難する時に限ったことではない。
「カネが欲しい」「異性が欲しい」「承認欲求をみたしたい」といった欲求はどこにでもあろうが、その「正直」を無加工でゴロンと目の前に差し出された時、人はしばしばドン引きする。

プリミティブな欲求に正直であることは決して悪いことではないが、アウトプットする時、世間や第三者に受け入れられやすいかたちで「加工」できなければ、その正直さが仇になることもあるだろう。

ちなみに、「正直」の「加工」とは、「嘘」をつくことではない。

嘘をつけば、他人に対して嘘を貫かなければならなくなる。
嘘がばれなくても、隠しとおすために精神的負荷や記憶的負荷がかかり続けるのは大問題だ。
だから「正直」を「加工」したつもりで嘘をついてしまう人は、じきに行き詰まる。

もちろん、「正直」の「加工」が自己欺瞞であってもならない。

自己欺瞞は、自分自身に対して嘘をつく所作である。これにも精神的負荷がかかるし、(精神分析でいう)防衛機制のメカニズムから考えて、自分自身の認知や認識に盲点をつくってしまうおそれが高い。

だから、自分の内心にある「正直」の一番似つかわしい部分を点検したり、社会的に最も似つかわしい姿にフォルムチェンジさせたりして、自己欺瞞に陥らず、なおかつ自分自身と「正直」が喧嘩しないような均衡点を探さなければならない。

人のなかの「正直」とは、必ずしも一面的ではない。たいていは多面的だ。そのことを利用すれば、「正直」の「加工」は決して無理ではない。

たとえば「カネが欲しい」の場合、カネが欲しいという正直を無加工でゴロンと差し出すのでなく、カネを稼ぐ過程でやりたいことや、自分が得意なことと関連付けて語ったり考えたりしたほうが良い場面がある。

そうした関連づけを自分の内心と矛盾しないかたちでできる人と、関連づけできずに無加工で差し出してしまう人では、主観的には同じ正直者でも、社会や第三者に受け入れられる確率、その正直が報われる確率は違ってくる。

加工に失敗し、嘘をつかざるを得なくなってしまうのは厳しいことだ。
つい、他人や自分自身に嘘をついてしまう人のなかには、正直の加工がうまくないせいでそうなっている人が一定の割合でいるように思う。

「異性が欲しい」「承認欲求をみたしたい」なども同じだ。
これらの正直を、無加工で出して構わない場面が無いわけではない。
とはいっても、多くの社会関係のなかでは、適切に加工ができていなければその正直はひんしゅくを買うだろう。ろろろろろ

自他に嘘をつかないかたちで・これらの正直をうまく加工して出せる人ほど、異性や承認にかえって手が届きやすい。

たとえば嘘をつくことなくモテている人は、だいたい正直の加工やフォルムチェンジが上手い。
彼らが正直を積み重ねて得をしているのは事実だが、その正直とは、まるで精密機械部品のようにしっかり加工されていて、しかも、社会関係のなかでの正直の積み重ね方も上手いのである。

逆に、どれほど正直を積み重ねていても、無加工の欲求を無分別に言い散らかしているだけの人は、絶対にモテない。異性や承認がどんどん遠ざかってしまうだろう。世の中は、だいたいそんな風にできている。

「正直」の社会化

ここまで、正直を加工するという表現を使ってきたが、もう少しそれらしい表現をするなら、正直の社会化、ということになるだろうか。

プリミティブな欲求やエモーションを生のまま出すのでなく、場面のTPOや相手の立場や理解力などに即したかたちで加工してはじめて、正直は人間関係のなかで受け入れられるものになる。
あるいは、受け入れられる確率の高いものになる。
め社会的動物としての人間は、そうやって正直の適切な加工を幼少期から学び始めて、生涯をかけて学び続けていく。

こうした正直の社会化は、年齢が高くなったり社会的立場が変わったりすると求められる度合いが高くなるため、小中学生に求められる度合いと就活中の若者に求められる度合いとアラフィフの中年に求められる度合いはかなり違う。
SNSなどでも、フォロワー数が1000人と10000人と100000人では違うだろう。

正直を適切に加工する技量が年齢や社会的立場に追随できなくなると、正直をとおして得をするのは難しくなり、損をしやすくなる。

社会人の生え抜きコミュニティでは、えてして、そういう正直の加工がハイレベルに行われ、それが当たり前になっていたりする。

なるほど、彼らは正直を積み重ねて得をしている。
だが単に正直だから得をしているわけではなく、正直を精密機械部品のように加工し、社会関係のなかで注意深く運用しているから得をしているのである。

「正直者が馬鹿を見る」という言葉もあるが、馬鹿をみやすいのは、正直の社会化がうまくやれない人や、正直の社会化に失敗したあげく嘘をつかざるを得なくなってしまう人ではなかったか。

正直の社会化の程度や技量が、絶えず、皆に問われているのだと思う。

コミュニティの背景をよく読み、節度を守って。

なお、正直を加工すると言っても限度があるし、どんな加工がどの程度まで許容されるのかは、コミュニティの背景によってかなり変化し得る。

たとえばBlueskyのタイムラインで許容されやすい正直の加工と、X(旧twitter)のタイムラインで許容されやすい正直の加工は、おそらく異なっている。
時代や政治情勢によっても左右されるかもしれない。
だからコミュニティの背景や状況をしっかり踏まえておくのも、正直の加工に際して大切なことだと思う。

とはいえ、そうやって周りをキョロキョロ見渡しながら、自分のうちにあったはずの正直に加工を加えすぎてしまうと、やがて、自己欺瞞や嘘とどこが違うのか、甚だ怪しい境地にたどり着いてしまうかもしれない。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。やりすぎて嘘になってしまっては元も子もありません。


――『シロクマの屑籠』セレクション 2018年11月31日投稿 より

***
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
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2025年02月25日

12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」 プレイバック「昭和100年」

12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」 プレイバック「昭和100年」
2/24(月) 産経新聞

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。
ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>

近所の駄菓子屋のおじさんは元海軍の飛行機乗りで、戦時中にゼロ戦で活躍した話を子供たちによくしてくれる。
一番すごいのは太平洋上で米軍機3機に囲まれたが、全部撃ち落として帰還したという話だ。
学校でも戦記漫画がはやっていて、僕は「紫電改のタカ」や「0戦はやと」などが大好きだ。

定食屋のおじさんも陸軍で大陸にいたが、後方で食事などを作っていたらしく、面白い話は少ない。
やはり花形はゼロ戦だろう。
ただ、担任の先生は、自分が戦争に行ったわけでもないのに、そういう話が嫌いらしく、「おまえは戦争に賛成なのか」などと言う。
別に賛成しているわけじゃないし、漫画の主人公やおじさんたちだって、そんなこと一言も言ってない。

そう言えば、僕のおじいちゃんも南方のどこかの島に行っていたらしいが、詳しい話は聞いたことがない。
娘であるお母さんもあまり聞いたことがないらしく、僕にも聞くなというので聞いてない。

今年は6月にザ・ビートルズという英国のバンドが来日して騒ぎになった。
学校ではよく知らない子も多かったが、いとこのお姉さんは会場の日本武道館の近くまで行ったらしい。
2年前の東京五輪のときにできた武道の聖地を外国人が使うことに批判もあった。
僕もあんなに髪を長くしてガチャガチャした歌を歌う人たちはあまり好きではない。

それよりもこの年は飛行機の事故が5件も起きたのが大きなニュースだった。
2月に羽田沖に全日空機が墜落して133人が死亡、3月はカナダの旅客機がまた羽田で着陸に失敗して64人が死亡、その翌日に英国の旅客機が富士山上空で乱気流に巻き込まれて墜落、124人が死亡した。

英国の旅客機は前日の事故でコース変更があって、その影響で富士山の上を飛ぶことになったという。
さらに8月には訓練中の日本航空機が羽田空港を離陸直後に墜落して5人が死亡、11月には再び全日空機が四国の松山沖に墜落して50人が亡くなった。

旅客機のパイロットには元軍人さんも多いらしいが、旅客機とゼロ戦は全然違うのだろうか。
今年から日本人の海外旅行の回数が年に1回から無制限になり、外国に行く人も増えているというが、僕はやっぱり飛行機が怖い。ゼロ戦になんか死んでも乗れないと思う。

ただ、この年は交通事故死者数が年間1万3千人を超えて、日清戦争の戦死者1万7千人に近づいたことから「交通戦争」という言葉も流行語になった。結局、空も陸も安心できない。


やはり羽田だけでは狭いらしく、7月に新空港の建設地が千葉県成田市の三里塚という所に決まった。テレビで見たら田畑があって人も住んでいて、こんな場所に広い空港が本当に造れるのか心配になった。

学校では先日、「戦争の悲惨な話を周りの大人から聞いてきなさい」という宿題があって、「またか」と思った。
僕がひねくれているのかもしれないが、なぜ悲惨な話だけなのか。もし僕があの時代に生きていたら、本当に悲惨な経験なんて子供に聞かせたくないと思うし、あらためて思い出したくもないと思う。

駄菓子屋のおじさんの話が誇張されていることぐらい子供だってわかっているし、武勇伝にしないと、きっと悲しい経験を思い出してしまうのだと思う。

それでも先生がうるさいので、勇気を出して僕のおじいちゃんに聞いてみた。
おじいちゃんは嫌がる様子もなく、「どこに行ったかも、何をしたのかも、ぜーんぶ忘れてしまったよ」と笑っていた。

※ 昭和40年代には戦争で戦った人たちが普通にいた。
総務省の恩給統計によると、当時は125万人前後だったが、平成23年度に10万人、令和元年度に1万人を割った。
昨年度末では1千人程度となっている。
「戦記漫画」も昭和40年代には「少年マガジン」「少年サンデー」などで人気だったが、市民団体などから「戦争賛美」との声が上がり、急速に減っていった。
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2025年02月28日

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」
2/27(木) 現代ビジネス:哲学者・山野弘樹さん

先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。
でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう

気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。
※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。

「何も考えられていなかった」学生時代の体験

実は昔、「考えるってどういうことなのか」という問題に強烈な仕方で直面したことがありました。
この実体験は、「考える」という営みについて根本的に考え直すきっかけを私に与えてくれたものなので、このエピソードをお話しすることを通して、「考えるとは何をすることなのか」という問いに答えていきます。

私は勉強があまり得意ではなかったのですが、高校生のときから世界史の授業だけは好きでした。
まるでたくさんの映画を観ているような気持ちで学ぶことができたのです。
そんな私が上智大学の史学科に入れたことは幸運なことでした。
そしておそらく、私は史学科生の中でもとりわけ真面目に講義を受講していた学生の一人でした。

私は大学という環境で自分の知力を高めていくために、とにかくたくさんの本を読もうと決心しました。
そして、今思い出すと恥ずかしいのですが、私は古本屋で買いあさった本を片っ端から読んでいくと、それを次々に塔のように積み上げていったのです。

読了した本の高さが高くなればなるほど、私は自分の知力も向上しているような気がしました。
今思えばただの自己満足なのですが、当時はその光景を見ると、心の底から満足することができたのです。

大学2年生の夏休みのある日、私は友人と3人で大阪旅行に行きました。
私は東京駅から友人と新幹線に乗り、お喋しゃべりをしながら大阪に着くのを楽しみにしていました。
そのときにも、当時読み進めていた歴史学の本を持参していました。

道中、「何を読んでいるの」という話になり、その本の内容を紹介しているうちに、私は話の流れで「17世紀のヨーロッパは進歩していた」と述べました。
それに対して、その友達が次のように質問をしてきたのです。
「どうして17世紀のヨーロッパが進歩していたと言えるのか?」。

本を読んでいる「つもり」になっていた

今思えば、例えば科学史や政治史の観点から「進歩」について何らかの説明を加えるということもできたように思います。
ですが、すっかり「読書愛好家」になっていた私の頭は、「その話は、どの本の何ページに書いてあっただろうか?」という発想しかできなくなってしまっていました。
まるで様々な著者の主張を切り張りしたかのような頭の中身だったのです。

しかも人間の記憶力は脆弱なので、本に書かれている表現がどのようなものであったのかを覚えているわけがありません(終始「えーっと、あの本にはなんて書いてあったかな……」という状態です)。
すなわち、このときになって、初めて私は「自分の頭で何かを考える」ということがまるでできないという事実に直面することになったのです。

それでは、私はその間、一体何をしていたと言うのでしょうか?

さらに連載記事<「何を、どのように勉強すれば良いのか」…意外と知られていない「思考力を高める方法」>では、地頭を鍛える方法について解説しています。ぜひご覧ください。

山野 弘樹(哲学研究者)
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「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」

「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」松坂桃李さん主演のドラマ「御上先生」監修のアドバイザーが講演会で教育制度の変革を訴え 長野・上田市
2/27(木) SBC信越放送

学校教育のあり方を問う話題のドラマ「御上(みかみ)先生」。
そのドラマの監修も務めている教育アドバイザーが26日、上田市で講演しました。

教育関係者などおよそ230人が拍手で迎えたのは、教育アドバイザーの工藤勇一(くどうゆういち)さん。
工藤さんは、松坂桃李さんが主演してSBCで放送中のドラマで、日本の教育のあり方を問う「御上先生」の学校教育監修を手掛けています。

都内の中学校などで校長を務めていた際には、定期テストや宿題を廃止するなど学校改革にも取り組んできました。

工藤さん:
「教育というのはキーワードは自己決定です。
子どもの自己決定をどれだけ繰り返すことができるように支援をするか。
これが教育なのに、自己決定させなければ人のせいにする子どもしか育ちません」

急速に進むデジタル化や人口減少など社会構造が変化し、先が見通せない時代を生きる上で、自分で物事を判断し、行動に移す能力が欠かせないという工藤さん。

しかし今の日本の教育は、教師や親が子どもに手をかけすぎて、主体性が育たないと指摘します。

工藤さん:
「特に日本の教育は社会性を重視して、人に迷惑をかけるなということをものすごく重視する教育なので、あれをするなこれをするな、そうすると子どもたちはそのうちこう聞いてきます。
お母さんこれやっていいのと聞きます。
なぜかというと臆病になってしまうので、リスクを負うことをやりたがらないから、やっていいかと確認をとるんですね。
人のせいにできますよね、自分で決定してないので。人のせいにできるという教育ですね」

教育する側から押し付けるのではなく、子どもが何を学びたいか選べる仕組みづくりが重要と話しました。

工藤さん:
「僕らは命令形をやめようって決めたんですよ。
そこで考えたのがこの3つのセリフですね。
飛び出していった子どもをつかまえて『どうした』って『あの先生大嫌いだから』ってめちゃくちゃなこと言うんですよ。
それに対して『どうするよこの後』っていうと、びっくりしますね。
子ども言われたことないんですよ。
でも自己決定した子どもは先生に感謝するんですよ。
その場所を僕らは与えてあげるってことをやっていくんですね」

根本的に国の教育制度の在り方を変えていく必要があると訴える工藤さん。

そのうえで教員一人一人が教育とは何か主体的に考えることで日本を変えていけるとメッセージを送りました。

信越放送
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2025年03月22日

これは「地獄の大増税」への布石である…政府が進める「私立高校無償化」の甘美なウソにだまされてはいけない

これは「地獄の大増税」への布石である…政府が進める「私立高校無償化」の甘美なウソにだまされてはいけない
3/21(金)  プレジデントオンライン

公立・私立を問わず、所得制限なしに、高校の授業料が無償化されることになった。

早稲田大学公共政策研究所の渡瀬裕哉さんは「教育の無償化ではなく『税負担化』だ。増税につながるだけでなく、教育の質を悪化させる愚策ではないか」という――。

■私学の教育無償化が全国で行われることに

 自民・公明・日本維新の会が来年度予算に賛成したことで、私学の教育無償化が全国的に行われることになった。
そして、日本維新の会はさらに大学無償化まで実現するように推し進めるという。

 この教育無償化は「教育税負担化」と言い換えて良い。
石破首相は「歳入・歳出両面の措置を徹底的に行い、安定的かつ恒久的な財源を見いだすことは政府の責務だ」としている。このような発言は将来的な増税によって賄うシグナルのようなものだ。

 大阪府で私学の教育税負担化を行ってきた大阪維新の会(≒日本維新の会)は「増税ではなく行政改革で予算を捻出してきた」と主張している。
大阪府は来年度予算でも高校や大阪公立大学の授業料税負担化のために約297億円を計上している。
ただし、実際にはアベノミクスによる税収増や消費税増税効果による歳入増があり、なおかつ教育税負担化予算を計上しなければ一部見直しが可能であった過去から継続する法人税超過課税を放置している現実を無視した話なので「行革で云々」は話半分だ。

 そして、大阪府はみずからが導入した教育税負担化について、国による高校授業料無償化の拡充によって府の財政負担は、2025年度に約37億円、2026年度に約254億円を削減できるとしている。
つまり、大阪府は自分勝手に始めた政策の負担を最終的には国に背負わせることに成功したということだ。
すでに高等教育の税負担化を実現している東京都の予算額である約600億円を足し合わせると、約900億円弱の負担が東京・大阪の二大都市から消えることになる。

■結果として、永遠に続く「サブスク払い」となる

 日本全体で私立高校の教育税負担化を実現するためには約6000億円が必要とされている。
東京・大阪の約900億円は全予算の約15%を占めているが、他の道府県はそのような過剰な予算捻出は予算の優先順位等の観点から行われていない。
都市部の金満自治体の感覚をそのまま他の道府県にまで押し付けた場合、本来はそのような予算が無かった地域にも新たな予算バラマキが行われることになる。

 当たり前であるが、政府与党はこのような恒久的な予算支出を増税の好機と捉えるであろう。
教育税負担化の約2倍の恒久的支出である防衛増税は、今回の自公維の賛成によってしっかりと恒久増税化の道筋がつけられていることからもお察しだ。
結果として、この手の予算支出は永遠に続くサブスク払いとなって国民全員の税負担となって返ってくるものだ。

 仮に日本維新の会が「行政改革によって予算を捻出する」というなら、今すぐ与党入りして来年度の骨太の方針にその旨明記し参議院議員選挙で審判を受けるべきであるが、その見通しも無さそうだ。
実に無責任な政治の有様であり、政府与党による増税の仕込みは着々と進むだろう。

■そもそも、日本の高校進学率は98%超

 さて、教育税負担化は実際にはどのような効果が期待できるのであろうか。
そもそも日本の高校進学率は98%超であるため、教育税負担化を実施したところで統計的に有意な差がもたらされないだろう。

 むしろ、これ以上の高校進学率の上昇を望むならば、6000億円もの予算を投じて私立高校の授業料を税負担化するよりも、国民に対する義務教育の延長や奨学金の拡充によって達成するほうがはるかに合理的である。
誰がどう見ても当たり前の話であり、その教育税負担化のための予算の一部でも使って公立学校の環境改善に投じたほうが良い結果が得られるだろう。

 筆者は親が教育に支出する行為は、社会規範や道徳心を育むことにつながると考えるため、教育に対する過剰な税負担にはそもそも反対の立場であるが、私立の教育税負担化という天下の愚策に比べればはるかにマシである。

■塾・予備校への実質的な「補助金」

 次に、教育の質という点ではどうだろうか。
世界の15歳の子どもたちの学習到達度を図るPISAにおいて、日本はほぼ常に上位国となっている。
2022年ランキングでは日本は数学リテラシー5位、科学リテラシー2位、読解力3位である。日本よりも上位の国はシンガポール、マカオ、香港、台湾、アイルランドなどの小都市国家のみだ。
つまり、現行の日本の中学校までの教育水準は諸外国と比べてほぼトップの成績を残している。

 日本の公立教育が優れているのか、それとも日本人自体の資質がそうさせるのかはわからないが、このような状況が高校進学した途端に激変するとは到底思えない。
したがって、現在の教育システムを変更して、新たな税負担を講じて私立学校に通わせる必要があるとは言いがたい。

 一方、私立高校の授業料税負担化は、中長期的にその教育内容を悪化させていくことになるだろう。
これは何も難しい話ではなく、当たり前の商売の常識を持っていればわかることだ。
価格は商品の良し悪しを判定するためのツールである。
したがって、授業料の価格システムが破壊された場合、親の学校教育に対する期待値の判定は、ブランドネームのみに左右される極めて権威主義的な状態が蔓延することになる。

 ただし、最初はある程度は学校選択の方法として機能するかもしれない。
しかし、私立学校の売り上げの大半を占める授業料が政府の税金で賄われる以上、本来の顧客である家庭よりも政府の顔色が重視され、授業内容はおざなりになっていくだろう。

 そして、元々私立学校に通わせる親はさらに予備校・学習塾にも通わせており、結果として予備校・塾産業がさらに栄えるだけになる。
なぜなら、そちらは「価格」がついていて、その価値がわかるようになっているからだ。
そのため、教育税負担化は、私立の腐敗が蔓延するだけでなく、学習塾・予備校への実質的な補助金になるだろう。
まさに学校の破壊に拍車をかけるものだ。

■子育て・教育以前に、結婚する若者の人数が減少

 一部の政治家は、私立学校の教育税負担化で「公立学校が淘汰されることになるから良いのだ」という人々もいる。
たしかに、彼らの本音が、公立学校の土地を売り払いかつダメ教員を削減したい、ということであれば、多少は気持ちが分からんでもない。
しかし、上述の通り、不必要かつ無用な問題を新たに生み出す行為に追加で予算を投じることは間違っている。

 よりオブラートに包んだ「少子化で学校が過剰に存在しすぎるようになるため」という建前を掲げる場合はなおさらだ。
それらの話を住民に説明して納得を得ることが地方自治であり、国の制度化することによって一気にそれを進めることを是とするなら、その政治家は地方自治を語る資格がない。早々に地方自治体が持つ全権限を国に移譲して問題を解決してもらうべきだ。

 最後に、教育税負担化は「少子化対策に寄与する」ので、全国民が税負担することは当然だ、という主張にも疑問を呈したい。
子どもが生まれない原因は、若者の手取りが減少して子育て・教育以前に結婚する若者の人数が減少しているからだ。
労働法制の硬直化による年功序列制度、若者に対する税金・社会保険料の過剰請求、これらによって彼らの給与・手取りは異常に安い価格に抑えられている。
仮に石破首相が恒久的な支出に対する恒久的な財源(=増税)で、教育税負担化を賄おうとするなら本末転倒甚だしいことだ。

■「少子化対策に寄与する」はウソである

 また、少子化の原因は女性の高学歴化・高キャリア化が進むことで晩婚化・晩産化が進んでいることにもある。
女性のキャリア志向が高まる中で、そのキャリアを一時中断するコストとリスクは非常に高い。
したがって、キャリア形成に重要な若年段階で子どもを持つことは忌避されるのは当然だ。
これは単なる構造問題であって良い・悪いという問題ではない。
その結果として長子の晩産化が進みつつある中、「第二子・第三子を私立高校に税負担で通わせられるようになったから子どもを産みます」ということを期待することは妥当だろうか。

 現在でも高校進学率98%超であり、結局は学習塾・予備校産業に追加で家計支出が行われる可能性に鑑み、私立高校の教育税負担化が出生率に影響を及ぼすとは考えがたい。

 以上のように、私立高校の教育無償化=教育税負担化には日本国民の公益に追加で資するメリットらしきものが見当たらない。
むしろ、デメリットのほうが大きいように考えられる。
この政策を推進する人々が夏の参議院議員選挙で大敗し、私立高校の教育無償化という愚策が撤回されることを望んでいる。
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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員
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2025年03月23日

犯罪なのに…日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」

犯罪なのに…日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」
3/22(土) 現代ビジネス

いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。

普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、日本・日本人の謎や難題に迫る話題書『日本の死角』を読みはじめている。

「学校」という病

最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。

話題書『日本の死角』では、「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」という論考でそのテーマを深く掘り下げている。一部を紹介したい。

***
最も根幹的な問題は、「学校とはなにか」ということであり、そこからいじめの蔓延とエスカレートも生じる。

わたしたちが「あたりまえ」に受け入れてきた学校とはなんだろうか。
いじめは、学校という独特の生活環境のなかで、どこまでも、どこまでもエスカレートする。

先ほど例にあげた横浜のいじめが、数年間も「あたりまえ」に続いたのも、学校が外の市民社会とは別の特別な場所だからだ。
社会であたりまえでないことが学校で「あたりまえ」になる。

学校とはどのようなところか。

日本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。
学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。

これは、常軌を逸したといってもよいほど、しつこい。
生徒が「生徒らしく」なければ、「学校らしい」学校がこわれてしまうからだ。

たとえば、生徒の髪が長い、スカートが短い、化粧をしている、色のついた靴下をはいているといったありさまを目にすると、センセイたちは被害感でいっぱいになる。

「わたしたちの学校らしい学校がこわされる」

「おまえが思いどおりにならないおかげで、わたしたちの世界がこわれてしまうではないか。どうしてくれるんだ」

というわけだ。

そして、生徒を立たせて頭のてっぺんからつま先までジロジロ監視し、スカートを引っ張ってものさしで測り、いやがらせで相手を意のままに「生徒らしく」するといった、激烈な指導反応が引き起こされる。

この「わたしたちの世界」を守ることにくらべて、一人ひとりの人間は重要ではない。
人間は日々「生徒らしい」生徒にされることで、「学校らしい」学校を明らかにする素材にすぎない。

多くのセンセイたちは、身だしなみ指導や挨拶運動、学校行事や部活動など、人を「生徒」に変えて「学校らしさ」を明徴するためであれば、長時間労働をいとわない。

その同じ熱心なセンセイたちが、いじめ(センセイが加害者の場合も含む)で生徒が苦しんでいても面倒くさがり、しぶしぶ応対し、ときに見て見ぬふりをする。私たちはそれをよく目にする。

ある中学校では、目の前で生徒がいじめられているのを見て見ぬふりしていたセンセイたちが、学校の廊下に小さな飴の包み紙が落ちているのを発見したら、大事件発生とばかりに学年集会を開いたという(見て見ぬふりをされた本人〈現在大学生〉の回想より)。こういったことが、典型的に日本の学校らしいできごとだ。

こういった集団生活のなかで起きていることを深く、深く、どこまでも深く掘りさげる必要がある。

学校では自由が許されない

さらにそれが日本社会に及ぼす影響を考える必要がある。
学校の分析を手がかりにして、人類がある条件のもとでそうなってしまう、群れたバッタのようなありかたについて考える必要がある。

学校で集団生活をしていると、まるで群れたバッタが、別の色、体のかたちになって飛び回るように、生きている根本気分が変わる。
何があたりまえであるかも変わる。こうして若い市民が兵隊のように「生徒らしく」なり、学習支援サービスを提供する営業所が「学校らしい」特別の場所になる。

この「生徒らしさ」「学校らしさ」は、私たちにとって、あまりにもあたりまえのことになっている。
だから、人をがらりと変えながら、社会の中に別の残酷な小社会をつくりだすしくみに、私たちはなかなか気づくことができない。

しかし学校を、外の広い社会と比較して考えてみると、数え切れないほどの「おかしい」、「よく考えてみたらひどいことではないか?」という箇所が見えてくる。

市民の社会では自由なことが、学校では許されないことが多い。

たとえば、どんな服を着るかの自由がない。
制服を着なければならないだけでなく、靴下や下着やアクセサリー、鞄、スカートの長さや髪のかたちまで、細かく強制される。
どこでだれと何を、どのようなしぐさで食べるかということも、細かく強制される(給食指導)。社会であたりまえに許されることが、学校ではあたりまえに許されない。

逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する。
センセイや学校組織が行う場合、それらは教育である、指導であるとして正当化される。

正当化するのがちょっと苦しい場合は、「教育熱心」のあまりの「いきすぎた指導」として責任からのがれることができる。生徒が加害者の場合、犯罪であっても「いじめ」という名前をつけて教育の問題にする。

こうして、社会であたりまえに許されないことが、学校ではあたりまえに許されるようになる。

現代新書編集部
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2025年03月26日

意外と知らない、レポート・論文が書ける人と書けない人の「大きな違い」《「絶対知っておきたいコツ」の正体…!》

意外と知らない、レポート・論文が書ける人と書けない人の「大きな違い」《「絶対知っておきたいコツ」の正体…!》
3/25(火) 現代ビジネス

学期末や卒業前になると噴出する「レポート・論文ってどう書いたらいいんだろう」という疑問――。

テーマをどう選べばいいか、なぜ文章が書き出せないのか、良い論文と悪い論文の決定的な違いとは、絶対やっちゃダメなこととは……新刊『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』では、指導経験豊富な大学教授が「極意」を書き尽くしている。

テーマをどう選ぶか

論文やレポートを書くとき、まずは「テーマ」をどうするか。ここに悩む人が多そうです。

では書ける人はどんなことを考えているかというと……。

〈文系の論文を書くにあたって、テーマ決めは、ある意味、最重要ポイントです。
論文を書く作業が楽しくなるかどうか、また最終的に良い論文が仕上がるかどうかは、すべてこの一点にかかっているといっても過言ではありません。
ですから、論文のテーマを決める際には、細心の注意が必要です。

テーマを決める際の心得は、実は一つしかありません。それは何かと申しますと……

自分にとって興味のあることについて書く

これです。そして、これ以外ないです。

論文というのは、どのような種類のものであれ、それを書く前段階として相当長い時間をかけてコツコツと調べものをしなければならないのですから、うっかり自分の興味から外れたテーマを選んでしまったりすると大変。
「論文、書かなくちゃ……」と思うだけで苦痛を感じるようになってしまいます。
それだけに、テーマを決める際には「自分はこのテーマに本当に興味が持てるだろうか?」と繰り返し自問することが重要です。
間違っても、「人からすすめられて……」といった安易な決め方をしてはいけません。
あくまで自分本位に決めてください。〉(『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』より)

2つの型がある

テーマが決める際に、論文の「型」も知っておくと便利です。

『 ゼロから始める 無敵のレポート・論文術 』では2つの型を紹介しています。

自分に合った型があるかもしれませんので、知っておくとよいでしょう。

〈大まかな話をしますと、文系/文化論系の論文には二つのタイプがあります。
「論争型」と「伝記型」です。

まず論争型論文について説明します。

これは私がこれまで生きてきた中で得た実感の一つなのですが、およそ天の下のことにはたいてい、表と裏の二面があり、その二面のどちらにもそれなりの正当性がある、というところがあります。
もっと簡単にいえば、どんな話題にせよ、それぞれ相応の説得力を持った賛否両論が成り立つものだ、ということですね。

たとえば、この本を書いている私はかなり真面目な人間でありまして、それは間違いなく私の長所だと思います。
しかし、真面目な人間であるがゆえに損をすることもたくさんある。
一部の人たちは、私のことを「真面目なばかりで、付き合いが悪い。つまらん奴だ」と思っているでしょうし、自分でもそう思うことがあります。
実際、真面目であるために、豪放なことができない。人の目を気にするあまり、自分の思うような生き方ができないところもある。
つまり真面目であることは、私にとって大きな短所でもあるわけです。

とすると、一般論として真面目であることは長所であるともいえるし、また短所であるともいえることになる。
同じことに対して、二つの正反対の評価を下すことができて、しかもその両方とも、ある意味では当たっているということです。

ことほどさように、世の中のことにはたいてい賛否両論があり、そのそれぞれの言い分にまっとうな根拠があることが多いんですね。だからこそ、双方の立場から論争をすることができる。

(中略)

賛否両論が巻き起こっているような社会問題を取り上げるのではなく、特定の国(本書の場合はアメリカ)の歴史や文化に関連の深い人物や事物について、その伝記的な事実を掘り起こしていくタイプの論文だってあり得るはず。

主に伝記的な事実を扱うので、とりあえずこれを「伝記型論文」と名づけておきますが、私のゼミ生がかつて取り組んだ卒論のテーマでいいますと、「ブルース音楽が白人社会に与えた影響」「アメリカ初の全国紙USA TODAYの成立史」「ブロードウェイ・ミュージカルの歴史」「ラルフ・ネーダーと消費者運動」「雑誌広告の変遷」「ボーイ・スカウト運動の発展史」「マクドナルドの歴史」「アメリカ現代写真とフォトジャーナリズムのルーツ:アンリ・カルティエ=ブレッソンからロバート・フランクまで」「ソウル・ミュージックの歴史」「アメリカにおける女子教育の変遷」「スミソニアン博物館の歴史」「ジョン・ケージの音楽」「保安官制度から見るアメリカ警察組織」「カリフォルニア・ワインの歴史」といったあたりが伝記型論文の代表例ということになるでしょうか。
またこれは人物・事物ではありませんが、「アメリカにおける清潔概念」といったテーマも伝記型論文の範疇に入ります。〉『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』

一文目をどう書き出すか

こうしてテーマや型を決めたら、どう書き出すか。一文目をどう書いたらいいかわからないという人もいるでしょう。

〈ゼミ生に卒論指導をしていて、一番てこずるのは、実際に本文を書き出させることです。
テーマ決め、資料収集、ネタ・カード作り−ここまでは割と順調に進むのですが、「では、そろそろ本文を書いてみなさい」というと、途端に渋り出す。急に頑固になって、なかなか書き出そうとしない……。

ま、その気持ちはわからないでもありません。ゼミ生たちとしても、何しろ一生に一度の卒論ですから、「傑作を書きたい」という気持ちがあるのでしょう。
で、そんな思い込みがあるゆえに、最初の一行を書くのが逆に怖くなってしまう。
はたしてこの一行が「傑作」の名に値する一行か? と考え始めると、途端に不安になって、書いては消し、書いては消し……。

わかります。よーくわかります。
なぜなら、我々プロの研究者も同じだからです。
論文を書く度に、今度こそ傑作を書こうと思い、その思いが余って最初の一行が書き出せない。その繰り返しです。

私はゼミ生たちに次のようなアドバイスをすることにしています。

自分が書こうとしている論文の内容を、口頭で、友人に説明してみなさい

このアドバイスのポイントは「口頭で」というところにあります。
論文の書き出しに迷ったら、まず筆(パソコン)を措いて、口で説明してみろ、ということですね。
しかも指導している私に対してではなく、もっと気楽に話せる友人に。もちろんこの場合、本物の友人でなくてもかまいません。
頭の中に思い浮かべた空想上の友人でもいい。
とにかくその友人に向かって自分が卒論で何を調べているか、またその過程でどんなことがわかったかについてざっくばらんにしゃべってみる。

人間、人に向かって何かをしゃべるとなると、自然に話に起承転結をつけるものです
つまりごく自然にストーリーを作って、それを上手に物語るものなんですね。
逆に、起承転結のない話を人にするのは至難の業。
ですから、「仮に今、自分が調べていることを友人に説明するとしたら、自分はいったいどこから、どういうふうに話し出すだろうか……」と考えることは、とりわけ論文の書き出しを決めるときには非常に参考になるんです。

ただ、その際に重要なことは、あなたが語りかけようとしているその友人には、あなたが論文のテーマに選んだ事柄についての予備知識がまったくない、と仮定することです。
つまり、何も知らない人に向かって自分が書こうとしていることを説明するつもりになる、というところがミソなんですね。〉(『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』より)

現代新書編集部
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2025年03月29日

テストの点数でも、足の速さでもない…成績表で"5"を取るために教師が小学生に求める「理不尽な評価基準」

テストの点数でも、足の速さでもない…成績表で"5"を取るために教師が小学生に求める「理不尽な評価基準」
3/28(金) プレジデントオンライン

日本の学校は、テストの結果だけで子供の成績をつけなくなった。
公平性が増したように見えるが、どのような問題があるのか。
木村草太『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』(KADOKAWA)から、木村さんと教育社会学者の内田良さんの対談の一部を再編集して紹介する――。(第4回)

■“子供に寄り添った授業”がやりにくくなる

 教育現場では、今まさに劇的な変化が進んでいる。
全国の自治体や学校では、授業の進め方やルールなどを統一する「授業スタンダード」と呼ばれるものが広がりつつある。
教師の長時間労働などの背景を研究し、現場のリアルな声を発信してきた教育社会学者の内田良(うちだりょう)さんと議論した。

 【木村】
気になっているのは、「授業スタンダード」の導入です。
授業方法から挨拶などの生活指導まで、「こういう方法でやりなさい」というスタンダードが下りてきて、教師の裁量が低下する。
裁量性が広い双方向・探究型授業を行おうとするがゆえに、ノウハウが求められて、結果的にスタンダードが導入されるという事態になっています。

 ただ、教育法学でも憲法学でも、現場の教師の裁量は非常に重要だと言われているんです。
裁判官は子ども一人ひとりの顔は知らないし、どんな子なのかも分からない。
他方で現場の教師は、その教室の専門家として、時間をかけて子どもたちへの理解を積み重ねている。
その専門家としての判断を裁判官や法律家は尊重する必要があるし、裁判所にとっても、授業の方法が裁量を逸脱しているかどうか、違法性を認定することには非常に慎重になる。

 ところが、授業スタンダードが設定されると、「この子はもう少しゆっくり喋(しゃべ)ってあげた方がいいな」とか「この子たちは、この知識がないから、それを定着させてから次のプロセスに入ろう」といった判断が許されなくなってしまう。

■保護者に説明しやすいメリットもあるが…

 「メガホン」というウェブメディアが実施した教職員向けアンケートを目にしたのですが、それを見ると、現場の教員は、スタンダードに関して、メリットよりもデメリットを強く感じているようです。

 唯一のメリットと言えば、保護者に説明が出来ることぐらいだと。(メガホン「【教職員アンケート結果】学校や自治体で授業のやり方を統一する「授業スタンダード」どう思う?)」

 【内田】
授業スタンダードのメリットはその1点なんですよね。
「管理しています」という証拠として説明責任を果たせる。
例えば、鉛筆が1本なくなったと低学年の子どもが言い出すことがあります。こういう時のために、持ってくる鉛筆は5本と決めて、毎朝本数を確認しておく。すると、日中に1本消えたのだから学校で落としたと言える。

 こうした明確な説明がつきやすいと、何かトラブルが起きた時の説明もしやすいんです。「ちゃんと指導しています」という証拠になる。
そのため、嫌がる教師がいる一方で、コミットしてしまっている教師も多い。

■子供が“教師の顔色”をうかがうようになる

 【木村】
探究型・双方向型授業の問題点と重なるのが、全人格的評価です。

 【内田】
かつてテストの点数だけで評価していたのをやめて、観点別評価に変えていきましょうという仕組みですね。
子どもの力はテストだけで測定しちゃいけないだろうと。
具体的には、関心、意欲、態度が重視されるようになりました。
この子は授業中、こんなに元気よく発表しているじゃないか、それを評価に組み込んで評価の枠を広げましょうという趣旨です。
 この仕組みはおっしゃる通り問題があって、要するに教師の権限が広がって、子どものあらゆる側面を評価できるようになってしまうんです。
態度が悪い子どもを指導する、あるいは指導しなくとも、子どもは教師の顔色をうかがいながら学校生活を過ごすようになる。

 【木村】
じゃあ、どんな子どもが高いスコアを取れるかというと、実はテストが得意な子どもなんです。
評価軸ごとにノウハウを磨いて、それを満たすように振る舞うには、テスト対策と同じ能力が必要ですから。もともと目指していたものとは、乖離していく。

 【内田】
例えば苦手な教科は終わった後に質問しに行くことで意欲をアピールして、みたいなテクニックが生まれます。
それでスコアを上げて、推薦入試を狙うと。

■“体育が得意”なだけでは「5」が取れない

 【木村】
私の子ども時代には、「体育」が「5」の子どもはクラスのスポーツのヒーローだったわけですが、今「体育」が「5」の子どもは違います。
技能が出来るだけでは「4」までしか取れなくて、その後の振り返りで、「目標は◇◇だった」「○○の点ができなかった」「今後は、それを改善するために、△△に取り組みたい」みたいなことを表現できないといけない。
これはやはりずれていると思うんです。人格の評価は、技能の評価とは別で考えないといけない。

 【内田】
テストの点数だけで評価すると言うと冷たく聞こえますが、裏返すと「それ以外は自由でいいよ」という話じゃないですか。最低限の知識はテストで評価させてもらうから、他は好きにしていいよ、と。
この方が子どもにとっても良かったんじゃないかという感覚があります。

 テストの点数は悪くても意欲がある子どもに対しては、例えば教師が休み時間に声をかければいいわけですよね。
「この前の発表、良かったよ」とか。声をかけて褒めてあげれば、すごく自信が付くし、前向きに生きていけるはずなんです。「テストはダメだったけど、先生に褒められたもん」と思える。
それを数字化しようとするからおかしなことになる。「全人格的にあなたは『1』です」とか……。

 【木村】
たまったものではないですよね。

■教育は「技能を身に着けること」が目的である

 【木村】
『虎に翼』というドラマに道男(みちお)くんというキャラクターが出てきます。
戦災孤児が生活のために犯罪を犯してしまったのだけれど、更生していくという設定なのですが、寿司職人になって料理の技術は上がっても、接客と経理は出来るようにならない。

 普通のドラマだったら、彼は努力を積み重ねて成長するところでしょうが、『虎に翼』では無理なものは無理。
すると、「じゃあ私が手伝うわ」って他のキャラクターが出てくる。
得手不得手があって、個性を補い合いながら社会で生きている。人間って、そういうものであるはずなんです。

 それなのに全人格的評価は、「技能も人格も全部優れていて初めて高く評価されます」という仕組みになっていて、逃げ場がない。
教育は技能を身に着けることが目的であって、プロセスは自由でいいという発想に立ち返る必要があります。

■子供も教師も幸せにならない

 【内田】
こういう主張をすると、「テスト至上主義」というレッテルを貼られてしまいます。

 【木村】
「テスト至上主義」という批判は、多くの場合、批判対象がずれているんです。
昔、大学入試共通テスト改革で「1点刻み」の入試から抜け出す、という主張があったのですが、合格者の定員が決まっている以上、合否を分ける最後の線引きが1点差になるのは必然です。
「1点刻み」をやめたいなら定員を無くすしかない。

 【内田】
テストや偏差値が悪者扱いされてきた歴史には、確かにそれなりの理由がある。
では今が良くなっているかというと、そうは思えない。
現状は、偏差値がなくなったわけではなくて、すべてが偏差値になっているだけなんですよね。

 【木村】
そうなんです。教師側の負担も増えることになります。これまでは期末試験をやって採点すればよかったことが、毎日出欠を取って、手を上げた回数とかを記録しなければいけない。誰も幸福じゃないんです。

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木村 草太(きむら・そうた)
東京都立大学大学院法学政治学研究科教授
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内田 良(うちだ・りょう)
教育社会学者、名古屋大学大学院 教授
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2025年03月31日

【習慣化のコツ】「三日坊主で終わる人」と「努力が続いていく人」の決定的な違い

【習慣化のコツ】「三日坊主で終わる人」と「努力が続いていく人」の決定的な違い
2025年03月30日 04時06分ダイヤモンドオンライン

「毎朝1分間日記を書くだけで、奇跡のように人生が激変する」と語る人がいる。
コーチングスクール「ホリシニクスアカデミー」学長で、1分朝活グループを主宰する三宅裕之氏だ。
その真偽はさておき、こう言われたときにそもそも「毎朝1分日記を書く」こと自体、非常にハードルが高いと感じた人も多いのではないだろうか。
しかし、三宅氏は「毎朝1分日記は誰でも続けられる」と語る。
それはいったいなぜか。三宅氏の著書『奇跡が起きる 毎朝1分日記』をもとに、その理由を解説する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

■毎日日記を書き続けるのは難しい

 地道に物事を継続できる人とできない人がいる。

 筆者は完全に後者だ。三日坊主ならぬ「一日坊主」で、「今日からこれをするぞ!」と決めても、その日だけで終わるという経験が多々ある。

 なんなら世の中の大半のことはきちんと継続できたら達成できるのではないか、と思うくらいに物事を続けるのは難易度が高いものだ。

 大手筆記具メーカーがX(旧・ツイッター)で行ったアンケートでは、日記をつけたことがある人は86%もいた一方、全体の80%の人が「三日坊主で終わった経験がある」と答えた、と本書には書かれている。

 納得の回答である。むしろ、続けられる人が稀有な存在と言ってもいいだろう。

 しかし、三宅氏は「毎朝1分日記にはそんな心配はありません。誰でも、必ず続けられるのが毎朝1分日記なのです」と語る。

 その理由はなんだろうか。

■書くことが決まっていると、日記は続けやすい

 日記を続けられるかどうかの鍵を握るのは「習慣化のメカニズム」である、と三宅氏は指摘する。

「毎朝1分日記が、誰にでも続けられる理由はここにある」と語る三宅氏。
その理由の1つに、「1分しかかからないから行動がたやすい」ことを挙げる。

 用意するのは、ノートとペンの2つだけ。家にある普通のノートでいいそうだ。

 そして、日記に書き込むのは次の2つだけでいい。
 このように、書くことが決まっているというのもポイントだ。

■朝のルーティーンに組み込むことで習慣化を

 次にポイントになるのは「毎朝」1分日記であることだ。

 これは前述した人が行動できるかどうかの3要素、「実行しやすさ」「モチベーション」「きっかけ」のうち、「きっかけ」と関係しているという。

 また、習慣を身につけるには、同じような状況(時間、場所)で同じ行動を繰り返すと、より習慣になりやすいという研究結果があるのだそうだ。

 そのため、会食があったり、帰宅時間がまちまちだったり、お酒を飲んで酔っ払ってしまったりと、なかなかルーティーン化が難しい夜の時間帯よりも、朝の方が「状況の安定性」を最も手に入れやすい。

 だからこそ、三宅氏は、「習慣化に最適なタイミングこそ、朝なのです」と主張する。

■脳のゴールデンタイムにクリエイティブな作業を

 日記を朝に書く理由は、他にもある。

 脳科学の世界では、目覚めてからの約2時間を「ゴールデンタイム」と呼ぶそうだ。

 これらのことから、三宅氏は「毎朝1分日記は朝書くからこそ、続けることができ、自分自身の感情を自分でコントロールでき、ポジティブでクリエイティブな内容にすることができるのです」と語る。

■毎朝1分日記を書く習慣が集中力アップにつながる

 さらに、毎朝1分日記には副次的な効果もあるという。

 毎朝1分日記は、1分という限られた時間で、自分の思考をノートに書き込むものだ。

 そのため、「1分間に集中して物事を考え、ページ上に整理する。
そんな訓練を毎朝続けるうちに、脳はいきなり集中力を高め、エンジン全開で走り始める方法を学ぶ」というのだ。

 他にも、SNSで「毎朝1分日記を始めます!」と宣言してしまったり、「毎朝続けられたら○○する」というごほうびを意識したりすることで、毎朝続けることができるようになるそうだ。

 そして何より、「実行できない日があっても、次の日にまた実行すれば、OK」というのもいい。
ただし、実行できない期間が1週間を超えると、習慣作りが難しくなるそうなので、そこだけ注意したいものだ。

 こうしてみると、「毎朝1分日記を書くこと」のハードルは思ったより高くなさそうだし、続けることのメリットも大きいように感じる。

 三日坊主の筆者ではあるが、これなら続けられるかもしれない。
何より、フリーランスであるが故に、朝ダラダラしてしまう生活習慣を変えるきっかけになるかもしれないと感じられた。

 いつまで続けられるかわからないが、ひとまず明日から始めてみようと思う。
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2025年05月01日

18÷0=?物議を醸した小3の宿題に東大生が反応。「教員の力不足」「思考力を磨く良問」などの声

18÷0=?物議を醸した小3の宿題に東大生が反応。「教員の力不足」「思考力を磨く良問」などの声
2025年04月30日 SPA!

大事件ばかりがニュースではない。身近な小さな事件の方が人生を左右することもある。
GWにオススメの大反響を呼んだ仰天ニュースを特別セレクション!(初公開2024年6月30日 記事は取材時の状況、ご注意ください) 
*  *  *

◆ネット上で物議を醸した”ある投稿”

 先日、ネット上である投稿が話題となりました。
物議をかもしたのは、小学校の算数ドリルの一ページ。
小学校3年生レベルの、ごく普通の割り算問題に混じって「18÷0」という問題が。
これに対して、投稿者のお子さんが「答えなし」と回答したところ、先生はバツをつけた上に「正しい答えは0」と書き直したのです。

 何が問題なのか、と思われるかもしれません。
実は、数学において「0で割る」行為は、認められていない。
ためしに、お手持ちの電卓や、スマートフォンで「18÷0」を試してみてください。きっと「エラー」と出るはずです。

 小学校は、教育機関です。
もちろん、誤ったことを教えてはいけないはず。
それに、教員側は仮にも大学教育までを修了してきているはずなのに、正しい答えである「答えなし」にバツをつけただけではなく、「18÷0=0」と初歩的かつ致命的なミスをしてしまった。
これについて、採点した先生のうかつさや、無知さをたたく人が急増しました。

 さて、今回の騒動について、東大生たちはどう感じているのでしょうか。
今回は30人以上の東大生にインタビューを実施し、いくつか声をまとめてみました。

◆「どっちでもいい」派が多数

 意外と多かったのが、「どっちでもいい」とする声。
色々なことに厳密になりたがる東大生の意見としてはかなり驚かされます。以下のような理由が出ていました。

「小学校の間は、とりあえず計算の能力を身につけたり、正しい順序で計算するルールを覚えたりすることが大事。
確かにゼロ除算はNGだが、そういった細かいことは中学校や高校に上がってからでもなんとかなる」

「18÷0の答えはともかく、採点した教師が『18÷0=答えなし』に対してバツをつけたことが問題。
『自分の教えたことと違うからバツ』ならば、教員としてあるまじき態度。
『小学生にとっては難しすぎるから、いったんゼロにしておきましょう』ならわかるが、『答えなし』にバツをつける理由にはならない」

「そもそも『18÷0』の文字列に対して、気持ち悪さを持つようになることが、数の暗黙知を育てることにつながると思う。特殊例と一般的な計算式を同列に並べてしまうことが問題であって、教員側の知識の整理がついていないのではないか」

 学校教育のカリキュラム全体を考えた時の問題の大きさや、回答に至るまでのプロセスなど、単純な計算結果にはこだわらない姿勢が見えました。
確かに数学的に正しい答えは「答えなし」ですが、ここにバツをつけてしまった理由を追求すべきなのかもしれません。

◆思考力を磨く良問だったのに……

 また、「考える機会になってよい」とする意見も多くありました。以下に、いくつかの回答を抜粋して並べます。

「機械的に『÷0』は成立しないと教えても、単純暗記になってしまうから、数学的なセンスは身につかない。
そうではなく、『18÷1=?』『18÷0.1=?』『18÷0.01=?』……と問題を出して、その果てに『18÷0=?』と出題すれば、考える能力を身に着けるきっかけになる。」

「普通は『定義できない』と教わることが多いが、本当に定義できないのか、そもそも定義できないとはどんな状況かを考えることが重要。
ただし、子どもたちが自力でそこまでたどり着くのは難しいと思われるので、そこを大人が補助する必要がある。

 別に『18÷0=0』と教えるのも、いったんはいいかもしれないが、『なぜそうなるのか』を筋道立てて説明できないのであれば、教員側の力不足と指摘されても仕方ない部分がある」

◆大切なのは「子どもの思考力を阻害しないこと」

 近年、教育現場では「子どもたちが自分で考えることの大切さ」を説かれるようになっています。
昔のような先生の独り舞台ではなく、子どもたちに積極的に発表させたり、グループを作って話し合わせたりするのです。

 こういった教育の目的は「自立した思考力」を身に着けてほしいため。
となれば、今回の「18÷0」の問題に関しては、思考力を育むための絶好のケースといえるのではないでしょうか。
最高のケーススタディでも、出題側のリテラシーによっては、うまく使いこなせない場合がある。今回はそれが如実に表れた例なのかもしれません。

 今回の問題については、結局「子どもの思考力を阻害しないことが大事」という結論になりました。
教育現場も同じ方向を向いているはずですが、その実情はまだまだ発展途上の印象。
先生と生徒、教育の未来はどちらを向いているのでしょうか。

【布施川天馬】
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2025年05月04日

憲法記念日とは?由来や意味、日本国憲法の基礎知識を紹介

憲法記念日とは?由来や意味、日本国憲法の基礎知識を紹介
2025/04/23 旅の+one

ふと、カレンダーを見ると、5月3日は「憲法記念日」とある。連休に埋もれてしまい、気付かずに過ごしてしまう人が多いかもしれない。
そもそも憲法って?なんとなく理解した気になっているが、きちんと説明するのは案外難しい。

社会人の常識として、ここはしっかり押さえておきたいものだ。

今回は、憲法記念日の由来や今さら聞けない「日本国憲法」の概要をできるだけわかりやすく解説する。ぜひ参考にしてみてほしい。

この記事では

・憲法記念日の由来や歴史
・憲法と法律の違い
・日本国憲法の基礎知識

などを紹介する。

本当は11月3日だった?

実は本来、日本国憲法は、昭和21年(1946)11月3日に公布されたものだ。

その施行をいつからにするか?当時の閣議内で審議が行われ、さまざまに議論された結果、5月3日が施行日とされた。

その後、新憲法に基づく新たな国にふさわしい祝日を定めるために「国民の祝日に関する法律」の審議が行われ、5月3日を憲法記念日とする法案が可決。

この日の祝日の趣旨は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期待する」とある。

では、11月3日は?というと、これは「文化の日」となっている。

もともと、この日は昭和初期まで存在した明治節という祝日で、明治天皇の誕生日でもある。
5月3日という方針に決められた理由の一つに、記念日の重複が好ましくないとされたというものがある。

ちなみに文化の日の趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」。

「憲法週間」にはイベントも

毎年5月1〜7日は憲法週間として、全国各地の裁判所ではさまざまな活動やイベントが行われる。

その内容は、憲法の精神や司法の機能を国民に理解してもらうことや国民主権、平和主義、基本的人権の尊重など、日本国憲法の意義を再確認するのが目的だ。

私たちの生活の身近に感じにくい法律関係だが、選ばれた国民が刑事裁判に参加する裁判員制度も始まっている。

いつ何時、その日がやってくる可能性があるかもしれない。
その時になって慌てないように、日頃から法律に親しんでおこう。

なお、裁判所で行われる民事裁判の口頭弁論や判決の手続き、刑事裁判の公判、判決手続きは、憲法週間を問わず、誰でも傍聴することができる。

事前申し込みは必要ないが、傍聴希望者が多いときは抽選が行われる。日程や傍聴手順などは、裁判所のサイトでチェックして。

憲法と法律はどう違う?

社会のルールを制定する「憲法」と「法律」。どちらもニュースなどでよく耳にするワードだが、一体何が違うのだろうか?それぞれの定義を簡単に解説していこう。

憲法とは?
憲法とは、わかりやすく言えば国家の礎となるグランドデザインと言うべき基本的な規範だ。「国家がどうあるべきか」「国民の権利や義務は何か」などを定め、最高法規として法のトップに立つ。

主権者はあくまでも国民。日本国民の基本的人権を保障し、確保するために、国民が「国家を縛る」ことが大きな目的だ。
「縛る」と言うと少々わかりづらいかもしれないが、権力の暴走を国民が防ぐということ。日本国憲法が「憲法」たるゆえんだ。

法律とは?
法律は、社会秩序を守るために、国家が国民を縛る規範のことだ。私たちは憲法で基本的人権が保障されているのだが、だからと言ってルールを守らずに好き勝手生きていいというものではない。

そのことが、他の人の自由や権利を奪うことだってある。そうならないために、強制力をもって止めるのが法律の大きな役割。

法律は「民事法」「刑事法」「行政法」など、各分野で細分化、網羅されている。

国会によって制定するのが決まりで、憲法の内容に反するものは制定できない。

なお、国会の最も重要な仕事の一つが法律を作ること。内閣または議員から法律案が提出され、審議が行われる。重要な案件の場合は、本会議で質疑応答などが行われ、採決される。衆参両議院で可決されると法律として成立し、公布される。よって、時代に即した新たな法律が、毎年生まれたり、更新されたりしている。

今こそ見直したい、日本国憲法

日本国憲法の内容については、社会科の授業で習ったかも?という記憶をぼんやりと持っている人が多いかもしれない。
そこで今一度、日本国憲法について簡単におさらいしてみたい。

日本国憲法は、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指導のもとに作成され、制定、公布された。
「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」が、日本国憲法を特徴付ける三原則だ。

11章103条からなり、大きく分けると人権規定、統治規定、憲法保障の三つで構成されている。

国家権力を制限し、人権を尊重することを最も重要な価値観として各章が定められている。

国民主権

日本国憲法は、第一条に国民主権を定めている。字にあるとおり、国民に主権がある、ということだが、一体どういうことなのか?

主権とは、国を統治する権力のことをいう。明治時代に発布された大日本帝国憲法では、議会制こそ定められていたが、統治権を持つ主権は天皇にあることが明記されていた。

それが戦後、日本国憲法の制定、公布によって統治権が国民にあると定められたのだ。

国を統治する権力とは、社会を安定して持続させるための法律作りや、法律を執行する力のこと。本来なら主権者である国民が行うべきだが、それを行うことができないので、私たちの代表として国会議員が行う。

もし、彼らが国民の代表として、適切な権利を行使せず、ふさわしくないとすれば審判を下すことも。それが選挙。だからこそ、私たちは選挙に行き、投票を行う。主権者の役割として、投票はとても重要な行動だということを肝に銘じておこう。

基本的人権の尊重

人は生まれた以上、人間らしい基本的な生活をする権利を持っている。これが「基本的人権」の考え方だ。

日本国憲法では、第3章にある「国民の権利及び義務」の条文の第11条で「誰からの侵害も受けない永久の権利として、すべての国民にこれを保障」している。また、第14条では「すべての国民は、法の下に平等でありいかなる差別も受けない」とも。

基本的人権の権利には次のようなものが含まれる。

・自由権……思想、精神、宗教、学問、表現、職業選択、経済活動の自由など
・参政権……選挙権、被選挙権(政治家として立候補すること)、国民審査権(最高裁判所の裁判官を選ぶ)、国民投票権など
・社会権……生存権(健康で文化的な最低限度の生活)、教育、勤労の権利など
・平等権……差別的な扱いを受けない権利など
・請求権……裁判を受ける権利、国家賠償請求権や刑事補償請求権など

また、時代に即した新しい権利なども制定されている。例えば、私生活上の事柄を公開されないための「プライバシーの権利」、よりよい環境で暮らすための「環境権」、情報公開を求める「知る権利」などがある。

平和主義

現在でも報道などで目にしたり耳にしたりすることも多い第9条は「平和主義」を規定したもので、第二次世界大戦の反省から、二度とこのような惨事を繰り返さないために作られた。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあり、「戦争の放棄」と「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めている。
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“美容医療の闇”「直美」とは? 保険診療科から若手医師がいなくなる…

“美容医療の闇”「直美」とは? 保険診療科から若手医師がいなくなる…背景に“本当につらい”労働環境
2025年05月03日 弁護士JPニュース

近年「直美(ちょくび)」と呼ばれる医師の増加が、政府や医療関係者の中で議論の対象となっている。

直美とは、医学部を卒業し、2年間の臨床研修を終了した医師が、一般的な保険診療科(内科、外科等)での実務経験なしに、そのまま自由診療の美容医療の分野に進むことを指す。

実際、厚労省の資料によると、美容医療の分野に関わる「皮膚科」「美容外科」「形成外科」の診療所に勤務する医師の割合は、医師全体の年齢構成に比べて、30代以下の層が多い特徴があるという。

特に美容外科では20〜30代の医師が占める割合が増加しており「直美」を選ぶ若手医師の増加が背景にあると考えられる。

また、厚労省が2023年に実施した調査によると、美容外科の診療所数(23年調査)は前回(20年)調査比で612施設増加しており、形成外科も324施設、皮膚科も775施設増となっている。

「何らかの規制、対策は必要」

美容医療の分野に進む若手医師の増加について、厚労省の社会保障審議会では次のような厳しい意見も出ている。

「医師養成には国費が投資されており、国民の医療を守ることが前提となっていることを踏まえれば、一定期間、保険診療に従事させることなど、何らかの規制、対策は必要」(島弘志(しま・ひろじ)日本病院会副会長)

とある医療系労働組合のA氏も、直美を選ぶ若者が増えれば「夜勤勤務などがある、通常の病院は回らなくなる」と話す。

しかし、直美による問題点はこうした医師不足だけにとどまらない。

厚労省は現在の美容医療分野について、「合併症等への対応が困難な医師が施術を担当している」「アフターケア・緊急対応が行われない医療機関がある」といった課題を指摘。
美容医療に関する相談件数は年々増加しているといい、若手医師の「直美」選択は医療体制のあらゆる箇所に影響を与えている可能性がある。

「保険診療で働くのは本当につらい」

医療業界で、なぜこのような事態が生じているのだろうか。

シワやシミの改善、医療脱毛など美容医療を取り扱う「はなふさ皮膚科」の代表で、メディア出演やSNSでの情報発信も行っている花房火月(ひづき)医師は、今年3月、自身のYouTubeチャンネル(登録者32万人)に「【美容医療の闇】業界の実情を包み隠さずお話しします」と題した動画を投稿。

動画内で、「直美」が選ばれる理由について、保険診療に携わる医師と比べ「給料や休日などの条件が良い」ことをあげた。

「逆に言うと保険診療で働くのは本当につらいです。
基幹病院などで働いていれば、たとえば朝の7時からカンファレンスがあり、通常業務の終わる時間が23時ごろになる場合もあります。

加えて、23時から『論文を書きなさい』と言われ、そこに当直も入って来ます。それで、給料は『23万円です』という世界です。

ですから、休みの日も、泊まりのバイトに行くなどして、なんとか生活を立てて、家族も養っていくというのが基幹病院で働いている医師の生き方になります」(花房医師)

一方、動画では「あまり医者としてのキャリアがないのに、美容の施術などでトラブルを起こしたら、どうするんだという論点があり、それを不安視する人も結構いる」と前述した直美の問題点にも言及。「雇う分には良いが、ちゃんと教育をしてほしい」と警鐘を鳴らしていた。

そこで、弁護士JPニュース編集部では「直美」問題について、改めて花房医師を取材。その問題点について話を聞いた。

基幹病院のマンパワーを消費するおそれも…」

花房医師は「はなふさ皮膚科」の研修体制について、「基本的に皮膚科専門医・形成外科専門医を採用し、美容皮膚科の研修は見学・実技指導を経て、必要な症例数を経験してから独り立ちするようにしている」と説明する。

スキルの浅い医師が、十分な研修・教育を受けないまま美容医療に携わった場合のリスクについて次のように語った。

「術後出血、傷跡、感染症など、手術の合併症に対応することができず、結局は基幹病院を紹介することとなり、そちらのマンパワーを消費してしまう、ということが起こりかねません。

また、ほくろやシミと皮膚がんを間違えてレーザーを当ててしまうといった医療ミスを起こすおそれがありますし、手術の難易度に対して、技術が伴っておらず、極端にレベルの低い手術をすることが考えられます。

医療に携わるものとしてのモラルが伴っておらず、利益優先の考え方をしてしまう医師も出てくるのではないでしょうか」

「保険診療を行う医師が高い報酬を得られるように…」

最後に、日本の医療提供体制や、医師の働く環境を改善するには、どのような方策が必要か、花房医師の意見を聞いた。

「一医師としては、たとえば無駄な治療や、必要以上に高額な治療に税金が流れていないかなど、保険治療に対して支払われた税金が妥当なものであったかどうかをチェックする第三者機関が必要かと思っています。

そうすれば、保険診療に携わる医師の報酬を上げられる余地が出る可能性があります。

送別会の上で、保険診療であっても、高度な治療を行う医師には特別に保険点数を引き上げて、高い報酬が得られるようにする、というのはひとつの手ではないでしょうか」
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2025年05月06日

「勉強は楽しかった」の真相。受験のストレスを達成感に変える3つの秘訣

東大生100人が語る「勉強は楽しかった」の真相。受験のストレスを達成感に変える3つの秘訣
2025年05月04日 SPA!

みなさんは「勉強=つらいもの」だと思っていませんか?
 確かに、受験勉強などは「娯楽を我慢して行うもの」と捉えられがち。
「長い冬を耐えれば、恵みの春が待っている」といった考え方が一般的でしょう。

 ですが、多くの東大生は勉強をつらいものだととらえていません。
私はこれまで100人近くの東大生に「受験勉強、大変だったでしょ?」と聞いてきましたが、ほとんどが「楽しかった」と答えました。

 私自身も、確かに受験勉強は大変な道のりでしたが、勉強そのものには楽しく取り組んだ思い出があります。

 今回は、東大生がやっていた「勉強が楽しくなる工夫」をお伝えします!

◆大事なのは「進んでいる感」

 どうして勉強が楽しくないと感じるのでしょうか?

 それはきっと、結果が出ていないから。どんなにつらく苦しいように見える道のりでも、確実に進歩している実感や、レベルアップを感じる機会があれば、モチベーションは上がってくるものです。

 実際に、公立高校から塾なし・現役で東大に合格したある方は「進んでいる感が大事」だと語ってくれました。

 彼は、あらゆる勉強について「ゴール」を設定するようにしており、そのゴールを確実に達成するために、ミニマルスケールの目標を日々設定して、着実に乗り越えていたそうです。

 例えば、秋の模試で東大のA判定を獲りたいとします。
そのためには各科目の目標点数を設定し、その点数を超えるための方法を明確にします。
その点数を超えるためには、どの問題を解けばよいかが分かるので、模試までに残された時間で「どの問題をどの順番で解いて理解すればよいか」を計画できるようになります。

 このプロセスによって、問題を解くたびに一歩ずつ目標に近づいている自分を実感できるため、勉強が「苦しい」とは感じなくなるのだそうです。

 逆に「目標や進歩が見えない」勉強は苦しいものになります。
彼は苦手科目の英語について、確かに少しずつ進歩はしていたものの、目標に間に合うイメージができなかったから、苦しさを感じていたのだとか。

「東大合格」という目標を、もっと細かく分解してゴール間の距離を縮めるべきだったと振り返っていました。

◆勉強=○○を工夫する

 別の東大生は「わからなかった問題がわかるようになると、達成感があって楽しみに変わる」と答えてくれました。
「わからない」がそのままで放置されるとストレス源となりますが、これを「わかる」に変換できると、そのストレスはそのまま開放感に変わります。

 ストレス増加速度よりも速く達成感を継続して得続けられれば、きっと「勉強=楽しいもの、ストレス解消手段」と捉えられるでしょう。

 ある方は「友達と問題を教えあうことが楽しかった」と振り返ります。
つまり、彼の場合は、勉強をコミュニケーションツールとして用いている形。

 一人で孤独に問題と向き合い続けるのではなく、誰かと会話するための話題としてとらえ、世界とのつながりを問題でキャッチする。

 これは勉強それ自体が楽しかったわけではないかもしれませんが、それでも結果として「勉強=楽しい思い出」となっているのですから、立派な一つの方法でしょう。

◆勉強が楽しくなる3つの条件

 私自身は、最初勉強が嫌いでしたが、「各教科担当の先生たちが口を揃えて『楽しい』と言い切るようなものが、楽しくないわけがない。
楽しくないのではなく、楽しめない自分が悪いのだ」と捉えなおして、どうすれば楽しくなるかを考えていました。

その結果、「この英語の構文はこうやって読み解くのか!」や「数学の問題は一面的ではないのか!」といった新しい発見を重ね、徐々に勉強が楽しくなっていきました。

 最初から「これはダメ」と決めつけず、「自分が楽しみ方を発見できていないだけかも」と考えながら取り組む姿勢がお勧めです。

 つまり、これらから勉強が楽しくなる条件がいくつか見出されます。

・達成可能な目標を設けて、高頻度でゴールを設定する。

・目標が同じ友人を作り、コミュニケーションツールとして勉強を用いる。

・勉強内容に意識的に興味を持つようにする。


 これら3つの条件を満たせば満たすほど、勉強は面白くなっていく傾向が強まるようになるでしょう。

 勉強がつらくて仕方がない人は、志を同じくする友人を作るとか、定期的に模試を受験するとか、予想問題を解くとか、そういった工夫によって、勉強が楽しくなってくるかもしれません。

◆ニコニコ笑いながら結果を出せるはず

 私は常々「人生の中につらく苦しい期間があって当然」とはおかしい考え方だと思ってきました。

 一生を通じてハッピーに楽しく暮らしてもいいはずですし、努力だって歯を食いしばり、涙を流しながらやる必要もない。
ニコニコ笑いながら、楽しく結果を出してもいいのではないでしょうか。

 むしろ、東大生たちが結果を出せたのは、受験という「苦行」を、苦行と思わず、楽しみながら駆け抜けたからでは。

 同じ道のりを行くとして、苦しみながら進むものと、楽しみながら進むものでは、どう考えても後者の足取りのほうが軽いでしょう。

 楽しむことが結果につながり、結果が出るからさらに楽しさが増す。
この正のループを実現するためには、「無理にでも楽しむ」か「結果を出す」のどちらかから始める必要があります。

 結果がなかなか出ないなら、まず好きになる努力をしてみてはいかがでしょうか。


【布施川天馬】
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2025年06月06日

「戦没者のおかげで今の日本がある」という欺瞞。戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」すべてにある

「戦没者のおかげで今の日本がある」という欺瞞。戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」すべてにある
6/5(木) 集英社オンライン

『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』刊行記念対談

1945年3月末からの約3ヵ月間、沖縄には米軍が上陸して激しい地上戦が繰り広げられ、軍民合わせて20万人もの命が失われた。
戦後も長らく沖縄は米軍に支配され、日本に返還後も多くの米軍基地が存在している。
また、最近では近隣諸国を仮想敵として、全国で自衛隊基地の強靭化や南西諸島へのミサイル配備が進行中だ。

狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?
――沖縄戦の悲劇の構造を知ることで、その実相が見えてくる。
沖縄戦研究の第一人者・林博史氏は、膨大な資料と最新の知見を駆使して『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』を上梓した。

その林氏との共著『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社)を昨年2024年に刊行した沖縄戦研究者の川満彰氏が、多大な犠牲を生んだ沖縄戦の背景と、新たな戦争を防ぐために何が必要かについて語りあった。

「亡くなった人のおかげ」は戦争に対する責任逃れ

 私はもう30年近く沖縄で平和ガイドというのをさせてもらっていて、子どもたちや労働組合の前で必ず言うことがあるんです。
毎年8月、特に終戦記念日の近くになると、「戦争で亡くなった人のおかげで」という言葉を政治家も言うし、マスメディアもそういう言い方にだんだんなってきています。その構造についてです。

私が戦争体験者の話を聞いている中で、あるおばあちゃんは「父ちゃん(夫)は兵隊に取られて南方で亡くなったんだ。
長男は防衛隊に取られて亡くなったんだ」と言いました。「残りの子どもたちを、一生懸命畑を耕して、野菜を売って育てたんだよ。畑を耕しながらこんちくしょう、誰が父ちゃんを殺したんだ? こんちくしょう、誰が長男を殺したんだ?≠ニ思いながら耕したんだよ」と言っていました。

戦後日本の高度経済成長は「戦争で亡くなった人のおかげ」ということではなくて、生きている人たちが、亡くなった人たちへの思いを背負いながら、悔しさを噛みしめながら一生懸命生きてきて、そんな彼女たちが、生きている人たちが、高度成長を作ったんですよ。
ですから「亡くなった人のおかげ」ではなく、「生きてきた人たちのおかげ」なんです。

では、なぜ「亡くなった人のおかげ」という言い方をするのか? それは戦争に対する責任逃れです。
当然ですが、戦争で亡くなった人たちが生きていれば、もっと高度成長はしていたはずです。

一部を除く政治家や戦争を正当化する人たちが、「亡くなった人のおかげ」というような話をしていくと、そこでもう、亡くなった人が「英霊化」されてしまいます。
英霊であり英雄ですから、誰が殺したのかという戦争責任も何もなくなってしまう。
そこで、先ほど林先生がおっしゃったように、「戦争のせい」、「戦争の責任」で済ませてしまう。

でも、戦争は明らかに最悪の人災なのです。
人災には責任が伴います。だからその人災という部分を、これからも追及していかなくてはいけません。

林先生がおっしゃるように「二度と戦争しないためにはどうするのか?」生きている人たちの教訓も得ながら、「亡くなった人たちは、なぜ亡くなってしまったのか?」という部分もやっていかないといけない。

去年(2024年)、林先生と一緒に『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』という本を書かせてもらいましたが、今回の林先生の書かれた『沖縄戦』にも、この論点が明確に書かれていて、非常に分かりやすい内容になっています。

この間、「沖縄県史」では、沖縄戦をジャンルごとに分けていって、一つひとつの戦局での戦争責任みたいなこともきちんと書かれてはいるんですが、ジャンルごとで終わっていて、トータル的なイメージがしにくいんですね。

しかし今回の林先生の本では、「第32軍が動いているときに、県はどういうふうに関わっていったのか」とか、「そのときに住民はどういうふうにして排除されていったのか」とかいうことが、非常に明確に書かれています。
たとえば、住民の本島北部の森林・山岳地帯への疎開や学童疎開などは、「住民や子どもたちの命を守るため」だったかのように言われることがありますが、実は軍事作戦の邪魔になるものを排除して、軍が作戦行動をしやすいようにしただけのことだった、ということがハッキリ書かれています。
北部に疎開した人々が食糧不足で飢餓に苦しめられたことも記述されています。

「軍が悪かった」という言い方をされるが戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」にある

 今の川満さんの話と重なるかもしれませんが、沖縄戦だけでなく、戦後日本社会で戦争を振り返る際に、もっぱら「日本軍が悪かった」ということが語られます。

でも戦争を準備し、実際に戦争を戦うことは、軍だけではできないんです。
戦争を遂行するために、異論がある人々を抑圧する、言論を統制する、そして一方で人々を戦争に向けて動員する、そのために人々の意識を変えていく、という行政の役割があった。行政の役割や教育の役割も、極めて大きいのです。

そこについて検証することが、たとえば沖縄戦の場合、これまで非常に弱かった。
「日本軍が悪かったんだ」というのは、沖縄では誰もが一致できるところだと思うんですが、「行政の責任」についての検証は弱かった。

今日の日本社会の問題を考えても、別に自衛隊が戦時体制を作っていっているわけじゃありません。
一般の行政が、それを作っていっているのです。そこには教育もメディアも加担しています。

ですから沖縄戦を含め、かつての日本の戦時体制がどうやって作られていったのか、行政がそれをどういうふうに作っていったのかということをきちんと説明しないといけない。
沖縄戦の場合、そこがすごく足りなかったと思うので、そこをかなり意識しながら今回の本では書いています。

そして、それが沖縄戦に突入するまでだけでなくて、米軍が上陸した4月、それから5月という戦闘のさなかにも、実は行政組織はずっと動き続けていて、日本軍と一体となっていました。
たとえば南部だと、ガマの中に隠れているその地域の人々もそうだし、他から逃げてきて避難している人々も含めて、村長とか助役、字の区長、さらに警察とか、行政が軍と一緒になって足腰の立つ者を動員して駆り立てていったのです。
そういう行政の役割をきちんと書きました。
これは現在の日本の問題とも、まさに重なるので。

今年(2025年)は治安維持法が制定された1925年からちょうど100年なので、治安維持法の問題が少し取り上げられていますが、実は治安維持法を含めた「弾圧のための法規」を適用したのが警察官僚です。

そして実は当時の沖縄の島田叡知事も荒井退造県警察部長もともに警察官僚で、特に荒井警察部長は特高(*1)の経験が多い特高官僚ですから、沖縄の行政が民間の人々を戦争に駆り立てていく上で果たした役割が大きい。
それをきちんと見る必要がある。
従来の沖縄戦の本では、そこがみんな弱かったと思うので、かなり丁寧に書いたつもりです。

*1 「とっこう」=特別高等警察の略。戦前・戦中の内務省管轄の秘密警察で、国体護持のために国民を監視することが任務。特に共産主義者や社会主義者、反戦論者、朝鮮半島や台湾、満州など日本の植民地出身者を監視・弾圧した。
労働者の悲惨な状況を描いた小説『蟹工船』の作者、小林多喜二を逮捕し拷問で殺したことでも知られる。戦争に反対する者を逮捕・拷問・収監した。

川満
 そこを本当に丁寧に書かれていますね。
林先生がおっしゃるように、そもそも戦争というのは、軍だけではできっこないものです。
官だけでもできません。
沖縄戦の最中、「軍官民共生共死」というスローガンが使われましたが、まさに軍人も公務員も民衆も一緒にならないと、実は戦争はできない。

だから今現在も、民衆が戦争を正当化してしまうと、もう一気に戦争への道に進んでいくでしょう。
沖縄戦をずっと研究してきて、今それが非常に怖い感じがします。
今年は80年という節目でもあるし、ここで「軍と官と民の戦争責任」をより明確にしないと。そういった意味で今、特に沖縄県の行政の責任が明るみに出てきていますから、あと一押しが必要です。

私たちが生きている今、国は実際にいろんな法律を通しています。
戦争につながる法律が「本当にいいのかどうか」という議論もまともにされないまま、どんどん通されています。
でも今ここにいる私たちは当事者なのです。
そういう当事者としての戦争責任という部分も、沖縄戦を通して明らかにすべきじゃないかと考えています。

戦争体験者に共感するだけでなく「なぜ戦争を防げなかったのか」という社会科学的分析が必要

川満
 今、沖縄では、あいかわらず6月23日(*2)を前後にして、各学校で子どもたちが平和教育を受ける、というのが一つあります。
具体的なやり方としては、沖縄戦の体験者を探して話を聞くわけです。
ただ、体験者に話をしてもらう際に、体験者に無理強いをさせているな、というのを非常に感じます。

体験者というのは、あれだけの地獄絵図を自らの目で見て体験し、本当に肌で感じた人たちです。
それを学校の授業として「45分とか60分でまとめてください」と言うわけですが、はっきり言ってムリですよ。

もちろん、中にはそれができる方もいて、その方たちを私たちは「語り部」と呼んでいますが、そういう方たちは、もともと学校の先生が多いんです。
だから45分とか60分とかで、話のポイントとかを自分で作りながら淡々としゃべることができている。
でもそういう人たちがもう、ほとんどいなくなっています。
沖縄戦体験者はいまだに多いですが、自分の体験をうまくまとめてしゃべれる語り部は、非常に少なくなってきている。

だから今後は、沖縄戦を体験していない非体験者が自分で学びながら平和学習を率先していって、ポイントとなるところを戦争体験者の方にちょっと話してもらうという、そういう形が望ましいだろうと感じます。

琉球大学名誉教授の東江平之 ( あがりえなりゆき ) さんは、終戦のとき14歳で、御年94歳になります。
沖縄戦体験者で、(沖縄の少年兵部隊の)護郷隊で戦闘に立っていました。
彼は私に、「戦争体験者がいなくなるということに対して戦争非体験者はどう思いますか?
 戦争体験を継承する責任は戦争体験者ではなく、いつの時代でも戦争を知らない世代が感性と想像力をみがいて担うべきものです」ということを話してくれました。
まさしくそのとおりだ、と今本当に実感しています。

*2:沖縄県慰霊の日。1945年のこの日に牛島満司令官が自決し、沖縄における大日本帝国軍の組織的戦闘が終結したとされるため。

 今の平和教育についていうと、沖縄戦だけではなく日本における平和教育全般に言えることですが、体験者の証言に依存しすぎなのですよね。
基本的に、体験者に共感し感情移入して「こういう体験を、戦争を二度と繰り返しちゃいけないですね」というところでまとめて終わってしまう。そういう平和教育が多い。

日本の場合、加害の問題はもう、ほとんど取り上げられません。
もっぱら空襲の問題とか、日本人が被害を受けた問題ばかりです。
そこでももっぱら体験者に語らせて、感情移入して「戦争は二度と繰り返しちゃいけませんね」で終わらせる。
それをやっている限り、政治的にどういう立場に立とうと誰もが納得するというか受け入れるので、学校にしてみれば、誰からも反発を受けないで済む。
ただ、そこには社会科学的な分析が欠けていると私は思います。

〇 「じゃあ、なぜその人たちはそういう被害を受けたのか? 
〇 当時の政治や社会や経済などの仕組みはどうなっていたのか? 
〇  どうしてそれを阻むことができなかったのか?」
そういうことを、当時の社会のあり方を社会科学的に分析して、「なぜこうなったのか? 二度と繰り返さないためには、どこをどう変えないといけないのか?」という議論はしないんですね。

これは先ほどから言っている沖縄戦の見方と実は同じです。
この間、日本社会全体が社会科学的な認識じゃなくて、ともかく「共感」とか「寄り添う」とかいうことだけで終わっている。

寄り添うということを私は全部否定するつもりはないのですが、寄り添いながらも一旦ちょっと突き放して、「何でこの人たちはこんなひどい目に遭わされたのか? なぜなんだろう?」ということを冷静に考えてみる、分析してみる、という思考がすごく大事だと思うのです。
そういう訓練や教育が必要じゃないかと。
ですから私は、その点も意識しながらこの本を書いてみました。

日本社会全体がもう基本的に今、感情優先になってしまっているので、そこは、同情とか共感をしつつも、冷静に分析し、人々に犠牲を強いた社会の仕組みなどをきちんととらえ、「どう自分は変えていけるのか?」「変えていくためには何をすればいいのか?」「自分には何ができるのか?」ということを考えるべきです。

そういう意味で、日本の平和教育は体験者の証言だけにずっと依拠し続けてきた。
その問題が今あって「体験者がいなくなったらどうするのか?」ということも、わからなくなってしまっている。

川満
 本当にそのとおりです。私たち戦争非体験者というのは、「なぜ戦争が起きたのか?」ということを調べることはできます。一方、戦争体験者の人たちは、「自分に何があったんだ」ということをしゃべってくれるわけです。
だから、非体験者の俯瞰した物の考え方、見方と、体験者の「実際にこうだったんだ」という部分を、うまく組み合わせ、構成して、今の人たちにどうやってわかりやすく伝えていくかが大切だと思います。

その意味でも、戦争非体験者が大枠を作って、その中に戦争体験者のお話を入れていくという形にしたほうが、今の人たちに理解しやすいでしょう。

先ほども言いましたけど、戦争は始めてしまったら、もうダメなんですよ。
止められない、本当に。だから、「新しい戦争への道」という言葉が出ている今こそ、「今じゃないと止められないよ」という認識をみんなと一緒に作らないといけないのです。

日英同盟から日米同盟まで常に“最強国”とくっついてきた日本だが今こそ真の外交力が求められている

川満
 本書でも触れられていますが、今、沖縄と南西諸島の要塞化がどんどん進められ、ミサイル配備も進んでいます。
そんな中、「自衛隊の沖縄戦認識」にも問題がある、という議論があります。6月23日の慰霊の日に、沖縄の自衛隊幹部や隊員が牛島司令官をまつった「黎明の塔」に参拝に行っていたなど、戦犯に寄り添っている状況があるんです。

先ほど(前編)も話しましたが、中谷防衛大臣が牛島満の辞世の句を「平和の句」だという、とんでもない解釈をしました。そして牛島満をまつった「黎明の塔」に早朝3時とか4時に、自衛隊が隠れるようにして参拝しに行くということをしてきました(批判を受けて現在は中止)。

「なぜそこまでやるんだろう?」と考えると、これから起こるかもしれない戦争を正当化しようとしているんじゃないか、ということが非常に気になります。

今、沖縄の新聞の読者投稿欄には「外交が大事だ」という声が非常によく出てきます。
沖縄の人たちみんながそうじゃないと思いますが、新聞に投稿する人たちは非常に冷静に物を見ていて「なぜこんなバカげた軍備増強をやるのか? なぜもっと外交努力をしないんだ?」という問題提起をけっこう投稿しています。

「なぜ外交ができないんだろう?」ということをもう少し深く考えていくと、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争というものを、日本政府があいかわらず正当化しているというか、自分たちが戦争したことを反省していないということがあります。

しかし私は、そこをしっかり謝罪することから外交が始まると思うんです。
殴られた相手、足を踏まれた相手は100年たっても痛みを忘れない。
被害を受けた人は80年たっても100年たっても痛いわけですから、まずそこに対して、おわびをする。そこから本来の外交が始まって、今の問題につながっていく。

ところが、そういった加害というものにずっと蓋をしていくから、外交の基本的な部分が完全に無視されている。
そして「日米同盟」としての軍備強化がまた始まっていく。そういった姿勢そのもののおかしさを、林先生のこの本や、いろんなアジア太平洋戦争の本から、みんなでもう一度学んで、「外交って何だろう?」というところから進めていった方がいいと感じます。

 今、川満さんから外交の話が出ましたが、近代以来の日本の歩みを考えてみると、最初に、日英同盟を結ぶんですね(1902年)。つまり当時世界一強いと思われる国にくっついた。
後にドイツが台頭してくると、今度はドイツとくっついて、日独伊三国同盟を結んだ。
第二次大戦でそれが失敗すると、今度はまた世界一強いと思われるアメリカと組んで日米同盟だと言う。
そういう意味で「日本の外交ってあったのか?」と。基本的に「一番強い国とくっついていれば何とかなる」という道だけだった。

しかしアメリカが今のように力が弱くなって、しかもトランプ政権は、もう自国のことしか考えない、となっている。
だから今は「いったい日本はどういう生き方をするのか?」を本当に真剣に考えないといけない時なのです。

中国がどんどん強くなってくることはまず間違いないですが、その中で「ただ一番強い者とくっついていけばいいんだ」というのではなく、「そういう世界の中で、どうやって日本の人々の安全と生命を守るのか?」という意味で「本当の外交」が必要な時だと思うんです。

しかし残念ながらそういう議論がほとんど起きていません。
ひたすら「アメリカのご機嫌をどう伺うか?」しかない。
そういう意味で、近代以来の日本の生き方を根本的に考え直す、反省し直すことが必要だろうと。

そこまで言うと話が大きくなりますが、もう少し限定していくと、「戦争にならないための外交にはいろんな努力が必要である」ということと同時に、「仮に戦争になったとしても、人々の被害をできるだけ少なく、最小限にするための対策」というのを自衛隊は軍事組織として考えるべきです。

自衛隊は発足以来ずっと沖縄戦について研究していますが、1950年代ぐらいには、まだ、「日本軍のやり方はちょっと良くなかった」という反省が、少しはあったんです。
自衛隊による沖縄戦史のいろいろな研究の中でも。

ところが1960年代になると、そういう反省とか「ちょっと良くなかった」というのは全部消えていった。
ひたすら「日本軍は立派に戦った、勇戦奮闘した」という一色になってしまった。
しかし大日本帝国憲法下の軍隊をそのまま正当化する必要はないだろうと思います。

日本国憲法の下でもし「自衛隊が必要だ」と考えるのであれば、「どうやって自衛隊が人々の生命や安全を守るのか?」ということを考えなくてはいけません。
仮に自衛隊が戦うにしても、「できるだけ住民に被害を及ぼさないようなやり方」を考えないといけない。

しかし残念ながら日本社会では、そこが全然議論されていません。
ですから、南西諸島でもそうですが、住民の住んでいるところのすぐ近くに自衛隊基地やミサイル発射基地を造ってしまう。
しかし基地があったら、住民は基地もろとも攻撃されてしまうわけですよね。

沖縄本島自体、もう、軍と民衆が一緒に住んでいるところで、ああいう基地のあり方自体がおかしい。
これは日本本土でもそうです。
本土でも、自衛隊基地の本当にすぐそばに住民が住んでいますし、民間の空港や港も自衛隊や米軍が使っています。そうすると、もう日本中全てが軍事攻撃目標になってしまう。

だから、戦争を起こさせないための努力を根本的にやらないといけないのです。
それと同時に、軍事組織を日本という国が持っている以上、「それは住民をいかに守るのか?」という観点で、もっと議論しないといけない。
そういうことの手がかりになるようなものを、この本の中では書いたつもりです。

ですから「絶対に戦争をやらないで済むために日本をどうするか?」と。これは沖縄戦の議論を超えて、もう日本国全体で本当に真剣に議論しないといけないところだと思います。

川満
 いや、本当にそうですね。政治家は基地問題や安保問題について「これは政治家の専権事項である」という言い方をします。僕はあの言葉が非常に怪しいと思っています。
それを打破したのが、前沖縄県知事の翁長雄志 ( おながたけし ) さんです。
「こういった基地問題はいわゆるイデオロギーではない」「沖縄のアイデンティティーを取り戻すために、自分たちは今そういった議論をしているんだ」と。それで、辺野古の米軍新基地建設にも反対したわけです。

しかし「基地問題や安保問題は政治問題だ」という扱い方をマスメディアがして、それを国民が真に受けて、「結局こういう安保問題や安全保障問題は、全て政治の問題だから自分たちは関係ない」と無関心になってしまう。
そういう構造が最近あまりにもひどい。

でもそうではなくて、林先生が言ったように、「なぜ現在これだけ沖縄は主体性を持っているのか?」ということを振り返ってみて、沖縄の基地問題も全国の基地問題も、「これらの基地は、自分たちのアイデンティティーを守るためにあるのか? それとも政治を守るためにあるのか?」といったところから、主体性を持って議論してほしいと思います。

今もう、とにかく無関心者が増えている。
それは先ほど林先生が言った、教育の問題やメディアの問題もあって、次第に「話をさせないように」という仕組みがいつの間にか出来上がってしまっているんじゃないか、ということが非常に気になります。

だからこの本のように、「あの戦争は何だったのか?」という部分をきちんと振り返ることができる本が、ぜひ読まれて行ってほしいと感じます。

構成=稲垣收
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林博史(はやし ひろふみ)
1955年、神戸市生まれ。現代史研究者
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2025年06月07日

古代史でもっとも有名な「聖徳太子」という人物は存在しなかった⁉ そのような名前の人間ではなかった⁉【ここが変わった日本の歴史】

古代史でもっとも有名な「聖徳太子」という人物は存在しなかった⁉ そのような名前の人間ではなかった⁉【ここが変わった日本の歴史】
6/6(金) 歴史人

近年、古代史に関する新発見や発掘調査による新たな見解が、度々世間を賑わせている。
そして、日本史の教科書において、この数十年で最も大きく歴史に対する認識・解釈の違いが発生したのが古代といっても過言ではない。
最新の研究・調査結果によって大幅にアップデートされた古代史をみていこう。

■聖徳太子の名前が違う? 聖徳太子の肖像は別人のものだった?

 聖徳太子というと、日本古代史のみならず、日本史上で最も有名な人物のひとりといえる。
聖徳太子という名の他に、上宮王・厩戸豊聡耳・聖徳王・法王大王などともいわれる。
これらはいずれも聖徳太子の偉人性を称えたよび名であり、名は厩戸王(うまやとおう)である。

 厩戸王は、574年に用明天皇と穴穂部間人皇女との間に生まれた。
『日本書紀』によると、出生のときから不思議な伝承がみられる。
たとえば、出産の日、間人皇女が宮司の視察をおこなっていた際、馬官の厩の戸に当たってしまい、そのとき産気づいたとある。
また、太子は生まれるとすぐに話すことができ、聖人のような知恵をもっていたという。
成長してからは、一度に10人の訴えを聞いて、それぞれに適確に答えたとか予知能力を備えていたとかともいわれる。

 592年に推古が天皇になると皇太子となり、翌年には摂政の地位について政治をリードしたことになっている。
冠位十二階、憲法十七条の制定や、対外的には遣隋使の派遣などをおこない、一方では、『三経義疏』を著したり、法隆寺・中宮寺・四天王寺といった寺院の建立を推進し、仏教の興隆に尽力したとされる。
まさに、推古朝のスーパーマンといった感がみられる。
高等学校の教科書などにはこうしたスーパーヒーローとしての聖徳太子が描かれていた。
しかし、近年、こうした太子観に変化がみられ始めてきている。

 まず、聖徳太子の表記であるが、かつては「聖徳太子」であったが、「聖徳太子(厩戸王)」となり、さらに、「厩戸王(聖徳太子)」と変化してきている。
これは、聖人としての聖徳太子から人間としての厩戸王をみつめようということであろう。

 聖徳太子に関する見直しは、表記のみにとどまらず絵画にも及んでいる。
たとえば、「聖徳太子二王寺像」が挙げられる。
この絵は、聖徳太子像として現存するものの中では最古のものといわれている。
山背大兄王と殖栗王の2人の皇子を左右に伴い、絵の中央に聖徳太子を大きく描いた有名なものであり、唐本御影とよばれている。奈良時代の末期頃の作かとされており、法隆寺に伝来されたが、最近ででは、聖徳太子像としてみるのには疑問が残るといわれるようになり、「伝聖徳太子像」とよばれるようになってきている。

 これらの他に『日本書紀』にみられる太子関係の記事への再検討も進んでおり、その結果として、太子に関するものはほとんどすべてが作られたものであるとして、「聖徳太子はいなかった」とする研究まで出されるようになってきている。

 たしかに、推古朝の政治をみると果たして聖徳太子がひとりで自由に新しい政治をおこなうことができたか微妙といわざるを得ない。
当時、朝廷において最も力があったのは蘇我馬子であったと思われる。
天皇はいうまでもなく推古である。
それに対して、聖徳太子は、皇太子・摂政であったとされる。
ここにみられる皇太子はもっぱら『日本書紀』にみられるものであるが、推古朝にはまだ皇太子とよばれる地位はなかったといわれている。
また、摂政についても、皇族摂政といわれるものであろうが、本当に太子がこの地位についたかどうかは疑問とされている。

監修・文/瀧音能之

『歴史人』2025年7月号『ここが変わった!日本史の教科書』より
歴史人編集部
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2025年08月03日

勉強が「続く人」と「続かない人」その根本的な習慣の違いとは?

勉強が「続く人」と「続かない人」その根本的な習慣の違いとは?
8/2(土) ダイヤモンド・オンライン

 「やることがあるのに、手をつけられないまま時間だけが過ぎていく」――そんな自分にもどかしさを感じ、ストレスを抱えていませんか?
勉強、仕事、筋トレ…やる気はあるのに行動に移せない。
そんな私たちの悩みに心理学の視点から解決策を導き出すのが、新刊『すぐやる人の頭の中──心理学で先延ばしをなくす』です。
著者は、モチベーションの研究を専門とする筑波大学人間系教授・外山美樹氏。

本記事では、同書の担当編集者が、その内容をもとに、「勉強を継続するための心理的なテクニック」を紹介します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

● 勉強が「続く人」と「続かない人」、差がつく決定的瞬間とは?

   勉強しようと思っていたのに、気づけばスマホを見ていた。そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか?

 でも、それはあなたの意志が弱いからではありません。

 実は、「続く人」と「続かない人」の違いは、意志の強さではなく、「行動を始める仕組み」を持っているかどうかにあります。

 新刊『すぐやる人の頭の中』では、「実行意図」と呼ばれる「行動を始めるための心理テクニック」が紹介されています。

 意志に頼らず、自然に行動をスタートさせるこの工夫こそが、勉強が「続く人」と「続かない人」の差を生んでいたのです。

● 「実行意図」とは?

 実行意図とは、「もし〇〇したら、△△をする」と、具体的な状況と行動をセットで決めておく心理学的なテクニックです。

 例えば、
 「朝起きて歯を磨いたら、10分だけ英単語を暗記する」

 「夕食後に机に向かったら、問題集を3ページ解く」

 というように、行動を起こす合図をあらかじめ用意しておくことで、脳が条件と行動を結び付けて、スムーズに動き出せるようになります。

● 「誘惑」にも効く、実行意図の使い方

 また、「実行意図」は行動を始めるための合図としてだけでなく、誘惑に負けそうなときの「抑止力」としても効果的であると本書では紹介されています。

 例えば、次のように実行意図を応用することができます。

 「もし【誘惑】に出合ったら、【対処策】を実行する」

 具体的には、

 「もしスマホを触りたくなったら、タイマーをかけて10分だけ我慢する」

 「もし漫画に手が伸びそうになったら、代わりに参考書を1ページ読む」

 このように、あらかじめ「失敗しやすい状況」を想定し、「どう行動するか」を言葉で決めておくことで、迷いや誘惑に振り回されず、目標に向かって行動しやすくなります。

● 今日から、「実行意図」を活用してみませんか?

 さっそく、あなたも今日やりたいことを1つ決めて、「実行意図」の形にしてみませんか?

 「帰宅して靴を脱いだら、机に向かって参考書を開く」

 「21時になったら、スマホをしまって読書を始める」

 このように、前もって「行動の合図」を言葉にしておくだけで、速やかに動けることを実感できるはずです。

外山美樹
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2025年08月13日

お墓掃除でやってはいけない?意外と知らない正しいマナーと注意点

お墓掃除でやってはいけない?意外と知らない正しいマナーと注意点
8/12(火) HALMEK up

こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。

先日、家族みんなでお墓参りに行ったときのことです。
息子がお墓をゴシゴシ力を入れてこすっていると、近くを歩いていた住職さんに「そんなにこすったら傷ついちゃうからだめだよ! 」と注意されました。

えっ、そうなの?
もしかして、お墓掃除には「やってはいけないこと」があるのでしょうか?

そこで今回は、お墓掃除で注意すべきポイントや、正しい掃除のマナーについて調べた内容をお届けします。

お墓掃除のタブー:周囲や墓石に配慮すべきこと

お墓掃除は周囲への配慮を忘れずに、墓石を傷めないように行うことが重要です。
以下のポイントには気をつけましょう。

■1. 墓地のマナー違反に注意

他の人のお墓区域に入ること
他のお墓の敷地内に足を踏み入れるのはNG。故人の家族に失礼にあたるため注意してください。

お供え物や枯れた花を持ち帰らないこと
腐敗が進んだり動物や虫が集まる原因になります。必ず片づけて持ち帰りましょう。

許可なく除草剤を使用すること
除草剤が墓石にかかると、シミや変色の原因になるほか、環境にも悪影響を及ぼします。
霊園や墓地にはルールがある場合もあるため確認を忘れずに。

■2. 墓石を傷める危険な掃除方法

食器用洗剤を使うこと
市販の家庭用洗剤を使うと墓石の表面にダメージを与え、変色や劣化につながる場合があります。
墓石は基本的に水洗いがベストです。

硬いたわしやブラシでゴシゴシこすること
強くこすると墓石が傷つきやすくなります。柔らかいスポンジや布を使用しましょう。

ジュースやお酒を墓石にかけること
故人の好物だからといって、墓石に直接かけてしまうとカビやサビの原因になることがあります。専用の容器に供えましょう。

お墓掃除をする際に覚えておきたい基本マナー

お墓掃除を丁寧に行うためには、以下の基本マナーを心がけましょう。

■1. 静かに掃除をする

お墓参りや掃除は故人に敬意を表す場です。
複数人で行う場合も騒がしくならないように注意し、早朝や午前中の時間帯に行う場合は周囲の迷惑にならないよう配慮しましょう。

■2. 適切な服装を心がける

服装に特別な決まりはありませんが、水に濡れても安心な服や靴を選びましょう。
動きやすく汚れても困らないものが最適です。
日差しが強い場合は帽子を持参すると良いでしょう。

■3. 借りた掃除用具は丁寧に扱う

霊園で掃除用具を借りる場合は、壊さないよう丁寧に使用し、元の状態で返却することがマナーです。
必要な掃除用具は事前に準備しておくとさらに安心です。

正しい掃除方法でお墓を大切に

故人の大切なお墓を丁寧に掃除することで、気持ちよくお参りできます。

お墓参りや掃除をする機会が増えるこの季節。周囲への配慮と基本のマナーを守り、故人への思いをしっかり伝えましょう。
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2025年08月21日

ローマ字、ヘボン式に 約70年ぶりルール改正へ 文化審議会が答申

ローマ字、ヘボン式に 約70年ぶりルール改正へ 文化審議会が答申
8/20(水) 毎日新聞

ローマ字表記のルール

 ローマ字の表記について、文化審議会は20日、従来の「訓令式」から英語の発音に即した「ヘボン式」を基本とするルールに改めるよう、阿部俊子文部科学相に答申した。
年内にも内閣告示される見込みで、1954年以来約70年ぶりの改正となる。
これまで訓令式でローマ字を教えてきた小学校の国語も、2026年度以降は順次ヘボン式に変更となる見通しだ。

 日本語の仮名遣いに対応するアルファベットの小文字と母音を組み合わせた訓令式では、「シ」を「si」、「フ」を「hu」とつづる。一方、道路標識やパスポートの氏名表記では省令に基づき、英語の発音に即した「shi」「fu」などのヘボン式が使われることが多い。
人名や地名もヘボン式が一般的だ。訓令式はキーボードのローマ字入力などで活用される以外はほとんど浸透していない。

 また、母音を伸ばす長音を表記する際、訓令式は「â」のように母音の上に山形の符号を付けるが、これもヘボン式で「ā」などと表す棒形に統一する。
ヘボン式は符号を用いない場合もあるが、例えば「大野」を「Ono」とすると「小野」と判別できないため、「Oono」と母音を並べて表記する方法も示された。

 学校教育では、小学3年の国語でローマ字のつづり方を訓令式を基本に教えてきた。
一方、20年度に小学校で教科化した英語の授業ではヘボン式を習うため、「児童の混乱を招く」という指摘もあった。

 文化庁は22年7月からローマ字表記の議論を本格化させ、24年5月に盛山正仁前文科相が文化審議会に諮問。
ローマ字小委員会を設置して検討していた。【西本紗保美】
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2025年08月24日

『なぜかミスを最小限に抑える人』は密かにやってる…「チェック」でも「再確認」でもない、“ミスを防ぐ習慣”とは?【プロが解説】

『なぜかミスを最小限に抑える人』は密かにやってる…「チェック」でも「再確認」でもない、“ミスを防ぐ習慣”とは?【プロが解説】
2025.8.22 TRILLニュース

仕事や日常での「ミス」、誰しも経験がありますよね。]
どんなに注意していても、うっかり見落としや確認漏れが起きてしまうことは避けにくいものです。
しかし、なぜかいつもミスを最小限に抑えている人がいます。

その人たちは「チェック」や「再確認」をすることも少なく、むしろ自然体で行動しているように見えます。
そんな人たちの無意識の中に、ミスを防ぐある習慣が隠れているのをご存知ですか?

実は、ただ字面通りに確認作業を重ねるだけではない、
もっと深いメカニズムや習慣がミスを減らしているのです。
この記事では、プロの視点を交えて、その“ミスを防ぐ無意識の習慣”に迫ります。

「チェック」や「再確認」を超える!ミスの少ない人の思考と行動の特徴

よく「ミスを防ぐには何度もチェックや再確認をすることが重要」と言われますが、それだけでは限界があります。

実際、同じ作業を何度も見直してもミスを見逃すことは珍しくありません。
では、なぜミスを最小限に抑える人は、そのような従来の方法だけでなく、無意識のうちにミスを回避できるのでしょうか?

専門家の研究によれば、そのキーポイントは「作業をただ繰り返す確認」ではなく、「作業過程の設計と心の余裕の持ち方」にあると言います。
例えば、ミスの少ない人は単に結果を見直すのではなく、作業の段階ごとに目的を明確にしながら進めるため、初めから不備が入り込む余地を減らしています。

また、彼らは一見シンプルな「チェック」という行為の中に、無意識に「問題が起きやすいポイントを意図的に意識する」傾向があります。
言葉にすると難しいですが、ちょっとした「クセ」のように、問題と思われる場所に注意を払う習慣が身についているのです。さらに、心に余裕を生み出すために作業を分散したり、小休憩を挟んだりすることで、疲れによる見落としも防いでいます。

無意識の習慣は「声に出す」でも「二度見る」でもない独特のルールから

一般的にミスを減らす方法として「声に出して確認する」や「同じ部分を何度もチェックする」ことが効果的だとされていますが、実はもっと根底にある習慣はまた別のところにあります。

よくミスを避ける人は無意識のうちに「自らの作業と環境に対して詳細なフィードバックループ」を作っています。
言い換えれば、単純な再確認とは違い、作業の進み具合や環境の変化を小さな変数として捉え、自分の中でその都度リアルタイムに調整を加えているのです。

具体例を挙げると、ある職場でミスの多い作業を「仕組み化」し、作業中に気づいた細かな違和感や疑問をすぐにメモし、後から分析して改善策を練る人がいました。
これが無意識に習慣化すると、自然とミスの芽を摘む感覚が養われていきます。
こうした人は「チェック」という言葉ではなく、もっと自然なコミュニケーションのように自分の頭の中で作業と向き合っているのです。

また、ミスの少ない人の共通ポイントとして「失敗をただ避けようとするのではなく、失敗の芽を早めに見つけて芽吹かせない」という“予防的思考”も重要です。
この意識が無意識のレベルまで浸透していることが、彼らの優れたミス削減能力につながっています。

日常に取り入れたい!無意識の「ミスを防ぐ習慣」を育てるコツ

ここまで、ミスを最小限に抑える人たちの無意識の習慣について解説してきました。

では私たちも実際にその習慣を身につけるにはどうすればよいのでしょうか?
コツはとてもシンプルです。まずは「作業をただ終わらせる」ではなく、「自分の行動の意味や目的をしっかり意識すること」を習慣化してみましょう。

例えば、タスクの途中で「今の段階で何を狙っているのか?」を自問したり、気になったことがあればすぐにメモしておくといった小さな工夫から始めるのがおすすめです。
そして、作業後は「何がスムーズにいったのか」「どんな小さな困りごとがあったか」などを振り返る癖をつけると、自然と自分の中にフィードバックループがつくられていきます。

さらに、休憩を意識的にとって脳の疲れをリセットすることも大切です。
なぜなら、疲労が蓄積すると、どんなに注意深くてもミスは避けられないからです。

このような心がけを続けることで、「チェック」や「再確認」といった最も表層的な確認作業だけに頼らない、より奥深いミス回避力を育てることができるでしょう。

単なる「チェック」ではない、無意識レベルでの意識改革がミスを防ぐ鍵

「ミスを最小限に抑える人」が無意識に実践しているのは、単なる「チェック」や「再確認」だけではありません。
彼らは作業の意味を段階ごとに意識し、心の余裕を持ちつつ自分の行動や環境にフィードバックをかけているのです。
この無意識の習慣こそが、ミスの芽を未然に摘むための真のパワーとなっています。

わたしたちも、意図的に作業の目的を考えたり、小さな違和感を見過ごさずメモを取ったり、疲れを感じたら適時休憩を入れるなどの工夫を積み重ねることが大切です。
こうした習慣は一朝一夕に身につくものではありませんが、続けることで自然と無意識レベルまでしみ込み、大きなミスを防ぐ力へと変わっていくでしょう。

だからこそ、ただ「チェック」や「再確認」を繰り返すだけではなく、自分の心や作業の流れを深く理解し、無意識的な習慣として身につけることが、ミスを最小限にする秘訣です。
今日から少しずつ、あなたの作業にそんな“無意識のチェック”を加えてみてはいかがでしょうか。


監修者:なぎ

医療系国家資格とキャリアコンサルタント資格を保有。
企業研修への登壇や、プレゼン大会にて最優秀賞を受賞したほか、これまで2000人以上のメンタルケアやキャリア相談等の対人支援を実施。
自らの経験を活かし、相手との信頼構築やコミュニケーション術、伝え方を解説。ビジネス現場に効く実践的な記事を監修します。
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2025年09月02日

「がんばって話したのに伝わらない…」そんなモヤモヤを一発で解消する、頭よく話す「型」とは?

「がんばって話したのに伝わらない…」そんなモヤモヤを一発で解消する、頭よく話す「型」とは?
2025年09月01日 06時20分ダイヤモンドオンライン

「一生懸命に考えたのに、思ったように伝わらない」「焦りと不安から自分でも何を話しているかわからなくなってしまう」…。
言っていることは同じなのに、伝え方ひとつで「なんでこんなに差がつくんだろう」と自信を失ったとき、どうすればいいのでしょうか?

コンサルタントとして活躍し、ベストセラー著者でもある田中耕比古氏の著書『コンサルだけが知っている 伝え方のテンプレ』から、優秀なコンサルが実践する「誰にでもできるコミュニケーション術」を本記事で紹介します。

■「二の矢テンプレ」で言葉を選び直す

 がんばって説明したのに「それって、どういうことだろう」「ちょっとピンとこないな」などと言われることもあります。

 これは、相手の理解が追いついていない状態です。

 自分の説明で用いた言葉の抽象度や、そもそもの言葉選びが適切でなかったことが原因だと考えられます。
そんなとき有効なのが「二の矢テンプレ」です。

 最初の矢、つまり予定していた伝え方ではうまく相手に刺さらなかったときに、別のルートで伝え直すために準備します。

「二の矢テンプレ」は、次の三つの視点で検討します。

 視点@:感覚をつかませる─喩え話・ストーリー・比喩を用意する

 視点A:抽象度を下げる─日常語・具体例・感情を添える

 視点B:論点を揃える─評価軸・前提条件の違いを明確化する


 視点@:言語を感覚に置き換える

 説明が過剰に具体的だったり、内容が細か過ぎたりした場合には、この「言語を感覚に置き換える」アプローチが有効です。
特に、聞き手がそのテーマについて詳しくないときには、効果が大きいでしょう。

例:
 ◎レゴブロックみたいに、あとから組み替えられます。

 ◎家庭用ゲーム機みたいに、まずは本体を用意しておいて、あとから遊びたいゲームを買って、適宜入れ替えていくイメージですね。

 ◎アメフトみたいに、ポジションごとの役割を明確に変えて、それぞれに特化したサービスを導入し、組み合わせていくわけです。

 ここでのポイントは「相手が知っていそうなもの」で喩えることです。

 例に挙げたアメフト(アメリカンフットボール)は、アメリカでは大人気スポーツでほぼ全員が知っています。
しかし、日本だと、詳しく知らない人もいるでしょうから、「一般的な喩え」としては不適切かもしれません。

 そのため、野球やサッカーなどのスポーツで喩えるほうが好ましいと言えます。

 視点A:抽象度を下げた具体的な表現を探す

「感覚に置き換えて喩える」とは反対に、説明が抽象的過ぎた場合に備えるのが、このアプローチです。

例:
 ◎将来的に他部署でも使えるように、あらかじめ仕組みをつくってしまう、ということです。

 ◎直感的にわかるように表示方法を変更できます。大きな文字で表示する、色を変える、動かすなどの設定が可能です。

 ◎サービスレベルによって価格を変えています。
例えば、指定時間にお届けする場合は、追加料金が5千円かかりますが、午前・午後指定であれば3千円、日付指定のみなら千円、指定なしなら通常料金のみです。

 視点B:前提を調整して、論点を揃える

 相手の興味関心が、こちらの想定したものとズレているときには、抽象度をコントロールしても効果がありません。
そのときは、話の前提を揃えにいきましょう。

例:
 ◎「目の前の課題に対応するだけで良い」というお話であれば、確かに、別案のほうがお安く実現できるかもしれません。ただ、将来の拡張性を考えるなら、提示させていただいた案のほうが良いのではないかと思います。

 ◎幅広いユーザーが参加してくれるという観点であれば、従来のやり方も決して間違っていないと思います。
しかし、継続的に利用したいと考えてくれるコアユーザーの満足度を考えると、今回の提案について検討する余地が出てくるのではないでしょうか。

 二の矢を持っておくと、最初の矢がうまく刺さらなかったときに、即座に次の一手を打つことができます。

 一発では通らなかった場合に備えて、いろいろな矢を何本も用意しておくことで、対話力が格段に高まります。

(本記事は『コンサルだけが知っている 伝え方のテンプレ』の一部を抜粋・編集したものです)
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2025年10月06日

『3年B組金八先生』の「腐ったミカン」発言が“生徒の選別”と大人の暴力性を浮き彫りにしたワケ

『3年B組金八先生』の「腐ったミカン」発言が“生徒の選別”と大人の暴力性を浮き彫りにしたワケ
10/5(日) ダイヤモンド・オンライン

 1980年代に放送された学園ドラマ『3年B組金八先生』は、学校教育が抱える問題を真正面から描いた作品として語り継がれている。
そこには、教師と生徒の関係性や、学校で行われる“線引き”に対する問いかけが込められていた。
漫画『ドラゴン桜2』の編集を担当した西岡壱誠氏は、そんなドラマが映し出した教育観を読み解きながら、生徒の“分け方”がもたらす影響について考察していく。
※本稿は、西岡壱誠『学園ドラマは日本の教育をどう変えたか “熱血先生”から“官僚先生”へ』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。

● 伝説として語られる学園ドラマ 「金八先生」が描いた80年代

 「できる生徒とできない生徒の二極化」の対立軸がはっきり描かれたのが、「3年B組金八先生」だった。
このドラマはスペシャル版も合わせて長寿番組となるわけだが、どのシリーズでも「その当時の生徒の抱える問題」について触れられていく。

 最初の第1シリーズでは「中学生の出産」と「受験戦争を苦にする自殺」が描かれ、第2シリーズでは「教育困難校」がテーマに、第3シリーズでは「生徒の無気力」が描かれることとなった。
その中でも、「金八先生と言えば」と言われるのが「第2シリーズ」であった。

 これが「伝説」と言われるようになったのは、やはり当時の時代背景を反映し、そこに真っ向から大人がぶつかって解決していくというストーリーがお茶の間に受けたからだと言えるだろう。
第2シリーズを象徴する言葉として、「腐ったミカン」というキーワードがある。
これは、作中に登場する加藤という不良生徒のことを指す言葉であった。

 加藤は荒れている荒谷二中から、金八先生の桜中学にやってきた問題児であり、最初は先生の話を聞こうともせず、他の生徒と問題を起こしてばかりだった。

 しかしそんな加藤に対しても、主人公の金八先生は真摯に対応する。
不良の溜まり場に行って、加藤を庇う暴走族関係者2人も交えて、4人で話をする。

 「金八先生」vs.「現暴走族リーダー&元暴走族リーダー&加藤」という構図で、一触即発の展開であるが、金八先生はビビりながらもしっかり話をしていく。

 最初は荒々しい空気だったが、途中で金八先生が「腹減ってしまったから、飯を作らせてもらえないか」と言い出し、焼きそばを作ってみんなで食べたあたりから、割と向こうも心中を話してくれるようになる。

● 教育を受ける側の権利を熱く説く 区別された側が抱く不公平感とは

 金八先生は「義務と権利」の話をする。
加藤は「学校に行かなければならない義務があるなんて、人権侵害だ」と言うが、それに対して金八先生は強い口調でこう言う。

 「加藤、お前は、教育を受けることができる権利がある。義務じゃない。
だから授業がわからなかったら、『わからないから教えてください』と言う権利があり、それに学校・先生は答えなければならない。
だが授業にも来ないのに『わからない』『ついていけない』というのは筋が通らないだろう」と。

 この加藤への金八先生の対応は、体当たりという他ない。
不良である加藤に多少ビビりながらも、不器用でもきちんと話をしていく様子が描かれている。
このような熱い先生像というのが、1980年代ではずっと続いていくことになる。

 それに対して、加藤の先輩だという元暴走族のリーダーである岸本という人物がこんな話をする。

 「一体人間ね、生徒を成績だけで区別できるもんなのかね。先公は、平気でこっちのことを区別しやがる。
で、先生ってのは、頭がいいやつがなるだろ。だから、勉強ができないやつのことがわかんないんじゃないか。だから平気でこっちの傷つくことを言いやがる。
その上タチが悪いのは、先公は権力を持っていやがる。生意気だったら停学だ、3回喫煙したら退学だって言ってくる。
退学って言ったら一生モノの話だよ?横暴だよ」と。

 岸本は、荒っぽい人物ではあるものの、割とまともに話ができる人として描かれている。
そんな人物が、中学までの教育を振り返ってそんな風に語っているシーンは、視聴者も「まあ、確かになぁ」と思ってしまう。

 だがそんな岸本にも、手を差し伸べてくれた先生がいた。
金八先生の同僚の上林先生だった。
金八先生は、「リーダー、君に上林先生がいたように、加藤にも俺を預けてくれないか」とお願いをする。
リーダーはそれを承諾し、加藤は金八先生に預けられ、真っ当になっていく。

● 金八先生の「腐ったミカンの方程式」 不良は切り捨てれば良いのか?

 順番は前後するが、ここに行く前に、金八先生に対してある人物が訪ねてきていた。
それは、加藤の前の担任である(荒谷二中の)米倉先生だった。
その米倉先生が語った言葉こそが、「腐ったミカンの方程式」だった。

 「ミカン箱の中にカビの生えたミカンが1つでもあれば、他のミカンにもカビが繁殖し、結果的に全部のミカンがダメになってしまう。
同じように、クラスの中に1人でもダメな生徒がいれば、生徒全員がダメになってしまう。
だからこそ、腐ったミカンは早めに取り除くべき」

 それが、荒谷二中の考え方であり、加藤は「腐ったミカン」として桜中学に放り出されたのだと。
自分(=米倉先生)はその方程式を間違っていると思うが、庇い切れなかったのだ、と。
たしかに岸本の言っていた通り、彼らは「出来の悪い生徒」として差別された側だったわけだ。
「優秀な生徒を伸ばす教育でいいのか?いろんなきっかけで『不良』と呼ばれる生徒になってしまった10代を、見捨てていいのか?」

 この「腐ったミカン」発言の根底にあるのは、「できる生徒とできない生徒の二極化」だろう。
この当時学校に蔓延っていた、「できる生徒の方を伸ばすのが教育の意義であり、できない生徒ができる生徒の足を引っ張るようなことがあってはいけない」という価値観を象徴するような考え方だと言える。

 そしてそんな思想に対して真っ向から反対する存在として、金八先生は描かれている。
先ほど加藤に語った「生徒には、授業を受ける権利がある」という考え方は、「腐ったミカンは放り出してもいい」という考え方に対するアンチテーゼになっている。

 加藤には授業を受ける権利がある。
それにも拘らず、加藤が悪い生徒だからという理由で放ってしまうというのは、先生が本当に大切にするべき教育の本質的な部分を放棄していることになりはしないか?不良だとレッテルを貼って、放っておいていいのか?

 金八先生が問いかけるのは、そういうテーマである。
これは、社会全体に対する問いかけでもある。
要するに「優秀な生徒を伸ばす教育でいいのか?いろんなきっかけで『不良』と呼ばれる生徒になってしまった10代を、見捨てていいのか?」というものだ。

● 「人間として向き合ってほしい」  大人の暴力性に反旗を翻した生徒

 さて、ちょっと脱線するがこの「金八先生」第2シリーズは、このメインテーマに本気の本気の本気で向き合っていて、「え、そこまで描くの!?」というくらい突っ込んだ話になっている。
加藤のもともとの母校・荒谷二中は依然として「腐ったミカンの方程式」を掲げ、不良や落ちこぼれに対する締め付けをどんどん厳しくしていく。

 そして荒谷二中の不良は、助けを求めて昔の仲間である加藤の前に現れる。
加藤は悩むが、荒谷二中に殴り込み、校長と教頭を放送室に監禁する。
視聴者としては「いや何してるんだ加藤!?」という展開だが、学生運動とその後の校内暴力で荒れた時代だったので、この展開も時代背景的には一定程度、理解できなくもない。

 そして、ドラマ史に残る名シーンに繋がる。
金八先生から言ってもらったことを、荒谷二中の先生たちに語り、「俺たちと人間として向き合ってくれ」とお願いする。

 加藤のその言葉が通じたのか、校長は自分たちの非を認め、謝罪をする。
その声を聞いて荒谷二中の生徒は大喜び。「加藤!加藤!」という声が校内に響き渡るが、そこに急に警察が入ってくる。

 ここでいきなり、すべての声・すべての音が消え、中島みゆきの「世情」が流れる。
静かな歌でありながら、圧倒的なエネルギーを持つ歌声が流れる中で、画面ではすべてがスローモーションで展開していく。

 警察に逮捕されるも無抵抗の加藤、逃げ惑いながらも捕まっていく生徒たち、叫ぶ金八先生、そして、移送車に乗せられて送られる加藤のことを、泣きながら走って追う加藤の母親…。

 もちろん物語はこのまま終わらず、逮捕された加藤たちに対して、君塚校長の奮闘や放送を聞いていた近隣住民・保護者たちからの声もあり、ちゃんと釈放されて、金八先生が加藤たちと抱き合い、「お前たちは俺の生徒だ!」と力強く言い放ったのであった。

 そんなハッピーエンドに終わったにも拘らず、この3分程度の短い映像のインパクトは、強烈だった。
本当に多くの人の心に、この時代の大人の暴力性が刻まれたワンシーンだったと言っていいだろう。

● 中島みゆきの歌声が重なる名場面 金八は学園ドラマのテンプレに

 金八先生の奮闘も、生徒1人ひとりの純粋な想いも、公権力という圧倒的に大きな力の前には無力になってしまう、ということを表すかのようなシーン。
中島みゆきの滔々としているにも拘らず心強い歌声と、それを後押しするようなコーラス合唱。そしてその裏で展開される、無情にして圧倒的な抑圧…。

 この当時、体罰も校内暴力も、ある意味では「普通の」ことだった。
荒れている学校があるのも「当たり前」として受け入れられ、卒業式のとき、学校に警察が配備されている光景も珍しくなかったという。

 そんな中で、このドラマは「社会が、不良を作り出しているのではないか」というメッセージを、我々に突き付けた。
我々が無関心のうちに肯定している「腐ったミカンの方程式」の持つ暴力性が、このシーンによって浮き彫りになり、当時の世相に一石を投じたと言えるのではないだろうか。

  後にも先にも、ここまで社会問題の核心に切り込んだドラマは他にはないだろう。
「3年B組金八先生」が32年も続く超長寿ドラマになったのは、このワンシーンのインパクトがあったからだと考えられる。

 そしてこの時期から、「熱血で、不良のことを見捨てない先生」という存在が、かっこいい存在として憧れられるようになって、コンテンツの中での1つのテンプレートとして描かれるようになる。

 後に続く「ごくせん」「ROOKIES」 などの数多くの学園ドラマが、「金八先生的なテンプレート」で作られるようになっていった。

西岡壱誠
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2025年10月20日

「何様?」な児童・生徒が全国の学校に蔓延…教員が殴る蹴るの暴力・暴言を受けても"黙らされる"学校現場の異常

「何様?」な児童・生徒が全国の学校に蔓延…教員が殴る蹴るの暴力・暴言を受けても"黙らされる"学校現場の異常
10/18(土) プレジデントオンライン

盗撮やわいせつ行為など不祥事教員に関する報道が目立つが、学校内では社会の明るみに出ない「事件」も起きている。
千葉県の公立小学校教員・松尾英明さんは「児童・生徒による暴力・暴言で教員が心身に被害を受けるケースが増えているが、教員は『穏便に済ませて』と上から止められる」という――。

■問題のある児童・生徒に教員がモノ言えぬ異常

 60代の男性教員が教室で児童から蹴られ、反射的に蹴り返してしまった――。
今年5月に札幌の小学校で起きたこの一件で、教員は教育委員会から減給処分を受けました。
暴力はいかなる理由でも許されるものではありません。教員が罰を受けるのは妥当でしょう。

 ただ、この処分に関する筆者の記事(※)に多くの教員・教育関係者・子供を持つ保護者などから多くの声をいただきました。

 (※)小学生に蹴られた男性教員が反射的に蹴り返したら減給…子どもは何でも許され「教員は我慢しろ」でいいのか

 それを要約すると、この問題を「教員の失敗・失態・不祥事」だけで片付けてよいのだろうか、という懸念でした。

 驚かれる方もいるかもしれませんが、いま、日本の多くの教育現場では「暴力」が日常化しています。
その中には、一部の不届き者の教員による学校内での盗撮や体罰も含まれますが、それだけではありません。
児童・生徒から「殴られた」「蹴られた」「机を投げられた」といった教員からの被害報告も相次いでいます。
両者の違いは、不祥事教員は大きく報道される一方、子供の案件はほぼ報じられることはないということです。

 ある女性教員は、児童から給食に薬を入れられました。
別の学校では、児童同士の喧嘩を止めに入った教員がシャーペンで刺されました。

 さらに、都内の小学校では、ICT教育の一環で支給されたタブレット端末でアダルト動画を校内で視聴していた児童を教員が注意したところ、「うるせー」と言い返されたといいます。

 明らかな暴言、暴力、物損――。
ところが、いずれも警察沙汰にならず、注意だけで終わりました。
「騒げば学校の評判に関わる」「処分が出れば管理職の責任になる」。
多くの教員は、「穏便に済ませてください」「刺激しないように」と上から止められます。
教員が「やられても我慢する」ことが半ば常識化しつつあるのです。

■サンドバッグ状態で耐えるのみ

 こうした教員を見下したような子供たちの言動は最近始まった現象ではありません。
十数年前、ある教員が何度注意しても教室に入らない生徒に対して、胸ぐらをつかみ、つい「いい加減にしなさい」と声を荒らげてしまいました。

すると生徒はこう言い放ちました。
 「訴えてやる。教育委員会に言うぞ」

 教員の行為は確かに行き過ぎです。
ただ、反省するそぶりを一切見せない生徒の態度もよくありません。
何より教育の根幹である教員と生徒の信頼関係が崩壊しており、何らかの指導が必要なのは明白です。

 それでも学校は教員を守ろうとはしません。
教員は管理職から「問題を公にするな」と口止めされ、教育委員会からは「(胸ぐらつかんだことへの)処分は避けられない」と告げられたと証言します。
その後、教員は退職しました。
生徒は「勝った」と笑っていたといいます。

 いまの教室では、「教員が子どもに遠慮する」構図が定着しています。
暴力や暴言に毅然と叱れば「パワハラ」。
強く注意すれば「不適切指導」。
結果、何も言わず、何もせず、ただ耐える――。
そうしなければ、自分が処分されるのです。
両手両足を縛られて「全力で闘え」と命じられる、まるでサンドバッグだ。
そんなふうに自分の立場を表現する教員仲間もいます。

 ある中堅教員は言います。
 「子どもを少し注意しただけで怒鳴り込んでくる保護者がいると思うと、何もできません」

 教員は、子どもではなく大人の顔色を見て指導しています。
結果、叱るべき時に叱れず、ひたすら「子どもの自由を尊重する」ことのみ重視する教員が増えているのです。
規律も何もなしでは、やりたい放題の子が出てくるのは、当たり前の話です。

 かつて、子どもが問題行動をすれば、保護者は「私の子育てが至らないばかりに」と平身低頭で謝りに来るケースもあったといいます。

 今は全く違います。
 わが子の訴えのみを100%信じて、「うちの子はやっていないと言っています。
先生が子どもを疑うんですか!」と怒鳴り込んでくる保護者が増えました。

 このとき、論理的な説明は無意味です。
感情に任せた罵詈雑言の嵐が過ぎ去るまで、ひたすら黙って耐え続けるしかありません。
下手に言い返せば、相手はさらにヒートアップし、状況は悪化していきます。

■「治外法権」の学校現場

 文部科学省の体罰基準では、「殴る・蹴る・投げる」は明確な体罰とされています。
しかし現場では、指導上必要な場合での「腕を掴む」「制止する」「声を荒らげる」までがグレーゾーン扱いです。
事実上、体罰扱いされるということです。

 教員が生徒を止めようとしても、「体罰だ」「暴力だ」と訴えられれば終わりです。
堪忍袋の緒が切れたある教員が警察に届け出ようとした時、

校長は言ったそうです。
 「そんなことをしたら、あなたの経歴に傷がつきますよ」

 被害者である教員が、沈黙を強いられるのです。

 海外では、学校弁護士(スクールロイヤー)が常駐し、トラブル対応を専門家が担う例も珍しくありません。
一方、日本では現場の最前線に立つ教員が、いわば法のすき間に放り出された状態。
学校は子どもが“治外法権”状態に置かれているからです。

 教員が行えば懲戒免職になり得る行為でも、子どもたちは無罪放免。
「守られない職業」にやるせなさを感じる教員は少なくありません。

■教育の本質は「信頼」にある

 教育とは、年齢的に未熟な人間が社会性を身に付けていく営みです。
未成年である児童・生徒が間違った言動をしても、教員は寛容に受け止め、正しい方向へ導くべきでしょう。
ただ、そんな未成年者であっても最低限の責任を持たなければ、学校生活は成り立ちません。
許容できる限度というものがあります。

 拙著『正しい思考法 芯をもって生きるための教員の信念100』(明治図書出版)でも触れましたが、私は学級開きの際、「敗北宣言」として子どもたちにこう伝えます。

 〈どんなに手がかかっても、どれだけ私の言葉を無視されても、見捨てることはしません。
だからお願いをします。「私には言葉で伝えるしか手段がない。だから話は聞いてほしい」〉

 子どもが「聞かない」と決めてしまえば、どんなに情熱を注いでも伝えることはできません。
これは保護者との関係も同じです。
教員はお願いし、協力してもらうしかないのです。

 教員が子どもを信じ、子どもが教員を信じ、保護者が学校を信じる。この三者の信頼が崩れたとき、教育はただの「管理」に変わってしまいます。

■スクールロイヤーの導入を

 教員はビジネスパーソンと同じ労働者です。
勤務環境が著しく悪ければ働くことはできません。
もし、児童・生徒とのトラブルが起きたときに、責任を教員個人にのみ問うのではなく、組織として支える仕組みが必要ではないでしょうか。
日本でも、教育委員会や自治体がスクールロイヤーを導入し、心理士や警察OBと連携する。
そして、現場の声を吸い上げる仕組みを作る時期にきていると痛感しています。

 しかるべき理由がある限り、教員が安心して「叱る」ことができ、子どもが「叱られて育つ」ことができる。
それが、本来の教育の姿だと思います。

 児童・生徒・保護者と何かトラブルが起これば、教員は「自分の落ち度」と思い込み、無理を重ね、心身を壊していく。
そんな事例が後を絶ちません。

 今後、ケースによっては教員も声を上げられる体制を、文科省や教育委員会が整備できなければ、日本の学校は残念ながら崩壊へと向かってしまうと危惧しています
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松尾 英明(まつお・ひであき)
公立小学校教員
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2025年11月06日

小学生の「わり算はなぜ0で割ってはいけないの?」にどう答えるか…わが子の数学力を伸ばせる親の"神回答"

小学生の「わり算はなぜ0で割ってはいけないの?」にどう答えるか…わが子の数学力を伸ばせる親の"神回答"
11/5(水) プレジデントオンライン

子どもに「わり算はなぜ0で割ってはいけないの?」と聞かれたら、何と答えればいいのか。サイエンスナビゲーターの桜井進さんは「この質問をされたら『いい質問だ!』と褒めてあげてほしい。『定義される・されない計算』を考えるきっかけになるからだ」という――。

 ※本稿は、桜井進『人生は数学でできている 恋愛、戦争、うわさ……すべてが解ける!』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■電卓で「3÷0」を計算すると……

 小学生に「なぜ0で割ってはいけないの?」「なぜ0で割れないの?」と質問されたらどう答えるでしょうか。
まちがっても「そう決まっているの!」などと乱暴なレスポンスをしてはいけません。
丁寧に答えてあげたいものです。

 そもそもこの疑問自体が小学生にとって自然・当然なものです。
「そうだよね!」「いい質問だ!」「面白い質問だ!」と疑問を持ったことを褒めてあげます。
そして、どこがいい質問で、何が面白いのかを解説してあげましょう。

 数学の問題としての説明はもちろんのことですが、ここで筆者が問題にしたいのは「いけない」という言葉使いです。

 電卓で「3÷0」「0÷0」の計算をしてみた結果は、「エラー」(iOSのアプリ)「ゼロでは除算できません」(アンドロイドOSのアプリ)「数学的誤りか計算範囲超えです」(CASIO fx-JP900)という3通りの表現でした。
みなさんの電卓でも「3÷0」「0÷0」を計算してどんな表示がされるかを確かめてみましょう。

 例えば、60(km/時)とは60/1(km/時)のことで、1時間で60km進むという速さのことです。
すると、60/0(km/時)とは、0時間で60km進むことを意味しますが、0時間で60km進むことはできません。
60/0(km/時)という速さは存在しません。

 60÷0を電卓で計算した結果の「エラー」とは、0で割る計算には「答えが存在しない」ことを表しているようです。error(エラー)とは、誤り、間違い、誤解、過ちのことです。
数学では、計算の誤差という意味で用いられる場合もあります。
では60÷0=(エラー)は、どの意味に当たるのでしょうか。

■かけ算で考えてみる

 まずわり算とは何かをもう一度考えてみるところから始めてみます。

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かけ算 ⇔ わり算

2×3=6 ⇔ 6÷2=3
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 このようにわり算に対応するかけ算を考えることができます。
0で割るわり算「3÷0」に対応するかけ算を考えてみます。


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かけ算 → わり算

? → 3÷0=?
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 すると次のようにかけ算の式を考えることができます。

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かけ算 ← わり算

0×?=3 または ?×0=3 ← 3÷0=?
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 わり算の式の?を考える代わりに、かけ算の式の?を考えてみるということです。
0×?=3とは、0に何をかけたら3になるか?ということです。

 ……そんな数はない!

 そうです、3÷0の答え?は「ない」です。
しかし、0のわり算はこれで終わりません。0で割るわり算のちょっと面倒なのは次の点です。

■「0÷0」は特別

 0を0で割るわり算です。同じようにかけ算の式を探してみます。

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かけ算 ← わり算

? ← 0÷0=?
----------

 すると、次のようになります。

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かけ算 ← わり算

0×?=0 または ?×0=0 ← 0÷0=?
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 かけ算の式の?に当てはまる数を考えます。面白いことに?に当てはまる数はいくらでも見つかります。

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かけ算 → わり算

0×0=0 → 0÷0=0

0×1=0 → 0÷0=1

0×2=0 → 0÷0=2

0×3=0 → 0÷0=3

…… → ……
----------

 つまり0÷0の答えは「無数にある!」と言えます。

 このように「0で割ることはできない」ではなく「0で割る計算はできる」のです。
ゆえに「どうして0で割ってはいけないの?」にある「いけない」に違和感が生じます。
「いけない」には、許されないというニュアンスがあります。
0で割るわり算はそれ以外のわり算と同じように考える(計算する)ことができる(許される)のです!

 答えをまとめてみましょう。

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0以外の数÷0の場合 …… 3÷0=(答えなし)

0÷0の場合 …… 0÷0=(すべての数)
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 なんと、0で割った答えは「ある」のです。それも2つ。これが問題なのです。

■a÷0は「割ってはいけない」ではなく「定義できない」

 以上は小学校6年生に何とか説明できる解説です。
これを大人向けに答えるとどうなるかを続けましょう。

 0でない数で割るわり算(例えば6÷3=2、0÷5=0)には「答えが1つに決まる」という大きな特徴があります。
もちろん、たし算3+5、ひき算6-4、かけ算8×3もそうです。
どんな数同士のたし算・ひき算・かけ算でも答えは1つに決まります。

 ところが、0の数で割るわり算「a÷0」は、「答えが1つに決まらない」計算なのです。
数学ではこのことをそれぞれ「演算が定義できる」「演算が定義できない」と表現します。
高校までの算数・数学では「定義できる(答えが1つに決まる)」演算しか習いません。
a÷0には答えが2通りある、すなわち答えが1つではありません。
これを数学では「計算(演算)が定義されない(できない)」と表現します。これが「0で割ってはいけない」の正体です。

 よく言われる「0で割ってはいけない」「0で割ることはできない」という表現を「0で割る計算(演算)は定義できない」と比べると、どちらも「ない」という否定表現のところだけは同じです。
しかし「いけない」には「善悪」のニュアンスがあります。
善悪は主観的です。人によって何が善で何が悪なのかは異なります。

■数学は善悪ではない

 ですから大人に「0で割ってはいけない」と言われてしまうと子供はそれを大人が(主観的に)決めたことなのだと勘違いする恐れがあります。
数学は善悪(主観的)ではないので「いけない」という表現が不自然なのです。

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●0で割るわり算

aが0以外の場合は、a÷0は存在しない。

aが0の場合は、a÷0は無数に存在する。

したがって、わり算a÷0は定義されない。
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 このように答えを返してくる電卓があってもいいと思います。
60÷0には「存在しません」、0÷0には「すべての数」と返してくる電卓アプリです。

 ちなみに、Linux系OSであるUbuntuのアプリ「電卓」では「ゼロ除算は未定義です」と表示されます。
これまでに見た電卓の中で最も正確な表現です。

■「定義される・されない計算」を考えるきっかけになる

 ところで分数の四則のルールはほかの計算とくらべて独特です。
たし算とひき算は通分して分子同士のたし算・ひき算をするのに対して、かけ算・わり算は分子同士に加えて分母同士のかけ算をします。
なぜそのように決まっているのでしょうか。それは定義される計算としてデザインされているからです。

 「計算が定義されない」なんて教科書にはでてきません。
それはそうです、小学校から高校までに習う計算のすべては「定義される計算」だけなのですから。わざわざ答えが1つに定まらない「定義されない計算」など学校では扱いません。
結果として「定義できる計算」だけが教えられているということです。

 だから安心して分数の計算ができます。
本当はいちいち説明できるのですが、残念ながら学校でそこまでふみこむことは容易ではありません。
高校数学でもそのことには触れられません。

 ということで、0で割るわり算の問題は「定義される・されない計算」を考えるきっかけになるという意味で「いい質問だ!」といえるわけです。
小学校で習う算数に「なぜ」「どうして」という疑問の眼差しを向けることで教科書には書かれていない風景に出会うことができます。

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桜井 進(さくらい・すすむ)
サイエンスナビゲーター
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2025年11月11日

なぜ人は隙間時間をうまく使えないと「罪悪感」を覚えてしまうのか 「何もしないほうがマシ」を生む厄介なパラドックス

なぜ人は隙間時間をうまく使えないと「罪悪感」を覚えてしまうのか 「何もしないほうがマシ」を生む厄介なパラドックス
11/10(月) AERA DIGITAL

「次の予定まで時間ができたから何かしなきゃ」。
隙間時間でさえ無駄にしてはならないという気持ちになっているとしたら、それは現代病かもしれない。
現役コンサルタントで年間300冊以上のビジネス書を読む本山裕輔さんが隙間時間の最適な活用法を説いた新刊『仕事ができる人がキリの悪い時間にやっていること』(サンマーク出版)より、隙間時間活用への罪悪感が生まれるメカニズムについて抜粋する。

*   *   *
 短い時間をどう使うか、わずかな休憩をどう活かすか、それらをいかに効率化するか──。
書店やネット上を見回せば、「隙間時間でもこれをすれば成長できる」「5分でサクッと学習!」「通勤中に耳でインプット」といった、隙間時間の活用術が溢れかえっています。

 もちろん、こうした情報が役立つ場面はあります。
実際、スマホの普及により、私たちはいつでもどこでもメールをチェックしたり、学習コンテンツを視聴したりできるようになりました。

 一方で、これらのメッセージが私たちに与える影響は複雑です。

「隙間時間さえも無駄にしてはいけない」
「ちょっとした休憩でさえも有効活用するのが当たり前」

 そんな暗黙のプレッシャーが、知らず知らずのうちに私たちの心に重くのしかかっているのです。

 特に問題なのは、隙間時間をうまく活用できなかったときの自己批判です。

「今の10分間をただボーッと過ごしてしまった。
もっと生産的に使うべきだったのでは?」──こうした後悔の念が、結果的に自己否定感を生み出す要因となってしまいます。

 さらに厄介なのは、「1分1秒でも価値ある行動を」という社会のノイズが強まるほど、私たちが隙間時間を活用したい本来の理由を見失いやすくなることです。

 本来であれば、「英語の学習を進めたい」「気分転換に読書したい」といった、自分自身のモチベーションが隙間時間の活用を支えているはずです。

 ところが、いつの間にか「世の中がそう言うからやらなきゃ」「使わないと損だ」という「外部の圧力」だけで動いている状態に変わってしまうのです。

■外部のノイズに惑わされないために

 この「外部から与えられる目的」が肥大化すると、今度は別の問題が生じます。
「隙間時間にやりたいと思っていたことすら、なんだか気が乗らない」という心理状態に陥ってしまうのです。

 心理学では、「自分が好きでやる」という内発的動機づけと、「やらねばならない」「やらないと怒られる/損する」という外発的動機づけが区別されています。
外発的動機づけによって動かされている状態では、楽しさや満足感を得にくいことが知られています。

 その結果、次のようなパラドックスが起こりやすくなります。

「せっかく隙間時間に手をつけたのに、やりたくないことを義務感でやっているから疲れる」

「それならいっそ何もしないほうがマシかもしれない」

 このパラドックスは、私たちが隙間時間を使おうとする意欲そのものを削いでしまいます。
その結果、ますます「隙間時間の有効活用」が困難になるという悪循環に陥るのです。

 つまり、「効率的・生産的であるべき」という世の中のノイズが、本来ポジティブであるはずの「ちょっとした時間を活用したい」という気持ちを義務感にすり替えてしまう。そして、感情的な抵抗感を生んでいるのではないでしょうか。

 結果的に、「隙間時間を活用しようとしたがゆえに、かえってストレスが増えて何もしないで終わってしまう」──そんな矛盾した事態につながりやすいのです。

 このプレッシャーのもとでは、頭では「あれもこれもやりたい」とわかっていても、気持ちが「うんざりだ」と拒否反応を起こしてしまいます。
やる気を失った自分に対して、「私はどうしてこんなに意志が弱いんだろう」「他の人は隙間時間をうまく使えているのに」と自己否定感を募らせる。

 こうして、もともとあった認知的なハードル(人間の脳が持つ隙間時間活用の苦手さ)に加えて、社会的なプレッシャーという二重苦がのしかかってくるのです。

 以上のような暗黙のプレッシャーと、脳の特性が掛け合わさることで、「隙間時間を有効活用したいけれど、うまく活用できない」「気づいたら時間が溶けていた」という現象が引き起こされています。

 この問題を解決するためには、以下の論点を整理する必要があります。

 ・キリの悪い隙間時間には、どのようなパターンがあるのか?

 ・隙間時間のパターンごとに、どのような行動を選べばよいのか?

 これらの問いに答えることで、外部のノイズに惑わされることなく、自分らしい時間の使い方を見つけることができるはずです。
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2025年12月19日

読書とは、自ら考える代わりに、他人に考えてもらうことだ。

読書とは、自ら考える代わりに、他人に考えてもらうことだ。
2025年12月18日 ダイヤモンドオンライン

本を読んで一瞬はわかった気になっても、自分の考えを聞かれると何も言えなくなってしまう。
そんな心当たりはありませんか?
本を読むほど、思考が鈍くなるのはなぜなのでしょうか。

IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏の愛読書と話題となり、韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説します。

■君主のように自分で判断する

読書によって他人の思考の部屋に入ること自体は悪くない。
問題は、そこで見聞きしたものが自然に自分のものへはならないという事実だ。

消化しなければ、時間だけが過ぎ、理解は残らない。
他人の力に寄りかかって楽を続けると、自分の足で立つ筋力は弱る。

本に丸ごと身を預ける読書は、ときに精神を鈍らせる毒にもなる。
だからこそ、受け取った考えは必ず自分の判断に通す必要がある。

独自の思考を持つ人は、君主のように自ら決める。

提示する意見は、すべて自分で考え、試し、得た結果だ。

権威の肩書や評判は参考であって、最終の承認は自分で下す。

君主が誰の命令にも全面的には従わないように、独自に考える人は他人の権威を鵜呑みにしない。

この姿勢があれば、偏見や流行に振り回されにくくなる。

間違った読書は、外部の権威へ依存する体質を強めるだけだ。

では、依存に流れないために何をするか。

読む前に「この本で何を知りたいか」を一行で決める。
読みながら重要だと思った箇所は、引用ではなく自分の言葉で一文に言い換える。

章の終わりで賛成と疑問を一つずつ挙げ、根拠を短く書く。

読み終えたら、明日試すことを一つだけ決める。

この往復が、他人の見解を自分の結論へと変える。

読書は目的地ではなく、思考を始める入口である。

自分を通さずに受け入れた知識は、いつまでも借り物のままだ。

君主のように決める習慣を持てば、ページの向こうの権威に気圧されず、静かな確信が残る。

そしてその確信こそが、読書の量ではなく質を測る、唯一の物差しになる。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)
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2025年12月24日

加害者は「正論を振りかざす優等生」 同調圧力で加速する現代のいじめの構図

加害者は「正論を振りかざす優等生」 同調圧力で加速する現代のいじめの構図
12/23(火) nobico(のびこ)

現代のいじめは、かつてのように単純ではありません。
教室で子どもを追い詰めているのは、乱暴な子ではなく、むしろ“協調性の高い子”だとノンフィクション作家の石井さんは指摘します。

ではなぜ「良い子」が加害者になってしまうのでしょうか。

今を生きる子どもたちの世界について、石井さんの著書より抜粋してご紹介します
※本稿は、石井光太著『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)より一部抜粋、編集したものです。

「同調圧力」の正体とは

人間は、太古から“群れ“を作って生活をしてきた生き物です。
個としての力は熊やライオンといった他の動物よりずっと弱いですが、家族以外の他者とまとまることによって住居を作り、道具を開発し、狩猟や農耕などができるようになり、その結果として町や国といった支配地域を広げてきました。
個として脆弱な人間にとっては、集団形成こそが自然でサバイバルするための術だったのです。

そのため、人間には生まれつき集団を作り、それを強固なものにするために団結しようとする習性があります。
チームスポーツの「フォア・ザ・チーム」の考え方がその典型ですが、複数の人たちが一つにまとまることによって、集団の絆と力を強いものにしていく。
この意識やそこから生まれる行動が、向社会性と呼ばれるものです。

昔から学校には、子どもたちの向社会性を成長させる役割があります。
学校では、同じ地域に住んでいるというだけで、異なる家庭の子どもたちが無作為に集められ、集団生活を送っています。
そこで求められるのは、学年、クラス、班などのグループで規律を守って行動することです。

誰もが先生から「グループの輪を乱すな」「協調性を持て」と言われた経験があるのではないでしょうか。
それはまさに、学校やクラスというコミュニティの中で向社会性を身につけよという指示と同義です。

学校で数カ月ごとに行われる行事にも向社会性をつけるという目的が含まれています。
運動会、文化祭、合唱コンクール、部活動……。
子どもたちみんなで団結してこれらに取り組むことによって、学力の成長をメインにした授業では得にくい高度な向社会性を習得することを目指しているのです。

一般論を言えば、国も地域も企業もコミュニティですから、大きくなってそこに順応できるようにするために、学校が子どもに向社会性を植えつけることは間違いではありません。

それがなければ、社会の中で生きていくのは非常に難しくなります。

ところが、学校の子どもたちの間では向社会性が強くなりすぎることがあります。
それが「同調圧力」と呼ばれるものです。

同調圧力の中では、それに従っている子たちが正義であり、そうでない子たちが悪となります。
そして後者の子どもたちは、「輪を乱す」とされ、排除されるリスクが高まります。

クラスで一人だけ行事を休んだ子が「ずるい」と批判される、みんなの話についていけない子が「陰キャ」と陰口を叩かれる、音楽コンクールで演奏を間違えてばかりいる子が「邪魔」と切り捨てられる……。

このように集団の中で起こるそうした特定の子への攻撃が、いじめと呼ばれる行為になるのです。
実際に数ある部活の中でも、特に向社会性が求められる吹奏楽部などでいじめが多発する傾向が高いのが、それを示していると言えるでしょう。

とはいえ、学校が子どもたちに向社会性を求めるのは今にはじまったことではありません。

昔から脈々とつづいてきたことです。
にもかかわらず、どうして近年いじめの認知件数が増加しているのでしょうか。

クラスの過剰な同調圧力

昔の学校で行われていた指導は、相対評価で成績を決めていたことからわかるように、子どもたちを横一列に並べて競争を煽ることでした。
学力でもスポーツでも、100人の子どもがいれば、1位から100位まで順位をつけ、他者を追い抜いて順位を上げることを目指すように仕向けていたのです。
競争に負けた子は、「落ちこぼれ」と呼ばれて見下されました。

こうした学校の風潮が一変するのが、2000年代の初めです。
少子化が顕著になり、詰込み型教育や競争の弊害も見えてきた。
そこで学校は狭義のゆとり教育をスタートさせて、絶対評価を導入することによって、子どもたちを競争から解放させ、代わりに主体的な学びを重要視しました。

それなら子どもたちは昔に比べて自由になったのではないかという意見もあるかもしれませんが、実態はそうではありませんでした。
学校が子どもたちに求めたのは、みんなで連帯感を持って団結し、一つのことに集中して取り組むことだったのです。

グローバル化の中で多文化共生が叫ばれる時代では、たしかに大勢の人と手を取り合って、目標を達成する経験をつむことは大切でしょう。
しかし、それを求められれば求められるほど、子どもたちの間で同調圧力が強まるのは必然です。

2010年代に入ってゆとり教育は終焉を迎えますが、その後も学校は一貫して子どもたちに集団で団結することの重要性を説きつづけます。
これに追い打ちをかけるように起きたのが、2020年からはじまった新型コロナウイルスの感染拡大でした。

この時期、学校は感染拡大防止を理由に、子どもたちに無数の厳しいルールを設けました。
マスクの着用義務、食事中の私語厳禁、休み時間の過ごし方の取り決め、課外活動の制限……。

子どもたちは自由な行動が制限され、決められた枠組みからはみ出すことを厳重に禁じられたのです。
その中で子どもたちの同調圧力は一気に高まり、ルールを破った子を批判する“自粛警察“と呼ばれる現象も起きました。

約3年に及ぶこの経験が、子どもたちに人と違うことをすることへの恐怖心を植えつけました。
彼らは自分の意見を言ったり、人より目立ったりしてはいけないという自制心を強くし、集団の中に埋没して目立たないように生きることが正しいという共通意識ができ上がったのです。

学校の方も、なかなかコロナ禍の体制から脱することができない現状があります。
コロナ禍の子どもたちに押しつけたことが、今なお一部で残っていて、それが子どもたちへの同調圧力となっているのです。

ある中学校の先生は次のように話していました。

「今の子は、リレーの選手に選ばれるとか、成績が優秀で全校集会で表彰されるといったことすら嫌がります。
悪いことだけでなく、良いことであっても、みんなとちょっと違うだけで“浮く“と言って怖がるのです。
それだけみんなと同じであることが正しいという意識が強まっているのです」

優れたことまで批判の対象になるというのは、同調圧力が看過できないほどのレベルまで高まっていることの証でしょう。

教室内の同調圧力が高まれば高まるほど、いじめは誘発されやすくなります。
そして、このような状況でいじめをするのは、集団の輪から外れた不良というより、逆にクラスの調和を大切にする向社会性の高い子になりがちです。

一般的に、協調性の高い子は、先生からも保護者からも「良い子」と見なされがちです。
しかし、歪んだ同調圧力の中では、こういう子ほど正義を振りかざしてクラスメイトを傷つける言動をしてしまうのです。

たとえば、給食の準備の際に配膳係はマスクをするというルールがあったとします。
ある子がマスクをつけるのが面倒で、そのまま係の役割を果たしていた。
すると、調和を大切にする子は顔をこわばらせ、指を差して言います。

「なんでマスクをつけないんだ! 汚ねえな! おまえはみんなにばい菌をまき散らすことになるんだぞ!」

注意した子どもにしてみれば、クラスのルールを守る同級生の行為が許せなかったのでしょう。
倫理的には決して間違っているわけではありません。

昔もこのように正論を振りかざす優等生タイプの子はいましたが、逆に「生真面目」「堅物」とあしらわれる傾向にありました。
しかし、同調圧力の高まった教室では、多くの子たちがそれに追随しがちです。
周りの子たちも一緒になって「うわ、汚ねえ、ばい菌野郎」「病気をうつすんじゃねえよ、帰れ」と批判をはじめるのです。

さて、大人はこれをどのように解釈すればいいのでしょう。

クラスのみんなから批判された子にしてみれば、悪口を言われているので自分はいじめを受けたという認識になります。
教室に飛び交った言葉の一つ一つは辛辣で、心を傷つけるのに十分です。

しかし、注意した子どもたちにとっては、クラスのために正論を述べただけであって、間違ったことは何一つしていない。
相手の子は批判されてしかるべきなのです。

こうなると、先生が間に立って事態を解決するのも難しくなります。

注意された子がショックを受けて不登校になったとしましょう。
先生は批判した子どもたちに「君たちが言いすぎたせいで、彼は学校に来られなくなったんだぞ」と注意する。
でも、彼らはなぜ正しいことをした自分が注意されるのか理解できません。
なぜならば、悪いのはマスクをつけなかった子であって、自分たちはそれを注意した正義の側なのだと思い込んでいるからです。

子どもたちがいったんこういう思考に陥ると、いくら注意されてもまた同じようなことをくり返します。
正論を振りかざし、輪からはみ出した人を傷つける。
今の教室に横行しているのは、そういういじめなのです。

石井光太
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2025年12月25日

なぜ買った本を読めないのか? 積読が消える「本棚ひっくり返し術」

なぜ買った本を読めないのか? 積読が消える「本棚ひっくり返し術」
12/23(火) THE21オンライン

「大掃除の時期、1年に一度やるだけでスッキリする」ひと工夫とは?

MBTI診断、ストレングスファインダー、動物占い、血液型占い−−世の自己分析サービスがどれだけ進化しても、結局一番、自分の本質が表れているのは「本棚」だと語るのは『1冊まるごと「完コピ」読書術』の著者、あつみゆりか氏。
本棚は最も自分の潜在意識と可能性をうつす"鏡"のような存在であり、本棚を眺めることで「積読」まで解消できるという。本稿では、年末の大掃除の時期、1年に一度やるだけでスッキリするという、本棚の前で行う「ひと工夫」を紹介する。

本棚はあなたより、あなたを知っている

2025年のビジネス書売上ランキングを見ると、「話し方」「マネー」「仕事術」といった定番テーマに加え、『嫌われる勇気』『覚悟の磨き方』『人生は気分が10割』のような、生き方そのものを問う"在り方系"の本が人気を博した一年でした。

興味深いのは、『世界の一流は「休日」に何をしているのか』のような"休み方"の本がヒットしたこと。
データを見ると、「スキル」や「テクニック」と共に、多くの人が "自分の状態を整えること" に価値を感じている、そんな時代の空気が見えてきます。

ではあなたの本棚を眺めてみてください。どうでしょう?

並んでいる背表紙は、すごく参考になった本、心を救ってくれた一冊だけでなく、人に勧められたけど刺さらなかった本、持ってたらカッコいいかなと背伸びして買ったけど読んでいない本、今の自分ではまったく理解できなかった本など。そんな自分の思考が混ざり合った、あなたの心のアーカイブであり、"思考と野望の展示棚" とも言える場所ではないですか。

そしてベストセラーのラインナップと比較すると、さらにあなた独自の思考性が浮き彫りになります。

そう、本棚を眺めるって、ひとりで自分の歴史を振り返るみたいな行為。
思考、願望、挫折、自己肯定感の欠乏まで。お金を出してまで買ったものの集合体はどんな占いよりもあなたの本音を映し出してくれます。
つまり、あなたの脳内よりあなたのことを覚えているのが本棚なのです。

たとえば、あなたの本棚に並んでいるのが「話し方」「交渉術」「マネー」「マーケティング」といったわかりやすいスキル系の本が多いなら、不足感が明確な人。
それらは「なりたい自分」の成分表とも言うべきラインナップです。

一方で、在り方の本をたくさん買っている人もいるでしょう。
「幸せとは?」「気分の整え方」「人生の意味」「心の余裕」みたいなテーマです。
こういう人は、言語化できないモヤモヤ、説明しづらい閉塞感、"とりあえずこのままじゃ嫌だ" という焦燥感が静かに積み上がってきている、そんな証拠だったりします。

論理で動くタイプ?それとも物語で動くタイプ?

今度は、たくさん買っているジャンルの本を何冊か手にとって、パラパラめくってみてください。

データがたくさん並んでいる科学的根拠が豊富な本、構造化など思考法の本、ロジックが見事に整理されている学者タイプの本。
もしも共通項としてこういう要素が多いなら、あなたは "納得しないと動けない理屈先行型" です。
会議でも根拠を求めるタイプかもしれません。

一方、泥臭い苦労をした上での著者の成功談、感情が揺さぶられる感動もの、著者の熱量が感じられるもの、物語などエンタメ要素が多いものなどを好む傾向なら、あなたは "ストーリーで動く感情駆動型"。
人の熱にほだされやすく、その代わり爆発力もあるけど、論理的な思考はちょっと苦手。そんな傾向があったりします。

選んできた本の傾向で性格や思考を診断することだってできるのです。

「著者」買いって、憧れの象徴

また内容より"著者"で本を買うという人もいるでしょう。
つまりそれは、「その人みたいになりたい」という願望が本棚に表れています。

例えば、経営者の本ばっかり買ってる人、いますよね。「え?別にだからと言って経営者になりたいわけじゃありません!」そう思った方は早合点しすぎ。その理由は起業願望という単純なものだけでなく、たとえば

・環境を変える突破力に憧れている

・意思決定の強さが欲しい

・仕掛ける人になりたい

そういうもう一段抽象化した願望が、無意識にその本を買うという行為に至らしめている。
「著者がカッコいいから買った」という軽い動機であっても、その集合体は立派なデータです。

1回1回の購入で小さな判断が存在していて、その蓄積を眺めると改めて自分の思考性が見えてくるはずです。
たとえ、なんとなく買っただけであっても、その"なんとなく"の積み重ねが、棚の中では完全に傾向として可視化されている。大掃除や断捨離って心も整うってよく言いますが、本棚を眺めるだけでも、そうした効果があるんです。

「やっぱり私、言語化できない不安を抱えてたんだな」とか、「変わりたいってずっと思ってたんだな」とか。本棚を眺めるって、自分との対話なんです。

積読が消える本棚のひっくり返しワーク

「じゃあ実際は読んでいない買っただけの積読でも、この傾向は変わらないの?」

そう疑問に思った方。はい、もちろん同じです。
ただし、積読しただけでは、それは願望で終わってしまう。
いくら本棚を願望で埋めても、あなたの日常は一向に変わりません。

そんな積読派のあなたにやっていただきたいワークがあります。
私が提案するのはたったひとつ。本棚、全部ひっくり返してください、ということ。

本を棚から全て出して、

・ジャンル別の山にして

・その山の頂点(=今の自分が最も救われた本)を置く

これをやってほしいのです。
この作業は必ず途中で手が止まります。
なぜなら、買った時の感情が蘇ってしまうから。
写真アルバムの整理と感覚が近いかもしれません。
「この本がなかったら今の私はない」と思う本もあれば、「なんでこれ買ったんだっけ?」ってなるものもある。

だからこの作業は「片づけ」ではなく「人生振り返り」なんです。

そして、ジャンル別の山のてっぺんの本。そこには共通点があります。
優しい語り口が好き、強い言葉で言われた方がやる気になる、女性著者が多いな、体験談が多い本が多いな、等。
あなたなりの共通項が、あなたに効く本の特徴です。

逆に山の底に沈んだ本にも意味があります。

「つまらなかった」「挫折した」「読む気が起きなかった」それは=あなたが本において拒否する特徴です。
この両方をメモしておくと、本選びが一気にラクになります。

これで「積読」解消まちがいなし。大掃除シーズンにもピッタリ!

私は常々こう思っています。

読めないのは、選ぶ基準がないから。
ふわっとした動機で買った本は日常の忙しさや娯楽に負けてしまいます。
だからこそ、この本棚ワークを一度やってほしい。

自己理解が進めば、「なんとなく買った」より、もっと深い「読む動機」が生まれ、それが「積読」解消には効果てきめんなんです。

「本なんて娯楽だよ」「積読だって買う楽しさがある」と反発する人もいると思います。
でもどうせ読むなら、自分の人生が読書でちょっとでも前に進んだ、そんな感覚を得たくないですか?
 年末の大掃除シーズンにもピッタリ。
是非「本棚ワーク」を試してみてください。

あつみゆりか
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2026年01月11日

高校無償化=無料は誤解!入学時に46万円?私立も公立も出願前に知っておくべき実際の出費

高校無償化=無料は誤解!入学時に46万円?私立も公立も出願前に知っておくべき実際の出費 #エキスパートトピ
末冨芳
日本大学教授・教育政策・こども政策・子ども若者の権利
1/10(土) YAHOOニュース

高校無償化は高校にかかるお金は無料という誤解をしていませんか?

高校入試の出願シーズンがやってきました。
4月からは所得制限のない高校無償化が始まるということで、私立高校に出願をお考えの方も多いと思います。
しかし、高校無償化といっても高校にかかるお金が無料になるわけではありません。

ひとり親支援団体の調査では、すでに授業料無償化されてきた低所得世帯なのに高校入学時に平均46万円の出費があるという調査結果も。

先行する東京・大阪でも、高校無償化=高校にかかるお金が無料と思いこんだ保護者によるトラブルが起きています。
注意点をまとめました。

ココがポイント

いわゆる高校無償化については、年収に関わらず(略)支給上限額:11万8800円(公立)、 45万7200円(私立)
出典:文部科学省「高等学校等就学支援金等」 2025/12/26(金)

入学に必要なお金、高校46万円、大学120万円 物価高騰で高校制服代も1万4000円値上がり
出典:しんぐるまざあず・ふぉーらむ「調査・政策提言」 2025/12/18(木)

公立高等学校(略)「通学関係費」の27.8%(約9万8千円)、私立(略)「通学関係費」の18.6%(約14万3千円)
出典:文部科学省「結果の概要-令和5年度子供の学習費調査」 2024/12/25(水)

高校進学に当たっては、学校の学力やブランド力のみならず、お金の部分もきちんと比較・計画して検討する必要があります。
出典:Fin Wing|野村の金融経済教育サイト,
「2026年度から所得制限なしで高校授業料無償化」で話題の高校費用を分析 公立学校進学者と私立学校進学者での学習費(高校編)」 2025/8/29(金)

エキスパートの補足・見解

注意点を整理します。

(1)高校無償化は私立の場合「授業料を上限45.7万円まで無償」にする制度であり、超過分や授業料以外は保護者が負担

(2)授業料が35万円の私立高校の場合には35万円しか無償化されない(45.7万円が家計に入るわけではない)

(3)私立は入学時に授業料を支払い、後で無償化分が家計に払い戻される制度で、一度授業料を保護者が立て替える必要

(4)入学金・施設設備費、通学費、教科書代、タブレット端末代等は保護者負担

文科省調査でも、通学費や制服代に保護者負担が大きく、物価高の中で令和5(2023)年調査より保護者負担が重いと考えられます。

私立だけでなく公立高校や国立大学付属校も「授業料以外の教育費」は保護者負担です。無料ではありません。

特色ある教育活動のため公立高校でも多額の保護者負担がある学校もあります。

受験時に安易な学校選択をせず、「授業料以外にいくらかかるか」を学校のHPや説明会、わからないときにはメール・電話などで問い合わせをすることも大切です。

低所得・中間所得層向けの授業料以外の高校生等奨学給付金も拡充予定ですが、まだ制度設計は明らかではありません。

4月以降に学校の案内に注意してください。

末冨芳
日本大学教授・教育政策・こども政策・子ども若者の権利
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2026年01月31日

陰謀論にハマるのは「頭が悪いから」ではない…"でっちあげの話”を信じてしまう脳のトリッキーな機能

陰謀論にハマるのは「頭が悪いから」ではない…"でっちあげの話”を信じてしまう脳のトリッキーな機能
1/30(金) プレジデントオンライン

私たちが持っている記憶は、本当に正しい内容なのか。
筑波大学の櫻井武教授は「人間は断片的な出来事を時系列に並べ、文脈を補完することで『記憶』というストーリーを完成させている。
それは必ずしも事実であるとは限らない」という――。

 ※本稿は、櫻井武『意識の正体』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■あなたの記憶は、本当に正しいのか

 もともと私たちは、断片的な出来事を「物語」として再構成することで、時間の連続性を創り出している。

 たとえ記憶の空白があっても、「たぶんこうだったのだろう」と文脈を補完し、自らの経験に一貫したストーリーを与える。この“物語化”の力こそが、自己という感覚の土台である。

 私たちは出来事を時系列に並べ、因果関係を補完することで理解しようとする傾向がある。

 「Aの後にBが起きたから、AがBを引き起こしたのだろう」といった理解は、明確な根拠がなくても自然と受け入れられてしまう。
この“因果性の錯覚”は、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームが指摘したとおり、私たちの心の癖でもある。

■SNSで陰謀論が広まる脳科学的理由

 この癖は進化の過程で生存に役立った可能性がある。
「物音がする→獣が来た→逃げろ」という経験からくる「物音がする→逃げろ」という推論は、正しいかどうかよりも“素早い判断”であることが重要だったのだ。

 だからこそ、人間の意識は、記憶を「時間順に」「因果的に」並べて意味づけようとするようにできている。

 たとえそれが事実に反する“でっちあげ”であっても、物語のある事件のほうが、断片の集積よりも心理的に受け入れやすい。
それゆえ、人は出来事に何らかの理由を求めずにはいられない。
理解できないものでも、何らかの理由があると納得したような気がするのだ。

 SNSで陰謀論が広まるのも、この“前後関係で隙間を埋めようとする心理”が働くからだろう。
陰謀という「理由」をつくってもらえれば、不可解な出来事も納得がいったような気がするからだ。

■記憶を再構築し、ストーリーを作る

 こうした時系列に“仮の”因果関係を構築する構造は、睡眠中の脳活動にも見られる。
海馬から大脳皮質への情報転送、感情的記憶の再整理、文脈づけ――こうした“無意識下の情報処理”によって、私たちの記憶の筋書きは静かに編集されている。

 つまり、私たちは眠っている間に、過去を整理し、未来に備え、自分という物語を再構築している。
この営みは、バラバラな記憶の断片を“物語”でつなぐことで、私たちに“現実”という一貫性を与えているのだ。

 では、もしこの「記憶」という記録がなければ、私たちの“自己という物語”はどうなってしまうのか。
それをまざまざと示すのが、「H.M.」として知られるある男性の症例である。

■ショートストーリー「記憶機能を失った男」

 彼の名前は、ヘンリー。
かつて多くの人が「H.M.」というイニシャルでしか知らなかった男だ。
彼は幼い頃、自転車事故に遭った。
その後から、意識が突然遠のく「発作」が現れるようになった。
年を重ねるごとに発作は激しさを増し、ついには薬も効かなくなった。

 1953年、27歳のヘンリーは、てんかんの治療のために脳手術を受けることになった。
ハートフォード病院のウィリアム・スコヴィル医師は、脳の「内側側頭葉」と呼ばれる部分を両側とも切除した。

 そこには、のちに記憶の中枢として知られる「海馬」が含まれていた。手術は成功し、発作は劇的に減った。

 しかし、その代償はあまりにも大きかった。
彼は、その日から、新しい陳述記憶(物語として覚える記憶)を一切つくることができなくなったのだ。

■愛する父の死を知ったヘンリーは

 担当医師が部屋に入る。
ヘンリーはにこやかに挨拶する。
「こんにちは。初めまして」。
だがその医師は、すでに100回以上、彼に会っている人物だった。
5分後、ヘンリーは再び、その人を「初めて見る人」として迎えるのだった。

 彼は日々のすべてを「今、起きたこと」として経験し、しかし、すべてをすぐに忘れていった。
彼にとって、目覚めた世界は常に“最初の朝”だった。

 ある日、父が亡くなったという知らせを受けた。
父を愛していたヘンリーは深く悲しんだ。
だが、しばらくしてまたその話を聞いたとき、彼は再び、初めてのように驚き、そして、また涙を流した。
彼は、同じ悲しみを何度も何度も、味わうことになった。

■ヘンリーが覚えていること

 それでも、彼にはチェスを指す力やクロスワードパズルを解く力もあった。
あるかたちを繰り返しなぞる訓練では、着実に上達していった。
目の前で起きたことや聞いたことに対して、通常の人と同じように感情をあらわにすることもできたし、物事の好みも表現できた。

 それは、「記憶」には種類があり、彼が失ったのは“陳述記憶”だけであり、“身体で覚える記憶(手続き記憶)”や“一時的な思考に用いる記憶(作業記憶)”、そして感情に関わる“情動記憶”は残っていたことを示していた。

 彼の症例は、記憶が単一のものではなく、多数の異なる脳の仕組みによって支えられていることを世界に教えた。

 それ以上に、私たちが忘れてはいけないのは――。ヘンリーが、記憶をもたずに生きるとはどういうことかを、身をもって教えてくれたということだ。

 彼にとって人生は、始まりはあっても、連続がなかった。
鏡の中の自分が年老いていても、彼はそれが自分だとは信じられなかった。
彼の中の“私”は、27歳のまま時を刻まなかったのだ。
彼にとっての「今」は、永遠にその当時のまま、静かに繰り返されていた。(ショートストーリー終わり)

■手術前の記憶は思い出すことができた

 このショートストーリーは事実に基づいている。
H.M.(ヘンリー・モレゾン)は、陳述記憶をもたないまま、27歳からの50年近くを生きた。

 その人生は、マギル大学の心理学者ブレンダ・ミルナーによって記録され、人類の記憶に関する知見の礎となった。
彼は、過去のことを思い出すことは可能だった。
高校生のときに住んでいた家の間取りや住所も完璧に思い出すことができた。

 しかし、手術後に経験した新しい出来事は一切覚えられなかったのだ。
彼は手術によって海馬の大部分を切除されていた。
このことから海馬が新しい陳述記憶の形成に重要な働きをしていることがわかった。

 また、古い記憶を引き出すのに海馬は必要がないことも示された。
海馬が必要なのは、新しい陳述記憶をつくるときだ。
そして、その記憶は2年くらいの時間をかけて大脳皮質に移行していく。

■記憶は「私」というストーリーを作っている

 彼はもうこの世界にはいない。
けれども、彼の脳は――その陳述記憶をもたなかった脳は――今も神経科学の歴史にその名を刻んでいる。
ヘンリーの人生は、神経科学における記憶に対する理解を飛躍的に進めた。

 彼の“連続性を失った人生”は、逆説的に、記憶が「意識の連続性」「自己の連続性」をいかに支えているかを我々に突きつける。

 私たちが「私」であると感じられるのは、ひとえに記憶が時間軸をつないでくれているからなのだ。
つまり記憶とは、単なる情報の保存庫ではなく、「私」という物語を織り続ける織機であり、意識が断続的であっても“人生のつながり”を錯覚させてくれる、最も根源的な装置なのかもしれない。

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櫻井 武(さくらい・たけし)
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構副機構長
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2026年04月02日

何歳になっても脳は使えば使うほどよくなる…

何歳になっても脳は使えば使うほどよくなる…世界的神経科医が「脳は他の臓器と全然違う」と断言する根拠
4/1(水) プレジデントオンライン

過去の研究では、成人になると脳は変化しないと考えられていた。
だが、脳について多くの著作を持つ神経科医のリチャード・レスタックさんは「脳は生涯にわたって変化しやすく、頭を使い続けることで認知症リスクを下げるが使わなければダメになる」という――。

 ※本稿は、リチャード・レスタック『いくつになっても頭はよくなる 記憶力・集中力・思考力・創造力 全部高まる28の習慣』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

■今日始めれば脳は今日から変わる

 かつて神経科学者たちは、人間の脳は大人になるまで成長し、それから数十年は変化せず、やがて当然のように構造と機能が低下していくと信じていました。
また、失われた脳細胞は新しいものと置き換えられないとも信じていました。
ですが、この金科玉条のような古い教えは、今では真実とは考えられていません。

 最近の研究により、学習と記憶を司(つかさど)る海馬では脳細胞が増えつづけることがわかっています。
さらに、脳は静的な組織ではありません。
豊富な経験を積んでいけば、時とともに優れた可塑性を見せます。

 たとえば、プロの音楽家は、脳内の音楽に関する部位のニューロンをふつうの人よりたくさん使うので、音楽を聴いているだけでも多くのニューロンが活性化します。
その変化の程度は、音楽を学んだ年数によって違ってきます。
とはいえ、音楽的能力を司る部位を強化するのに、遅すぎるということはありません。
ですから、今日あなたが楽器を手に取れば、その後の練習量に応じて脳が変化していくでしょう。
こうした可塑性が、脳の基本的な働きの一つなのです。

■40代以降の実践でも遅くない

 脳のこうした複雑化は、動物界にも見られます。
ハエの脳でも経験によって違いが現れます。
カリフォルニア州ラホヤにある神経科学研究所の上級研究員、ジョージ・L・ガボール・ミクロスがこう述べています。
「入念な分析により、ハエの脳には顕著な構造的可塑性があることがわかった。
特定の生息条件を与えられると、脳の大きさだけでなく、ほとんどの部位がたえまなく再編される」

 食物連鎖上ハエより高等な生物であるラットでは、おもちゃや仲間、広々とした生息条件を与えられると、さらに脳細胞が増えます。
そして賢くなり、行動試験での成績もよくなります。

 ですから、知的な課題に継続して取り組めば、脳の重要な部位で細胞が増えつづける可能性があるのです。
脳のことを、一生かけてつくっていく作品だと考えてください。
あなたの思考と行動によって脳はつねに変化しています。
その変化が働きや能力を高めてくれるのです。
しかも何歳であっても、また、どれほど遅くから始めても同じことが言えます。
ケース・ウェスタン・リザーブ大学医学部のロバート・P・フリードランダーの研究によると、20代と30代に知的活動を多く行った人は、アルツハイマー病になるリスクが大幅に減少しました。
さらに、40代以降に知的活動を増やした人でもリスクが減少したそうです。

■アルツハイマー病、認知症予防にも

 「知的活動」も従来の学問にかぎられるわけではありません。
図表1は、アルツハイマー病を防ぐ効果のある知的活動を示したものです。
ここには、読書や手紙のような学究的なものから、ゲーム、パズル、そして編み物のように指先を使うものまで含まれています。

 はっきりわかっていることが1つあります。
学びを生涯の課題とし、人々や出来事に対して好奇心や知識欲をもちつづけ、本書ですすめる練習をすれば、アルツハイマー病やその他の認知症にかかるリスクを減らせます。

精神的に活発であるように努力すれば、新しいニューロンを発達させ、ニューロン接合や神経回路を維持して増やせる可能性が大きくなるのです。
このことは、知的能力が非常に高い人々に対して行われた陽電子放射断層撮影法(PET)による研究で明らかになりました。

 その研究によって、プロの音楽家は、ピアノの音を記号化するのに用いられる脳の部位が、楽器を演奏したことのない人より大きいことがわかりました。
双方のグループにピアノの音を聴かせると、音楽家の脳内の反応のほうが他方より25%大きかったのです。

■脳は心の持ち方でも変化する

 さらに、早い時期から楽器を始めた人ほど、大きな反応を示しました。
長く訓練を積んできたため、音楽を処理するニューロンをたくさん使うのでしょう。
また、ピアノの音に合わせて演奏することにも秀でています。

 脳の変化は、心に抱いた考えから生じることもあります。
一瞬一瞬の思考が脳の機能に影響を与えます。
本章を書く数時間前、わたしは1人の患者の話に耳を傾けていました。
彼女はある人の不注意のせいで頭を強く打ち、しばらく意識を失ったそうです。
初めは事故のようすを冷静に語っていました。
しかし、彼女に怪我(けが)をさせた人の「愚かさと無分別」について話しだしたとたん、怒りで顔が真っ赤になり、急に痛みだした頭を両手で押さえたのです。

■脳内物質まで変える「思い込み」

 多くの人がこの患者のように、考えや言葉、他者の行動に対して身体と心が反応します。
身体の反応には、薬並みに強力な化学変化が関与しています。
たとえばPETスキャン研究では、悲しいことを考えた場合とうれしいことを考えた場合とで、脳内の化学物質が変わることがわかっています。

 そして腹が立つことを考えると、わたしの患者のように身体症状が出ることもあります。
同じように、ある薬が病気の不快な症状に効くと強く信じれば、その思い込みだけで脳内の化学物質が変わるのです。
ただし、その変化によって治るかどうかは、病気の性質や重さによります。
薬、偽薬、奇跡にはさまざまな説がありますので、惑わされないようにしてください。

■いくつになっても進化する脳

 実際に、脳に関するあらゆる新しい研究によって、今何歳であっても脳を改善するのに遅すぎることはないと示されています。
というのも、脳は他の臓器とは違うからです。
肝臓、肺、腎臓は一定の年数がたつと衰えますが、脳は使えば使うほど活発になります。まさに、使うことでよくなるのです。

 さらに脳細胞の機能の性質は、経験によって成人してからも生涯変わりつづけます。
どうして、そんなことがわかるのでしょう?
 それは、サルによる実験と、人間の点字学習における脳画像検査で明らかになったからです。

 神経科学者たちはサルの脳で、指の刺激に反応する大脳皮質の部位の大きさを測定しました。
まず、サルにある作業に特定の指を使うよう教えこみ、その作業を数千回繰り返させます。
すると、その指に対応する脳細胞の数が、使っていない細胞を犠牲にして増えることがわかりました。

 使い方に応じたこの改良は人間の脳でも行われ、しかも一生続きます。
たとえば目が不自由なため点字を読む人の脳でも、サルの実験で測定したのと同じ部位が大きくなります。
それは時とともに指先が、字を表す点のパターンのかすかな変化を精密に感じとれるようになるからです。

 さらに興味深いことに、指先からの刺激を受け取る脳部位の活性は短期間で変化します。
たとえば、週末に点字を読むのを休むと、その部位が小さくなります。
そして、また読みはじめると再び大きくなるのです。

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リチャード・レスタック
神経科・精神神経科医
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする