2026年07月05日

プールの水の止め忘れは“自腹”なのに…同じ過失でも学校で自分の洗濯物を乾かして火事を起こした非常識な教師が「損害賠償責任を問われないカラクリ」

プールの水の止め忘れは“自腹”なのに…同じ過失でも学校で自分の洗濯物を乾かして火事を起こした非常識な教師が「損害賠償責任を問われないカラクリ」

7/3(金) デイリー新潮

滝野川第三小学校

 東京都北区の小学校で発生した火災は、音楽教諭のとんでもない“日常”が招いた結果だったことが判明した。
朝6時に出勤し、学校で私服の洗濯をしていたというのだ。
損害は数十億円規模になる見通しだが、音楽教諭の賠償責任はどうなるのか。
専門家は「問われない可能性が高い」と話すが、いったいどうして…。

***
学校で私物を洗濯していた驚きの実態

「音楽準備室でストーブを使って洗濯物を乾かしていたことは、割と初期の段階でわかっていました。
ずっと謎だったのは洗濯物が何だったのかという点。
以前、学校が行った会見で、音楽準備室に金管バンドの制服があったという話は出ていましたが、洗濯物はそれとは別物ではないかと見られていた」(社会部記者)

 その謎は、7月2日、学校が開いた3回目の会見でようやく解けた。
避難する際に転落して腰椎を骨折して入院していた音楽教諭は、学校側の聞き取りに、「自宅から自分の洗濯物を学校に持ち運び、校舎1階にある家庭科室で洗濯してから4階の音楽準備室で乾かしていた」
「洗濯物を乾かすのに使っていた電気ストーブは自宅から持ち込んだ」と語っているというのだ。

「会見で『なぜ私服を学校で洗濯していたのか』と問われた校長は『わからない』と答えました。
自宅に洗濯機がないのか、水道代をケチりたかったのか…。
おそらく日常的にやっていたのでしょう。
毎朝6時に出勤していたというので、他の教員たちは誰も気づかなかったようです」

電気ストーブに衣服が落ちたとしても、直ちに火が出るとは言いにくい

 今後、このトンデモ教師にはどのような責任が問われるのか。あつみ法律事務所代表の渥美陽子弁護士に話を聞いた。
まず刑事責任について。渥美氏は失火罪に問われる可能性が高いと語る。

「重過失失火罪が適用される可能性が決してないわけではないですが、重過失というのは、『ほぼ故意』と同視していいくらいの重い過失です。
具体的に例を挙げると、石油ストーブの近くで服を今にも落ちそうな状態で乾かしていたとか、石油ストーブに石油を入れる際、タバコを吸いながら作業していたとか、寝タバコをしていたとか…。
“そんな危ないことをしていたら、当然火事になると予見できたでしょう”と指摘できる場合に適用されます。

今回、洗濯の乾燥に使われたのは電気ストーブとサーキュレーター。
電気ストーブに衣服が落ちたとしても、直ちに火が出るとは言いにくい。
失火罪で書類送検されても、人命に被害が出ていないことを考慮し、不起訴になったり、起訴されたとしても、数十万円の罰金刑で済まされたりする可能性が高いと思います」(渥美氏、以下同)

 問題は民事上の責任である。
北区は校舎を建て替える方向で検討しており、仮校舎の移転なども含めれば、発生する費用は数十億円に達する可能性がある。

 ここで比較したいのは、これまで全国で多発してきたプールの水の止め忘れ事故である。
2023年、川崎市の市立小学校で教諭のミスで6日間流れ続けたケースでは、損害は約190万円に上り、市は損害額の5割にあたる約95万円を教諭と管理責任者である校長の2人に請求した。
この事案に限らず個人に損害賠償を問うことが定着している。

 今回の火災もプールの水の止め忘れと同様、故意ではなく過失だ。
だが渥美氏は、今回のケースでは賠償請求がされない可能性が高いと話すのである。

明治32年に制定された「たった一行の条文」に救われる? 

「過失により他人に害が発生した場合は、民法709条に基づく不法行為責任を負うのが原則です。
しかし、失火による火災の場合は、失火責任法によって免責されます」

 下記は失火責任法の条文だ。

〈民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス〉

「明治32年に制定されたたった一行の条文です。
失火が過失だった場合、つまり先ほど挙げた、石油ストーブの近くで服を今にも落ちそうな状態で乾かしていたなどの重過失でない限り、不法行為に問われないことになります。
炎はその燃え広がるという性質上、延焼により損害が膨れ上がる可能性があり、巨額な賠償責任を個人が負わなければならなくなるので、単純な過失については免責しようという考えです」

 こう聞いても釈然としない人は多いのではないか。
どちらかと言えば、プールの水の止め忘れは誰もがやってしまいそうなミスだ。
自宅でやるべき洗濯を学校でやっていた音楽教諭の方がよほど悪質で、損害もはるかに大きいのに不平等ではないかとどうしても思ってしまうが、

「プールの方では、失火責任法のような単純な過失を免責する法律がないだけの話です。
法律上の立て付けがそうなっているとしか言いようがありません」

 水と火の特性の違いで、法的責任にかくも大きな格差が生じてしまうのである。

 関連記事【小学校火災「ミッション:インポッシブルみたいな避難」は正しかったのか「消化活動よりまず児童を階段から逃がすべきだった」の声も】では、消防関係者が避難方法の是非について解説している。

デイリー新潮編集部

************************************
小学校火災「ミッション:インポッシブルみたいな避難」は正しかったのか「消化活動よりまず児童を階段から逃がすべきだった」の声も
2026年07月01日

滝野川第三小学校

 結果オーライで済ませて良い話なのか。
6月19日、東京都北区の小学校で発生した火災である。
4階の窓から3階部分の庇(ひさし)へ飛び移る“機転”は結果的には児童たちの命を救ったが、正しい避難方法だったと言えるのか。
そして失火原因を作ったとされる教師の責任をどうとらえるべきなのか。

 ***

「消火器―!」と叫んで飛び出した男性教諭

 まずは緊迫の場面を振り返る。

 滝野川第三小学校の4階の音楽室では、5年2組の24人の児童が3時間目の授業を受けていた。
午前10時50分頃、女性の音楽教諭は「焦げ臭い匂い」に気づいた。

 女性教諭は廊下に出て様子を伺ったが状況を把握できず、一旦音楽室に戻った。
そして室内でつながっている音楽準備室の扉を開けた。その瞬間、モクモクとした黒煙が音楽室に入りこんできた。
ほぼ同じタイミングで、「ジリリリ」と火災報知器が校内に鳴り始めた。

 その音を聞いて、同じ4階にある5年2組の教室で1人残って事務仕事をしていた担任の男性教諭が慌てて音楽室へ飛び込んできた。
出火場所が音楽準備室だと確認すると、

「消火器―!」
 と叫びながら廊下へ。

これに呼応したのは、たまたまトイレ掃除をしていた女性主事だった。
目についた消火器を手に取りピンを抜いてから男性教諭に渡し、受け取った男性教諭は再び音楽室まで駆け戻って、音楽準備室に向けて消火器を噴射した。
だが、火は勢いを増すばかりで鎮火できなかった。
この間、女性主事や他の教室で授業をしていた教員・児童は火元から遠い方にある階段を使って避難した。

3階庇の幅は80センチ

 男性教諭はこのタイミングで避難を決意する。
備えられていた救助袋を用いた、窓の外からの避難だった。

 救助袋は使用できる状態だったとみられる。
だが、うまくいかずに作業の途中で断念。
使い方が分からなかったのか、時間がなかったのかは不明だ。
その後、階段からの避難を検討して廊下に出てみたものの、防火シャッターが降り、黒煙はたちこもる一方で難しい状況だった。

 そして、映画「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズさながら、4階の窓から3階部分の庇(ひさし)に飛び移り、救助を待つことを決断したのである。
庇の幅は80センチ。
2人の教諭が連携しながら児童たちを移していった。
どういう経緯でそうなったかは不明だが、3人の児童は教諭たちがいる逆側の庇に自分たちで飛び降りた。

 それから窓から炎が吹き出す中、子供達は耐え抜き、駆けつけた消防によって発生から約1時間後には全員が救助された。

 だが、男児1人と女性教諭が庇に飛び移る際、約3メートル下の2階の屋根部分に転落。
男児が肘、女性教諭が腰を骨折。9人が煙を吸い込む軽傷を負った。

 幸い1人も命を失わずに済んだこの避難方法。はたして適切だったと言えるのかーー。

骨折だけで済んだのは幸運

 消防関係者は「少なくともベストではなかったと思います」と語る。
まず指摘するのは「避難するまでの決断の遅さ」だ。

「消火より先に児童の避難を優先させるべきだったのではないか。
正確な当時の状況は把握できていませんが、男性教諭が消化器を用務員から受け取った時、廊下から階段への避難は可能な状況だったはず。
少なくとも初期消火と避難は並行してやるべきだった。
防火シャッターが降りた後でも、潜り戸がついていて出入りできるようになっている。
避難の決断が早ければ、多少の煙があっても、口と鼻をハンカチなどで塞ぎながら、頭を低くする姿勢で逃げるよう誘導すれば、階段から無事避難できたはずです」(消防関係者)

 庇での待機については、差し迫った状況では仕方なかったとしながらも、

「人を乗せるためのものではないので危険です。
築60年以上の校舎だったので、崩落していたら大惨事になっていたでしょう。
3人の児童が子ども達だけで降りていたのも問題。
転落した2人が骨折だけで済んだのは幸運でした」(同)

 救助袋を使えなかった失敗については、同情の余地があるという。

「小学校では月1回程度の頻度で避難訓練が行われていますが、救助袋を使う訓練はほぼ行われていません。
初めて使ったとしても、落ち着いて収納されている箱に書かれた『使い方』に従えば使用できたはずですが、あの緊迫した状況では難しかったでしょう。
廊下には消火器よりも消火力が高い『屋内消火栓』が設置されていましたが、それも使われていない。
学校現場での避難訓練が形骸化している可能性があります。
命が失われず良かったではなく、社会全体で徹底した検証を行なっていくべき事案だと思います」(同)

音楽準備室を「自分の部屋のように使っていた」疑惑

 とはいえ、こうした指摘よりも問われなければならないのは、失火原因を作った女性教諭の責任だろう。
そもそも、火気を扱う家庭科室や理科室ならともかく、音楽室での出火など「避難訓練では想定外」(同)なのである。

 女性教諭は取り調べに「サーキュレーターを使って洗濯物を乾かしていた」と供述している。
現場にはコードがショートし、繊維片が付着した電気ストーブが残されていた。
どのような洗濯物をどう乾かそうとしていたかは不明だが、洗濯物がサーキュレーターの風で電気ストーブに落ちて出火したものと見られている。
しかし、初夏にストーブで洗濯物を乾かそうとするものだろうか。

「廊下側にある音楽準備室の扉の前には楽器が置かれているなど、結構散らかっていたようです。
警察は『自分の部屋のように使っていたのでは』と呆れて話しています」(社会部記者)

 校舎の相当部分が使用できなくなり、北区は建て替える方向で検討中だ。

「仮校舎への引っ越しなどを含めると、予算は数十億円規模になるのではないか。
失火責任法では、失火者に重大な過失がない限り賠償責任を負わないとされており、電気ストーブで衣服を乾かす行為が重過失とみなされる可能性は低い。
今後、女性教諭は重過失失火もしくは業務上失火容疑で書類送検されるとみられていますが、おそらく不起訴処分になるでしょう」(同)。

 これまで学校現場で起きたプールの水の止め忘れ事案では、過失であっても高額な賠償を校長や教諭が負わされている。
被害額に雲泥の差があるとはいえ、お咎めなしで済まされていい話ではないだろう。

 北区教育委員会は取材に次のように回答した。

「建て替えや予算については検討中です。
(音楽教諭の責任については)原因究明に取り組んでいるところで結果を踏まえて適切に対応していきます。
(避難方法について)詳細は確認中ですが、児童の避難・安全確保を最優先にしたものと認識しています。
結果として、在校していた全員の避難を確認しています」

デイリー新潮編集部
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年07月04日

「愛国心」とは何か?“押し付け”の危険性も 20年前にも与党大論争の過去

「愛国心」とは何か?“押し付け”の危険性も 20年前にも与党大論争の過去
7/4(土) ABEMA TIMES

愛国心とは何か

 2006年の教育基本法改正時、国を愛する心の明記を巡って与党内で激しい議論が交わされてから約20年が経過した。
現在もなお「愛国心」という言葉の定義やそのあり方については、政治の場や言論空間において多様な見解が存在している。
国旗損壊罪を巡る議論をきっかけに、愛国心についても関心が広がる中、「ABEMA Prime」では、言葉そのものが持つ多面性や歴史的な文脈、国際社会における位置づけなど、多角的な視点から「愛国心とは何か」という本質について考えた。

■「愛国心」とは何か ニュアンスの違い

愛国心とは

 「愛国心」を巡る公的議論の大きな節目となったのが、2006年の教育基本法改正だ。
当時、自民党と公明党の間では、法律への「愛国心」明記を巡り、3年間で10回の協議会、70回の検討会を重ねる激しい対立が繰り広げられた。

 当時の自公政権において、自民党は「国を愛する心(愛国心)」という明確な表現を法律に盛り込むことにこだわった。
これに対し、公明党は「戦時教育を連想させる」として強く反発し、「国を大切にする心」という表現を主張した。
この議論の末、最終的には「我が国と郷土を愛する」という表現で着地することとなった。

 当時の議事録からは、両党の根強い思想的対立が読み取れる。
自民党議員が「今のままでは日本を否定する子どもたちになりかねない。法律できちんと謳うことが重要である」と主張したのに対し、公明党議員は「法律に書いたからといって、そのような子どもが育つわけではない」と反論。
さらに自民党側が「教師の態度や学習指導要領に反映させることにより変わる」「子供は教えないとわからない。でたらめな教育のせいで今のようになった」と教育現場への反映を求めた。
これに対し、公明党側は「教育とは一人ひとりの精神性を育てるものであって、愛しうる国家をつくるのは教育の力ではなく政治の責任である」と、国家が法律によって個人の精神性を規定することに強い懸念を示していた。

 広辞苑において、愛国心は「自分の国を愛する心」と簡潔に記述されているが、その「国」や「愛する」という具体像は一様ではない。
英語圏においては、愛国心に類する概念が明確に類型化されている。

番組内では、英訳における3つの概念が提示された。

1.Patriotism(パトリオティズム:祖国愛):国への愛着や「国をよくしたい」と思う気持ち。

2.Nationalism(ナショナリズム:国民主義):民族・国家としての一体感や利益を重視する考え方。

3.Chauvinism(ショーヴィニズム:排外的愛国主義):自国が他より優れているとみなす排他的な考え方。

 日本維新の会の阿部圭史衆院議員は、国連職員としての経験から、「愛国心は他人に強制されるものでもなければ、法律に強制されるものでもない。
育ってきた環境で自然に醸成され、いろいろな社会的な要因で醸成されてくる。これは世界共通のものだと思う」と語った。
また、元国連職員の立場から、国際的な場において自国への誇りを持つことが他者へのリスペクトにつながるとし、「愛国心と表現するかはさておき、自分の育った地域を好きだ、愛しているというのは自然な感情。パトリオティズムだ」と言及した。

 これに対し、研究者・山内萌氏は日本国内における歴史的背景を踏まえ、言葉の受け止められ方にある特有の課題を指摘した。
「愛国心を説明する時に、英語を3つ持ってきて説明しなければいけないところに、戦後日本のある種のねじれ、平和教育のねじれみたいなものを感じる」と述べ、「愛国心」という言葉が素直に共有されにくい構造的なねじれを浮き彫りにした。

■国旗損壊罪が愛国心につながる?ネットでも賛否

20年前も議論に

 出演者から「愛国心」の押し付けに対する警戒感や、言葉が内包する多様性を認めるべきだとする具体的な持論が、一連の文脈として示された。
2ちゃんねる創設者・ひろゆき氏は、国を良くしたいという思いの重要性を認めつつも、それを言葉にして他者に要求する姿勢を批判した。

 「自分の国は良い国だと思ったり、良い国にしたい、変えていきたいと思うのは大事。
ただ、『私は愛国心がある』『お前は愛国心を持つべきだ』というように、愛国心というキーワードを押し付けたり、主張する人たちはろくでもない」と語り、強制や主張の道具とされる愛国心を批判した。

 また、神戸学院大学准教授の鈴木洋仁氏は、愛国心が指し示す対象の広さと、それゆえに個々人の姿勢を一つの枠に当てはめることの危険性を指摘した。
「愛国心と言った時に、土地を愛するのか、文化を愛するのか、人々を愛するのか、それとも習慣を愛するのか。
いろいろあっていいものだが、国旗について考える時に、愛国心とリンクさせない方が話としてははっきりする」と述べ、個別の政策と愛国心を結びつけることに疑問を投げかけた。

 ネット上の声も様々だ。
国旗損壊罪と愛国心の関係について、「良心や表現の自由を妨げる。戦前の思想統制のようだ」「愛国心は強要できない。良い政治や豊かさで自然に醸成されるもの」「自身の愛国心を他者から強要される謂れは無い。愛国心は個々人の想いの中に在る」という警戒感や慎重論が並ぶ。
その一方で、「愛国心醸成!よい言葉だ」「国旗、国歌、国家を愛せないでその国に居続けるのも私には理解しがたい」といった肯定派の意見もあり、国民感情の乖離が見て取れた。

(『ABEMA Prime』より)

ABEMA TIMES編集部
posted by 小だぬき at 14:47 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3代にわたる「皇后バッシング」はなぜ起きたか? 各時代の「女性の社会的立場の変化が色濃く影響している」

3代にわたる「皇后バッシング」はなぜ起きたか? 各時代の「女性の社会的立場の変化が色濃く影響している」
7/3(金) デイリー新潮

働く女性の憧れの的だった雅子さま

 2003年に帯状疱疹を発症されて以降、適応障害のため長期療養中の皇后雅子さま。
22年半もの長きに及ぶ闘病の日々は、“皇后3代”に受け継がれる「苦難の歴史」を象徴しているかのようだ。

 女性解放運動家の草分けである市川房枝氏らが中心となり、女性の参政権を求める婦人参政権獲得期成同盟会(翌年に、婦選獲得同盟と改称)が結成された1924年に昭和天皇と結婚した香淳皇后。
女性の社会進出がスポットライトを浴び「東京のバスガール」が大ヒットした1957年、「テニスコートの恋」で上皇陛下と出会われた上皇后美智子さま。
そして、育児休業法が施行された1992年にプロポーズを受けられた雅子さま。

 皇室典範改正を巡り、国会が女性天皇の是非の議論は避けたことで、皇族女子の立ち位置は曖昧なままだが、それを体現してきたのが歴代皇后であろう。
その3代にわたって続く苦難の歴史を振り返り、女性皇族の未来を考察する。

宮中某重大事件

 香淳皇后は旧皇族の久邇宮家の長女に生まれ、1918年ごろ、後の昭和天皇のお后候補として急浮上、一旦は婚約が内定した。
しかし久邇宮家の血縁に色覚異常があることが発覚。「お世継ぎとなる男系男子に遺伝する危険性がある」との理由から、反対論が台頭した。
侍医や東大医学部の教授ら専門家の間で「色覚異常が遺伝する確率」を巡って議論が戦わされたが、DNAの二重螺旋[らせん]構造が解明される半世紀近くも前で、議論は遺伝学への理解が不十分なまま、政治的綱引きの道具となってゆく。

 山縣有朋らは「色覚特性は遺伝する」として婚約の白紙撤回と、意中の別の宮家からの“輿入れ”を画策。
一方で、原敬内閣や西園寺公望らは慎重論や反対の立場を取り、「宮中に誰が影響力を持つか」を巡って紛糾する。
昭和天皇が皇太子時代、その教育に携わった杉浦重剛は「婚約破棄を正当化するのか」と猛抗議するなどした。

 紆余曲折はあったものの、結局は21年2月、宮内省が「皇太子妃内定に変更なし」と公式に発表。
中村雄次郎宮内大臣が、騒動全ての責任を取って辞任することで決着が図られ、関東大震災の発生を挟んだ24(大正13)年1月に晴れて結婚は実現した。
昨年、完成した記録集『香淳皇后実録』の編纂(編集)作業に関わった宮内庁書陵部OBは「香淳皇后は当時“欠陥”扱いされたことに相当、心を痛められたようです」と話す。

 この一連の騒動は“宮中某重大事件”などと呼ばれていることは、よく知られる通りだ。

 上皇后美智子さまは1957(昭和32)年8月、長野県軽井沢町のテニスコートで皇太子時代の上皇陛下と対戦。これを契機に結ばれるという、あまりにも有名な世紀のロマンスを経て、初の平民出身として「ミッチーブーム」と呼ばれるムーヴメントを巻き起こした。

 だが「開かれた皇室」のイメージを代表する存在となったことで、強い反発も生まれ、昭和から平成へのお代替わりをきっかけに平成流が昭和を否定するものとして、美智子さまにバッシングの矛先が向けられた。
象徴的だったのが、1993(平成5)年の雑誌「宝島30」8月号に掲載された「皇室の危機 菊のカーテンの内側からの証言」と題する記事。
宮内庁職員を名乗る人物が、美智子さまの私生活を「快楽主義的」だと内部告発風に批判し、これに「週刊文春」などが追随し、批判報道をエスカレートさせたのだ。

「誕生日」という転機

 宮内庁OBは回想する。

「『深夜まで職員を付き合わせてトランプや夜食を楽しんでいる』など、侍従職を経験した先輩の職員でも『確認できなかった』と言うような真偽不明な内容が多く、批判のための批判という印象は拭えなかったそうです」

 精神的に追い込まれた美智子さまは同年10月、59歳の誕生日の朝に赤坂御所(現・仙洞御所)で倒れ、声を失う“失声症”を発症される。
報道に憤慨した右翼関係者によって宝島社の本社や、文藝春秋の社長宅に銃弾が撃ち込まれるテロまで発生し、ようやくバッシングは沈静化したという。

 同じく民間から皇太子妃となった皇后雅子さまもバッシングにさらされたことは今更、振り返るべくもない。
1986(昭和61)年10月、来日したスペインのエレナ王女の歓迎行事があった東宮御所(同)で、外交官試験に合格したばかりの雅子さまと天皇陛下が出会う。

 雅子さまはその後、お后候補として取りざたされるようになるのだが、外交官としてのキャリアをスタートさせたばかりということもあり、当時「キャリアウーマン」と呼ばれていた、働く女性の憧れの的となった。
1992年のプロポーズを経て93年6月に結婚。出会いから7年半が経っていた。

「父親が外交官の家庭に生まれた雅子さまは、早くから自身も外交官になることに憧れを抱いていたため、既にスタートを切っていたその夢を捨てるかどうか、相当悩まれた」(前出OB)

 それだけに2003(平成15)年12月、40歳になる誕生日の一週間前に帯状疱疹を発症し療養に入られた原因について、天皇陛下が翌04年5月、「外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかった」と、いわゆる“人格否定発言”の中で明かされた衝撃は大きかった。

小室眞子さんとの違いは

 ある皇室関係者はこう話す。

「今の皇后陛下に対するバッシングの特徴は、ネット社会の到来と時代感覚の変わり目ということもあってか、批判がとにかく苛烈でした。
同時に、根強い擁護の声もあったことです。
ネットの掲示板は今のSNSにつながる匿名の『刃』。言いたい放題ですから。
香淳皇后や上皇后陛下のケースとは次元の違う批判の激しさと数だった。
でも、擁護する声もかなり多かった。こちらもやはり発信する術があるからです」

 令和を象徴するSNSのように日常的に発信するものと、能動的に書き込むネット掲示板では、さらに次元が変わっている部分もある。
だが、ネットリテラシーの問題が浮上するのは当然、ウィンドウズ95以降。つまり平成7年以降ということになるのは事実だろう。

「お世継ぎを産んで欲しいという声が、時代とは無関係に出てくることは予想できたはずです。
それは皇后陛下も同じだったでしょう。
でも擁護の背景には『なぜ男の子じゃなきゃだめなの?』とか『出産という奇跡への無理解が過ぎる』といった声なき声があったのだと思います。
令和の今は当たり前ですが、皇后陛下がバッシングを受けていた頃に発信されていた擁護論は炎上しないことを前提にしたものだったから、目立たなかった。
でも確実に結構、いや、かなり多かったことは間違いありません」(前出・皇室関係者)

 さらに、前出の宮内庁OBはこう指摘する。

「皇后が3代続けて批判の矢面にさらされたのは、将来の皇后という特別な立場になる注目度の高さはもちろんですが、大げさに言えば女性の社会的地位が時代とともに変化してきたことの逆風を先頭でくらってしまったといった印象です。

小室眞子さんのバッシングと同一視するような言説も拝見はしましたが、眞子さんのケースはむしろ芸能人の不祥事に似ている印象です。
皇后3代にわたる、時代を象徴するような批判とは次元が違うように思うのです」

 皇后3代がさらされた批判は、少子高齢化や離婚率の上昇、なかなか増えない女性管理職や女性政治家、保育所不足といった、女性が置かれた立場の変化に、時代が追いつけずにいることと無縁ではないのかもしれない。

朝霞保人(あさか・やすひと)

皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。


デイリー新潮編集部
posted by 小だぬき at 00:23 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする